『致知』に寄せられたお客様の声

『致知』を読んでのうれしいお便りがたくさん届いています。 ご感想の一部を紹介いたします。

  • 愛知県 愛東運輸常務 浜島崟欣さん(70歳)
    『致知』という月刊誌があることを知ったのは、10年前、入社20年の節目の年でした。密かに社内木鶏会(『致知』を活用した社内勉強会)を導入したいと考えていた当社社長の村山明子からの紹介でした。  長年、トラックの運転に携わってきた私は、文章を読むことも書くことも、また人前で話すことも大の苦手でした。 「難しそう」というのが『致知』の第一印象でしたが、何気なくある記事を読み進めているうちに、「自分たちがやってきたことは間違いなかった」というお墨つきをもらったような感覚を抱きました。  というのも、その頃、村山と私は「会社の発展は社員の頭数ではない。社員も商品も質が第一。よき人材が集結すれば、小さな会社でも必ず伸びる」という信念のもとで、人材教育に取り組んでいたからです。「ああ、『致知』は私と同じ考えの人たちが登場しているんだな」と合点し、熱心に愛読するようになりました。  村山と私は、社員と一緒に『致知』の感動を分かち合いたいと考え、リーダーミーティングの場を活用して10名ほどで社内木鶏会をスタート。しかし、10年前の当社はリーダーといえども、私と同様、文章を読まない、書かない、発言できない者ばかりでした。  それでも一年ほど経つと、そんな彼らにも変化が現れ始めました。A4の用紙に三分の一程度しか感想文を書けなかったのが、表面だけでは足りず裏面まで使ってビッシリ感想をしたためるなど驚くような成長を遂げていきました。  また、木鶏会が定着するにつれて社員の表情は明るくなり、積極的に挨拶ができるようになりました。一般に運送業界は社内での運転手同士の横の繋がりが希薄なものですが、当社の場合はコミュニケーションが盛んで、困っている運転手がいるとお互いに助け合う社風が育まれてきました。『致知』を読むことによって社の雰囲気は大きく変わりました。今年新社屋が完成し、新しい飛躍を皆で誓い合っています。  いままで知らなかった人間学の世界に触れるのは、私自身にとっても大きな喜びでした。誌面で読んだことは、実際に目と耳で触れたくなるものです。  森信三先生の人生に興味を抱いた私は、近くの半田市に森先生のお墓があると聞いて訪ねたことがあります。かつての私であれば森先生に興味を持つことはまずなかったでしょうし、ましてや菩提寺に詣でることなど考えもしなかったでしょう。気がつけば、私の中にも大きな変化が起きていたのです。 「人間力を磨く」。これは私が『致知』から学んだ最も大きなテーマです。『致知』を読みながら、自分の仕事のあり方や考え方が正しいかどうかを図る判断材料にしているのも、私なりの人間力の磨き方です。  
    東京都 パラドックス代表 鈴木猛之さん(49歳)
     ともに仕事をしているライターさんの紹介で『致知』に出逢ったのは一年三か月ほど前ですから、読者歴としては決して長くはありません。しかし、私は『致知』を最初に手にした時から、そこに込められた思いや内容にすっかり魅了されてきました。  一番の理由は、当社の理念と『致知』の考え方が見事にマッチしていたからです。当社は二〇〇一年の創業以来、「志の実現に貢献する」を理念に、企業様の理念策定やブランディング、コンテンツ制作などのお手伝いをしています。志を忘れかけた軽薄な日本の風潮に疑問を抱いていた私は、志ある企業のお役立ちをしたいという思いで会社を立ち上げ頑張ってきていただけに、『致知』には何か強く引き合うものを感じたのです。 『致知』を社員教育に取り入れるのにも、さして時間はかかりませんでした。一年が経過したいま、社内木鶏会ならではの美点凝視の精神が浸透し、社員の意識も少しずつ変わり始めました。二〇一八年「働きがいのある会社」ランキング小規模部門(GPTW主催)でベストカンパニーに選出されたのも、社内木鶏会と無関係ではありません。  社内木鶏会を始めてしばらくした頃、私はこの木鶏会を家庭でもやってみたい、と考えるようになりました。私たち夫婦と当時中学二年生の長女、小学六年生の長男の四人で昨年七月に始めました。  最初、妻は何となく消極的で、長男は思うように感想が発表できずに涙ぐんでしまったりと、不安を抱えながらのスタートとなりましたが、回を重ねる度に妻は顔つきが変わり、誰よりも熱心に参加するようになりました。皆が難しい古典の言葉にも馴染んできて、日常会話は『致知』の話がよく出ます。  長男は、辛い時でも決して諦めないこと、子供の時にコツコツと努力を重ねることで立派な大人になることを『致知』から学んだと話してくれています。『致知』はいまや我が家になくてはならない存在です。
