『致知』に寄せられたお客様の声

『致知』を読んでのうれしいお便りがたくさん届いています。 ご感想の一部を紹介いたします。

  • 『致知』は子育ての「手引書」

    大阪府在住 マザーズスマイルアンバサダー協会代表理事 田崎由美 様(47歳)

     18年前、当時3歳の息子は難病を患い、1年近く大学病院に入院しました。ベッドに座る小さな我が子に、私は「どんな時でもこの子を照らす太陽になろう」と心に誓い、明るく、楽しく、力になる言葉をかけ続けました。その存在に寄り添うことで、息子は「ママと一緒で幸せ」と感じてくれていたと思います。彼は大人でも耐えがたい大変な治療を、私を信じ乗り越えてくれました。
     しかし彼の前では笑顔を絶やさなかった私も、不安と心配のあまり、深夜病室で何度も声を殺して泣きました。携帯電話の明かりで本を百冊以上読みました。自分の心の弱さに向き合う時間でした。
     息子の病気は完治に10年は必要な難病。私は未来を描くことができませんでした。そんな時、お世話になっていた先生に『致知』を紹介していただいたのです。
     登場者の皆様の生い立ち、心の持ちようを拝見すると、どの方も困難や病を通してご自分を省み、答えを見出され、素晴らしいご活躍をされている方ばかりでした。私は「きっとこの子にもそんな力が備わっている。だからこそ選ばれたに違いない」と実感しました。心に触れた言葉に線を引き、落とし込むために読みました。
     まず子育てを任された自分自身を成長させることが必要でした。
     鍵山秀三郎先生が実践する素手でのトイレ掃除は、自分の心を磨くため、いまなお続けています。子供たちが小学生になると、夏休みには自らトイレ掃除をやってくれました。また、森信三先生の「しつけの三原則」は自分も一緒に取り組み、身につけました。
    『致知』の言葉を忠実に積み重ねていった結果、「子供を一人の人として尊敬し、素晴らしい子だと信じて育てる」というぶれない信念が生まれました。そしてその信念が「我が子を信じる力」になりました。私にとって『致知』は、「子育ての手引書」そのものです。いまでは息子は成人し、自分の人生を歩き始めました。森先生がおっしゃるように、誰もが生まれながらに天から授かった封書を持っていて、そこにはこの世で成し遂げる自分との約束が書かれている。生かされていることに感謝し、一度きりの人生を、天命を全うして生きる。毎月の『致知』を拝読し、子供とその言葉を共有しながら人間力を高めていきたいと思います。
     現在、お母さん方に心と自信を育む子供とのコミュニケーションをお伝えしています。子供を授かり尊い役割を担うお母さん方に、ぜひ大切な『致知』の生きる力になる言葉を伝えていきたいと考えています。

    子どもの未来のために『致知』から学ぶ

    東京都 学校法人 みのり幼稚園園長 濱田実様

    現在の日本は、幕末から明治に変わろうとしていた頃と似た状況にあるのではないかと感じています。すなわち、それまでの常識がまったく通用しない、新たな変革の時代です。四書や五経により、幼い頃から人間の生きるべき道を正しく学んでいた当時の偉人たちは、そのような混迷のなかにあっても、惑うことなく、明治という新しい日本の姿を思い描き、形づくることに成功しました。新型コロナウイルスの感染拡大により、世界の状況は一変しました。
    「コロナ後」という不透明な時代を、これから生きていかなくてはならない子ども達へ、われわれは何を伝え、何を託すべきでしょうか。そのように考えたとき、何よりもまず、私たち自身が正しい生きかたを学び、実践していくべきではないかということに思い至ります。それを可能にしてくれるのが『致知』です。『致知』で語られる含蓄に富んだ言葉の数々が、一流の生き方、哲学や世界観を、私たちに教えてくれるのです。

    『致知』は月刊誌ですが、いつまでも手元に置いて何度も読み返す価値があります。これからの新しい時代に向けて迷わないために、親や教師といった、次世代を育てる役割を担う方々には是非、『致知』を手にしていただきたいと考えております。

