『致知』に寄せられたお客様の声

『致知』を読んでのうれしいお便りがたくさん届いています。 ご感想の一部を紹介いたします。

    • 砂漠の中で水を 与えてくれた『致知』

       私は1982年大型トラック製造会社に入社し、それ以来エンジニアとして全力で突っ走ってまいりました。
       開発の仕事というものは、途中の道で多くの難所、行き止まり、登りきれない坂があります。何度も立ち往生しながらも、何とか歯を食いしばって乗り越えてきました。乗り越えた時、大きな達成感とやりがいとともに自分が成長している実感が次の挑戦に繋がっていました。
       しかし、どうしても走り切れない時がやってきました。部署異動があり、職種が大きく変わり最も得意でない仕事で心身ともに疲れ果て、入社以来初めて「これまでか、リタイヤか」と思うようになりました。
       そんな時、会社の先輩から『致知』を紹介されます。2012年です。『致知』はダカールラリーで譬えると、砂漠の中で砂嵐にあい、立ち往生して一歩も進めず、喉が干上がり疲れ果てて諦めかけている時、命懸けで飛んできてくれた救助ヘリコプターのようでした。水に相当する『致知』の一ページ一ページは、乾いた心を大きく潤し、私を完全に復活させてくれました。その水の味は一生忘れません。
       
       

      山梨県 会社員 折笠公徳様(61歳)

    • 『致知』を読み伝えてきた 創業者の精神

      私が『致知』を読み始めたのは、かれこれ30年以上前のことです。マヨネーズやドレッシングで知られるキユーピーの専務時代でした。
       その頃、顧問を務めてくださっていた三菱商事の後藤潔さんから「いい月刊誌があるから」と薦められ、それ以来、84歳になる現在まで愛読しています。「この人は」と思う人には一年間の購読をプレゼントし、喜んでいただいています。
      『致知』を読み始めたのには、一つの理由があります。創業者・中島董一郎(一八八三~一九七三年)の思いを、社員に分かる形で伝え、かつそれを残しておきたいと思ったのです。中島の清廉潔白な人生や経営に対する考え方と『致知』の説く教えはどこか通じ合うものがあり、『致知』に登場する経営者の言葉や古典の教えを交えながら伝えれば、社員はより深く理解してくれるのではないか、というのが私の思いでした。
       大正時代、若き中島は留学先のアメリカでマヨネーズと出合います。日本人の栄養不足の現状を鑑み、「マヨネーズによって日本人の体を元気にしたい」という志を立て、それを生涯貫きました。
       その中島は最晩年、「世の中というものは存外公平である」という言葉を残しています。
       ある時は正直者が馬鹿を見て、ずるい者が得をしたり、横着な人が仕合わせであったりするように見える場合が往々にしてあるが、永い目で見ると誠実な人、道義を重んじる人が認められるというのが世の中である、というのです。実際、中島は「こんな人間がいるのだろうか」と思うくらい頑なに道義を大切にする実直な人でもありました。
       ・・・とはいいつつも、創業者が他界して随分と時が流れ、その謦咳に接した社員が減るにつれて、創業の精神が少しずつ薄れていったことも確かでした。『致知』から学んだ先哲の言葉や数々の実体験、私の拙い体験を交えながら、創業者の思いを後世に伝えておくことは、中島に厳しく叱られながら育てられた最後の世代としての大切な努めだと思ったのです。
      『致知』を読むことによって、これからも自分を磨き、私を育ててくれた創業者の思いに一歩でも近づきたいと思うこの頃です。

      神奈川県 キユーピー元副社長 上原隆雄様(84歳)

    • 「これを読みなさい。必ず役に立つから」

      私の『致知』との出会いは、妻の父親から「これを読みなさい。必ず役に立つから」とすすめられ、まだ数か月です。これから一つ一つかみしめつつ、しっかりと読んで次世代に伝えるのも役目だと私は思っております。
      家族で共有しながらしっかりと学んでまいります。この出会いを大切にしてまいります。ありがとうございました。ちなみに父親は千葉に住んでおります内田寛です。

      埼玉県 山田康博 様

    • 災害で心の支えとなった「致知」

       日本列島は猛暑の今日この頃です。貴社におかれましては益々ご発展のこととお喜び申し上げます。私は今回、西日本豪雨の被害をこうむった岡山県倉敷市真備町箭田に住まいする『致知』の愛読者です。一言お礼が言いたくてペンを取らせていただきました。
       7月7日西日本豪雨で約30年間愛読した『致知』と致知出版社の本、今までコツコツと築き上げてきた家が、水害のため一瞬のうちに失われました。
       妻が被害の大きさのショックと心身の疲れで病院にまいりました。待合室に『致知』の月刊誌がありました。段ボール箱に「自由にお持ち帰り下さい」と書かれた中に二冊の『致知』がありました。2011年9月号と2017年3月号でした。これから先、私が復興に向けての心のよりどころと指針になる内容が書かれていました。病院の方の了解を得ていただいて帰りました。
       毎月初めに楽しく読ませていただいておりましたが、愚かな私は災害に遭い、改めて『致知』のすばらしさが身に染みてわかりました。一人でも多く『致知』の読者が増えることを望んでおります。
       これからも精いっぱい頑張っていきたいと存じます。貴社のますますのご発展をお祈り申し上げます。
                