    福岡県 丸山商会社長 榎本満秀さん(60歳)
    先輩に当たる経営者の事務所を訪ねた時、応接室のラックに見慣れない雑誌が置かれていました。「この雑誌は何ですか」と質問したところ、「君は知らないのか。多くの経営者が読んでいる月刊誌だよ」という答えが返ってきました。いま思うと、これが私と『致知』との出逢いだったのですが、特に興味を抱くこともなく、そのままになっていました。  ところが、しばらくして別の経営者の事務所に行くと、そこにも『致知』が置かれているではありませんか。何か不思議なご縁を感じて購読を開始したところ、書かれていた内容はまさに目から鱗、といった感じでした。  私は北九州市で不動産会社を営んでいます。父がつくっていた名前だけの法人を自分の手で軌道に乗せ成長させる上ではいろいろと苦しい時期を乗り越えてきました。しかし、『致知』に登場する方々は皆さん、信じられないほどの逆境や試練に遭遇しても、決して諦めることなく道を切りひらき、しかも、その試練を糧として自分を磨き、大きく成長させています。苦労は避けて通るべきものだと考えていた私は、そのことに大変驚きました。  そして、自分の足跡を振り返りながら、苦労を経てきたからこそいまがあることをしみじみと感じ、大きな自信を得た思いがしたものです。それから今日まで十八年間、毎月『致知』が届く日を心待ちにし、気に入った言葉はスマートフォンに記憶させて常に読み返しています。  経営者として『致知』から最も学ばせていただいたのは、お客様の視点に立つことの大切さです。  もちろん、事業を展開していく上で困難は避けることができませんが、どのような状況にあっても困難の責任を誰かに転嫁することなく、自分に何が足りなかったのかを自省し、諦めずに前進していこうとする心の習慣が身についてきたのは『致知』のおかげです。また、それまでのように怒らなくなり、妻からは「『致知』で人間が磨かれてきたね」と喜ばれています。
    千葉県 社会福祉法人 かずさ萬燈会職員 富川利子さん(70歳)
    私が『致知』と出逢ったのは、職場で社内木鶏会が始まった平成二十四年七月のことでした。渡邉元貴理事長から、初めて見る『致知』を手渡された時、目に飛び込んできたのは「人間学」の文字。私のように苦労してきた人間には「人間学」なんて関係ない、というのが最初の印象でした。なぜなら、私は長いこと自分は世界一不幸な人間だとずっと思い続けてきたからに他なりません。 あれは私がまだ四十代の頃のことです。主人と放送設備関係の事業を営んでいたところ、不渡手形の煽りで一晩にして会社は倒産。残ったのは約一億二千万円の借金でした。そこからすべてを返済し終わるまでに十七年の歳月を費やすことになるのですが、その間にも畳みかけるように不幸が私に襲い掛かってきました。 私が五十代に差し掛かり、まだ借金の返済も道半ばだった平成七年に主人が旅立つと、五年後の三月には娘が、さらにその明くる年の十一月に息子が息を引き取ったのです。ほんの僅かな期間で、家族全員が私の手からもぎ取られたのでした。 ただ、そんな中でも私が幸せだったのは、いまの職場で働くことができたことでした。主人が亡くなった四年後にご縁をいただき、子供たちを看取る際にも配慮していただいたばかりか、今日まで介護職として働かせていただけたことは本当にありがたいことです。 ただ、そうした人生体験もあって、『致知』への拒否反応は数か月に及び、人間学とはこういうことなのかと思えるようになるまでに一年はかかったでしょうか。ところがいまはどうかと言えば、隅から隅まで全部、それも一回や二回ではなく三回読み通します。 私にとって『致知』と出逢えたこと、そしてこうして働ける職場があることが何よりの幸せです。特に『致知』は私にとって勉強になるばかりか、時に私を励ましてくれる存在でもあります。
    東京都 詩人 菊田 守さん(82歳)
