その他の東洋古典の名言 十八史略

史書、二巻。元の曾先之の選。太古から宋代に至る歴史を『史記』から『新五代史』までの十七の正史と宋関係の史料によって記述したもの。編年史で逸話風に書かれている。現行のものは明の陳殷が注解をつけて七巻にしたもので、日本では室町末期から江戸時代にかけて盛んに読まれ、明治以後も漢文教科書として用いられた。


貧賤(ひんせん)の交わりは忘るべからず。糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず

(貧しいときの友人は出世をしても忘れてはならない。生活の苦労をともにした妻は偉くなっても家から追い出してはならない)

天知る、地知る、子知る、我知る。何ぞ知るなしと謂わんや

(「天が知っている、地が知っている、そなたが知っている、私が知っている。どうして知っている者がいないなどと言えようか」――後漢の楊震がある郡の長官として赴任した際に、その配下が訪ねて賄賂を差し出してきたことがあった。楊震が受け取りを拒むと「このような夜更け、他に知る者はいませんから」と言ったため、楊震が返したのがこの言葉である)

虎穴に入らずんば虎子を得ず

(後漢の班超が西域の国を服属させるときに言った言葉。危険を冒さなければ成功を勝ち取ることはできないという意味で厳しい決断を下すときに使われる)

士別れて三日なれば、即ちまさに刮目(かつもく)して相待つべし

(「ひとかどの人物は分かれて三日も経てば、それなりの成長を遂げているはずだから、目を見開いて評価しなければならない」――呉の武将である呂蒙は、かつて武略には自信があったが学問は苦手だった。その後、一念発起して勉学に励むようになったある日、先輩の魯粛が呂蒙の家を尋ねたことがあった。呂蒙のあまりの変貌に驚いた魯粛に対して呂蒙が語ったのがこの言葉である)

一利を興すは一害を除くに若(し)かず。一事を生ずるは一事を減ずるに若かず

(「有益なことを一つ始めるよりも有害なことを一つ取り除くことの方が大切である。新しいことを一つ始めるよりも余計なことを一つ減らすことの方が重要である」――大帝国を築き上げた元の名宰相・耶律楚材が政治の要諦について語った言葉)