      岡山県 小林敦二様

    • 『致知』を読む教師が増えれば日本の教育は必ずよくなる

      私が『致知』の購読を始めたのは平成9年。かれこれ20年以上になりますが、人間学への目覚めといえば、中学生の頃に遡ります。佐藤哲夫先生という陸軍士官学校出身の先生との出逢いが、私の一生を決めることになったのでした。
       東西の古典に通暁され、自ら和歌や漢詩を詠む佐藤先生は、地域の若者を集めた「朋友の集い」という勉強会をご自宅で開かれていて、私も高校生の頃から参加するようになりました。倉田百三や影山正治、安岡正篤、道元、『古事記』『万葉集』などの学びにより、若くして日本精神の扉を開かれたことは、私の人生にとって、どれほど大きな財産になったことでしょう。
       昭和47年、船橋市内の中学校で学年主任を任された時、私は佐藤先生に倣い、若い教師たちを月に一回自宅に呼んで勉強会を開くようになりました。彼等が教育の対象が「人間」であるにもかかわらず、肝腎の人間を学ばずにいることに、「これではいかん」と思ったからです。
       この勉強会は私の入院などによって、やむなく中断した時期もありましたが、「まほろばの会」として今日まで約半世紀の間存続しています。一回の参加者は平均して10名。時間を忘れて夜遅くまで教育の未来や教師のあり方について論じ合ったり、難解な道元の『正法眼蔵』を13年かけて読み解いたり、懐かしい思い出ばかりが蘇ってきます。
      『致知』に出逢ったのは、そういう勉強会を続ける中でのことでした。人間学を学ぶ上で優れた教材がここにあると感じた私は勉強会の最初に『致知』を皆で輪読し、その上で私の教育観を伝えるようになっていきました。そして、次第に『致知』を読む教師が千人、一万人と増えれば、必ずこの日本の教育はよくなるという思いを強くするようになったのです。
       平成15年、私が小学校校長を最後に、定年退職を迎えたこの年、私に学びたいという渡邉尚久君という熱意ある若い教師に出逢い、この『致知』への思いを伝えました。この言葉に反応した渡邉君は、『致知』を熱心に読み、周りの教師たちにも購読を勧めるようになりました。
       その彼は、一年ほど前から致知教師木鶏会を立ち上げ、東京近郊の仲間とともに月一回の『致知』の学びを重ねています。こういう動きが若い教師の間から出てくることは誠に頼もしく、喜ばしい限りです。
       私は佐藤先生に一歩でも近づきたいという思いで勉強会を開いてきましたが、まだまだ道半ばの感を禁じ得ません。しかし、一方で勉強会をとおして最高の学びを得ているのは、他ならぬ私自身であるという感慨を深くしています。
      「一眼は遠く歴史の彼方を、そして一眼は脚下の実践へ」という森信三先生の言葉があります。人間学とともに日々の教育実践にも研鑽を積んでいく。『致知』に学びながら、そういう教師を一人でも多く育てていきたいと思っています。

      千葉県 元小・中学校校長 土屋秀宇さん(75歳)