    『致知』を読み始めて三十年近くになります。都内の信用金庫に勤務していた五十五歳の時、ある先輩が「菊田君、この本を読んでみたらどうだろうか。きっと君のためになると思うよ」と購読を薦めてくださったのです。以来、今日まで、仕事や人生の指針となる座右の書として楽しみに読ませていただいています。 『致知』を購読して間もない頃、持病の糖尿病や高血圧が悪化して休職を余儀なくされた時がありましたが、『致知』はそういう私に立ち上がる大きな力を与えてくれました。 定年後は、詩人としての活動を続ける傍ら、地元で開かれている文学講座の講師を長年務めさせていただいていました。『徒然草』『方丈記』『奥の細道』などを素材にオリジナルのテキストをつくってお話をしたり、小説の朗読をしたりしてきましたが、その時も『致知』で学んだ話が大いに役に立ち、受講者の関心を引くことができたのは幸いでした。 また、昨年六月十八日、現代詩の発展に貢献したとして日本現代詩人会の「先達詩人」として顕彰いただけたことは思ってもみない出来事でした。過去には河井醉茗、室生犀星、堀口大學、佐藤春夫、西条八十など錚々たる詩人が顕彰された「先達詩人」に共に名を連ねることができたことは、この上ない光栄です。これも『致知』で生きる道を学ばせていただき、導いていただいたおかげだと感謝しています。 これからも『致知』にたくさんのことを学び、詩人としての人生を全うしていく所存です。
    京都府 シンガー・ソングライター 堀内圭三さん(57歳)
    『致知』と出逢って一年ほどですが、最初に手にした時、すぐにその深い内容に魅せられてしまいました。 以来、『致知』を読まない日は一日もありません。まとまった時間があれば目をとおすのはもちろんですが、いつも携帯していて四、五分という短い時間でも読み進めることを楽しみにしています。 私が『致知』を知ったのは、致知出版社の「携帯メルマガ」を読んでいる知人が、メルマガで配信された『致知』の名言を転送してくれた時でした。そこには、故・渡部昇一先生の『致知』の推薦コメントが添えられていました。かねてから渡部先生の大ファンだった私は、先生が連載されていることを知って、すぐに定期購読を決めたのです。 もちろん、渡部先生の連載が読めるのは魅力でしたが、人としての生き方を教えていただけるのも私には大きな喜びでした。 一方で一道を極めた職人さんや芸術家の方々のインタビューなどからは、もっと身近な人生のヒントを得ることが多くあります。 このように大局的な人生の視点と、生活に身近な視点の両方を与えていただいていることで、迷うことなく人生を歩いていけるような気がします。 私は長年、京都を中心にシンガー・ソングライターとして活動しています。コンサートを開いたり、地元ラジオのパーソナリティを務めたりする傍ら、福祉施設や病院の慰問、東日本大震災でご家族を亡くされた方々の支援活動を続けてきました。それとともに、生きていることの喜びや感謝、日本の美しさを伝える歌も数多く手掛けてきました。 厳しい試練に向き合う人たちに心から寄り添うことができるのも、『致知』に人としての生き方を教えられ、励まされてきたからに他なりません。 これからも『致知』を心の支えにして、人々に勇気や希望を届ける音楽活動を続けていきたいと思っています。
    埼玉県 一般社団法人・スターリィマンからの贈りもの代表理事 はせがわ芳見さん(60歳)
    私は結婚以来、三十年間、画家である主人がライフワークとして描き続ける絵の主人公「スターリィマン」の物語を書いています。みんなの幸せを願いながら、九つの風船「希望・元気・勇気・夢・愛・友情・未来・信頼・幸せ」を、世界中に届ける旅をしているスターリィマン。 絵や物語の世界だけではなく、現実の社会でも、自分の周りにスターリィマンはいます。生きる力を与えてくれる人、生きる道を見守ってくれる人……。多くの人たちがスターリィマンの存在に気づくことで幸せを感じる温かい社会になっていけたら、というのが私たちの願いです。 そんな私たちの活動を応援してくださっているご夫妻から、二〇〇八年三月、「主人の恩師で、私たち夫婦のお仲人さんの平澤興先生のご著書です」と、一冊のご本をいただきました。大変興味深く読ませていただいたのですが、面白いことに、そのことに導かれる方向に物事が動き出して、二か月後、私たち家族は、致知出版社主催の上甲晃先生(志ネットワーク代表)の講演会に参加する機会をいただいていました。 やがて『致知』を購読するようになりましたが、道を究めた先覚者や偉人の方々の言葉が心にストーンと落ちていくまで『致知』で学び続けよう、その時はどんな自分になっているんだろうと思うと、生きる喜びが前に広がっていくようでした。愛読して十年近くになります。 『致知』は、子供から大人まで、生涯にわたって立派になるための生き方の模範が、溢れんばかりに詰まっている宝石箱のよう。 『致知』に出会えて本当に感謝しています。
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