    • 『致知』をとおして「人間力を磨く」ことを学んだ

      『致知』という月刊誌があることを知ったのは、10年前、入社20年の節目の年でした。密かに社内木鶏会(『致知』を活用した社内勉強会)を導入したいと考えていた当社社長の村山明子からの紹介でした。
       長年、トラックの運転に携わってきた私は、文章を読むことも書くことも、また人前で話すことも大の苦手でした。
      「難しそう」というのが『致知』の第一印象でしたが、何気なくある記事を読み進めているうちに、「自分たちがやってきたことは間違いなかった」というお墨つきをもらったような感覚を抱きました。
       というのも、その頃、村山と私は「会社の発展は社員の頭数ではない。社員も商品も質が第一。よき人材が集結すれば、小さな会社でも必ず伸びる」という信念のもとで、人材教育に取り組んでいたからです。「ああ、『致知』は私と同じ考えの人たちが登場しているんだな」と合点し、熱心に愛読するようになりました。
       村山と私は、社員と一緒に『致知』の感動を分かち合いたいと考え、リーダーミーティングの場を活用して10名ほどで社内木鶏会をスタート。しかし、10年前の当社はリーダーといえども、私と同様、文章を読まない、書かない、発言できない者ばかりでした。
       それでも一年ほど経つと、そんな彼らにも変化が現れ始めました。A4の用紙に三分の一程度しか感想文を書けなかったのが、表面だけでは足りず裏面まで使ってビッシリ感想をしたためるなど驚くような成長を遂げていきました。
       また、木鶏会が定着するにつれて社員の表情は明るくなり、積極的に挨拶ができるようになりました。一般に運送業界は社内での運転手同士の横の繋がりが希薄なものですが、当社の場合はコミュニケーションが盛んで、困っている運転手がいるとお互いに助け合う社風が育まれてきました。『致知』を読むことによって社の雰囲気は大きく変わりました。今年新社屋が完成し、新しい飛躍を皆で誓い合っています。
       いままで知らなかった人間学の世界に触れるのは、私自身にとっても大きな喜びでした。誌面で読んだことは、実際に目と耳で触れたくなるものです。
       森信三先生の人生に興味を抱いた私は、近くの半田市に森先生のお墓があると聞いて訪ねたことがあります。かつての私であれば森先生に興味を持つことはまずなかったでしょうし、ましてや菩提寺に詣でることなど考えもしなかったでしょう。気がつけば、私の中にも大きな変化が起きていたのです。
      「人間力を磨く」。これは私が『致知』から学んだ最も大きなテーマです。『致知』を読みながら、自分の仕事のあり方や考え方が正しいかどうかを図る判断材料にしているのも、私なりの人間力の磨き方です。
       

      愛知県 愛東運輸常務 浜島崟欣さん(70歳)

    • 家庭内木鶏会で家族の絆を育む

       ともに仕事をしているライターさんの紹介で『致知』に出逢ったのは一年三か月ほど前ですから、読者歴としては決して長くはありません。しかし、私は『致知』を最初に手にした時から、そこに込められた思いや内容にすっかり魅了されてきました。
       一番の理由は、当社の理念と『致知』の考え方が見事にマッチしていたからです。当社は二〇〇一年の創業以来、「志の実現に貢献する」を理念に、企業様の理念策定やブランディング、コンテンツ制作などのお手伝いをしています。志を忘れかけた軽薄な日本の風潮に疑問を抱いていた私は、志ある企業のお役立ちをしたいという思いで会社を立ち上げ頑張ってきていただけに、『致知』には何か強く引き合うものを感じたのです。
      『致知』を社員教育に取り入れるのにも、さして時間はかかりませんでした。一年が経過したいま、社内木鶏会ならではの美点凝視の精神が浸透し、社員の意識も少しずつ変わり始めました。二〇一八年「働きがいのある会社」ランキング小規模部門(GPTW主催)でベストカンパニーに選出されたのも、社内木鶏会と無関係ではありません。
       社内木鶏会を始めてしばらくした頃、私はこの木鶏会を家庭でもやってみたい、と考えるようになりました。私たち夫婦と当時中学二年生の長女、小学六年生の長男の四人で昨年七月に始めました。
       最初、妻は何となく消極的で、長男は思うように感想が発表できずに涙ぐんでしまったりと、不安を抱えながらのスタートとなりましたが、回を重ねる度に妻は顔つきが変わり、誰よりも熱心に参加するようになりました。皆が難しい古典の言葉にも馴染んできて、日常会話は『致知』の話がよく出ます。
       長男は、辛い時でも決して諦めないこと、子供の時にコツコツと努力を重ねることで立派な大人になることを『致知』から学んだと話してくれています。『致知』はいまや我が家になくてはならない存在です。

      東京都 パラドックス代表 鈴木猛之さん(49歳)

    • 諦めないことを教えてくれた『致知』

      先輩に当たる経営者の事務所を訪ねた時、応接室のラックに見慣れない雑誌が置かれていました。「この雑誌は何ですか」と質問したところ、「君は知らないのか。多くの経営者が読んでいる月刊誌だよ」という答えが返ってきました。いま思うと、これが私と『致知』との出逢いだったのですが、特に興味を抱くこともなく、そのままになっていました。
       ところが、しばらくして別の経営者の事務所に行くと、そこにも『致知』が置かれているではありませんか。何か不思議なご縁を感じて購読を開始したところ、書かれていた内容はまさに目から鱗、といった感じでした。
       私は北九州市で不動産会社を営んでいます。父がつくっていた名前だけの法人を自分の手で軌道に乗せ成長させる上ではいろいろと苦しい時期を乗り越えてきました。しかし、『致知』に登場する方々は皆さん、信じられないほどの逆境や試練に遭遇しても、決して諦めることなく道を切りひらき、しかも、その試練を糧として自分を磨き、大きく成長させています。苦労は避けて通るべきものだと考えていた私は、そのことに大変驚きました。
       そして、自分の足跡を振り返りながら、苦労を経てきたからこそいまがあることをしみじみと感じ、大きな自信を得た思いがしたものです。それから今日まで十八年間、毎月『致知』が届く日を心待ちにし、気に入った言葉はスマートフォンに記憶させて常に読み返しています。
       経営者として『致知』から最も学ばせていただいたのは、お客様の視点に立つことの大切さです。
       もちろん、事業を展開していく上で困難は避けることができませんが、どのような状況にあっても困難の責任を誰かに転嫁することなく、自分に何が足りなかったのかを自省し、諦めずに前進していこうとする心の習慣が身についてきたのは『致知』のおかげです。また、それまでのように怒らなくなり、妻からは「『致知』で人間が磨かれてきたね」と喜ばれています。

      福岡県 丸山商会社長 榎本満秀さん(60歳)

    • 世界一不幸な人間だった私に、「幸せ」を教えてくれた『致知』

      私が『致知』と出逢ったのは、職場で社内木鶏会が始まった平成二十四年七月のことでした。渡邉元貴理事長から、初めて見る『致知』を手渡された時、目に飛び込んできたのは「人間学」の文字。私のように苦労してきた人間には「人間学」なんて関係ない、というのが最初の印象でした。なぜなら、私は長いこと自分は世界一不幸な人間だとずっと思い続けてきたからに他なりません。
      あれは私がまだ四十代の頃のことです。主人と放送設備関係の事業を営んでいたところ、不渡手形の煽りで一晩にして会社は倒産。残ったのは約一億二千万円の借金でした。そこからすべてを返済し終わるまでに十七年の歳月を費やすことになるのですが、その間にも畳みかけるように不幸が私に襲い掛かってきました。
      私が五十代に差し掛かり、まだ借金の返済も道半ばだった平成七年に主人が旅立つと、五年後の三月には娘が、さらにその明くる年の十一月に息子が息を引き取ったのです。ほんの僅かな期間で、家族全員が私の手からもぎ取られたのでした。
      ただ、そんな中でも私が幸せだったのは、いまの職場で働くことができたことでした。主人が亡くなった四年後にご縁をいただき、子供たちを看取る際にも配慮していただいたばかりか、今日まで介護職として働かせていただけたことは本当にありがたいことです。
      ただ、そうした人生体験もあって、『致知』への拒否反応は数か月に及び、人間学とはこういうことなのかと思えるようになるまでに一年はかかったでしょうか。ところがいまはどうかと言えば、隅から隅まで全部、それも一回や二回ではなく三回読み通します。
      私にとって『致知』と出逢えたこと、そしてこうして働ける職場があることが何よりの幸せです。特に『致知』は私にとって勉強になるばかりか、時に私を励ましてくれる存在でもあります。

      千葉県 社会福祉法人 かずさ萬燈会職員 富川利子さん(70歳)

    • 『致知』は三十年近い私の座右の書

      『致知』を読み始めて三十年近くになります。都内の信用金庫に勤務していた五十五歳の時、ある先輩が「菊田君、この本を読んでみたらどうだろうか。きっと君のためになると思うよ」と購読を薦めてくださったのです。以来、今日まで、仕事や人生の指針となる座右の書として楽しみに読ませていただいています。
      『致知』を購読して間もない頃、持病の糖尿病や高血圧が悪化して休職を余儀なくされた時がありましたが、『致知』はそういう私に立ち上がる大きな力を与えてくれました。
      定年後は、詩人としての活動を続ける傍ら、地元で開かれている文学講座の講師を長年務めさせていただいていました。『徒然草』『方丈記』『奥の細道』などを素材にオリジナルのテキストをつくってお話をしたり、小説の朗読をしたりしてきましたが、その時も『致知』で学んだ話が大いに役に立ち、受講者の関心を引くことができたのは幸いでした。
      また、昨年六月十八日、現代詩の発展に貢献したとして日本現代詩人会の「先達詩人」として顕彰いただけたことは思ってもみない出来事でした。過去には河井醉茗、室生犀星、堀口大學、佐藤春夫、西条八十など錚々たる詩人が顕彰された「先達詩人」に共に名を連ねることができたことは、この上ない光栄です。これも『致知』で生きる道を学ばせていただき、導いていただいたおかげだと感謝しています。
      これからも『致知』にたくさんのことを学び、詩人としての人生を全うしていく所存です。

      東京都 詩人 菊田 守さん(82歳)

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