    『致知』から多くの言葉を学び、日本一熱い教師を目指して

    熊本県 専門学校2年生 那須崇音 様

    「人間はできるだけ早くから、良き師、良き友を持ち、良き書を読み、ひそかに自ら省み、自らを修めることである。人生は、心がけと努力次第である」安岡正篤先生の言葉に出逢った高校入学当初、人間学のことなど知らない私に簿記部の顧問である木庭寛幸先生は、たくさんの言葉を熱心に語られていました。そして、先生が毎回話をされる度に紹介されていたのが、人間学を学ぶ月刊誌『致知』でした。『致知』の中には先達の素晴らしいお言葉が鏤められており、その言葉の数々を先生は私たちの心に響くように話してくださいました。しかし、未熟な私は、言葉の意味と重みを十分に理解できないまま、日々を過ごしていました。

    月日が流れ高校二年生になると、部活動は私たちが中心となりました。後輩ができたことによって、少しでも尊敬される先輩になりたいと考え、『致知』を購読することを決意しました。しかし、それまであまり本を読んでこなかった私は、毎月読み続けることの難しさを痛感しました。そして、段々と読まなくなっていきました。そんなある日、悲しい出来事が起こりました。それは恩師である中学校の校長先生の早過ぎる死でした。そして弔問のために校長先生の自宅を訪れた際、改めて校長先生の偉大さを目の当たりにしました。その部屋には数えきれないほどの本と、過去四十年分の『致知』が整然と並べられていました。その時に私は、「変わりたい! 恩返しがしたい!」と心の中で叫びました。そして、情熱溢れる「教師」になり、私を変えてくださった校長先生を超えることを、その日決意しました。その日から私はまた『致知』を貪るように読むようになり、毎月届く『致知』が本当に楽しみになりました。
    「日常の出来事に一喜一憂せず、現在の仕事を自分の生涯の仕事として打ち込むこと。そして、それを信念にまで高めなければ自己の確立はあり得ない」
    これは、安岡正篤先生のお言葉です。やはり、『致知』に出てこられる方々は、私よりも経験豊富で、何事にも一所懸命です。そして何よりも、成功だけではなく、たくさんの失敗を経験されています。このことに気づいた私は、自分の見識の浅さ、意識の低さ、視野の狭さに改めて気づくことができました。

    また、私は『致知』の創刊理念にも心を打たれました。「いつの時代でも、仕事にも人生にも真剣に取り組んでいる人はいる。そういう人たちの心の糧になる雑誌を創ろう」この理念を知ってから、私は「もっと『致知』を読みたい」「もっと多くの人に読んでもらいたい、知ってもらいたい」と思うようになりました。「教育は結局は教師の魂にあり。それが教育の本質である」『致知』二〇一九年一月号、野口芳宏先生のお言葉です。このお言葉は、教師を志している私に、これからのあり方について、語り掛けてくださっているようでした。いま、世の中の教育は、少し間違っている部分があると感じています。それは野口先生がおっしゃる「魂」が欠けているからだと思います。教わる側にも「やる気、元気、活気」がなければ、日本の未来はないと思います。「熱を持て。誠を持て」熊本県出身の北里柴三郎先生のお言葉です。この言葉のように、私たちが情熱と誠実さを備えた人物へと成長しなければなりません。

    私は将来、教育という仕事を通じて、日本の未来を支える一灯になります。学校のこと、生徒のこと、これからの日本の未来のことを一番に考え続ける熱い教師になります。そしてこれからも、熊本県や日本、世界を支える「財産の人財」を目指し、己を磨き続けながら、人財育成に精進していきます。

    世界一、日本一の人の生き方に学び、実践していきたい

    東京都 早稲田大学スポーツ科学部 古賀 由教 様(18歳)
    高校時代、思い出に残る話があります。 全国大会の一か月ほど前、練習中に骨折して入院を余儀なくされてしまったのです。この時も、どれだけ『致知』に励まされたことでしょうか。僕はベッドの上で『致知』に出てくる人たちの言葉をノートにメモしては繰り返し読み、「試合に出られないかもしれない」という不安を打ち消し、「もう一度頑張ろう」と自分を鼓舞しました。驚いたのは、見舞いに来てくださる方の何人もが「君は『致知』を読んでいるのか。私も読んでいるよ」と語りかけてくださったことです。東福岡高校ラグビー部を何度も日本一に導いてこられた前監督の谷崎重幸先生が『致知』の熱心な愛読者であり、谷崎先生の薦めで読者になったラグビー関係者が何人もおられたのです。

    いま僕は早稲田大学ラグビー部に所属しています。母が大学の入学祝いに定期購読をプレゼントしてくれましたので、練習の行き帰りなど毎号楽しみに読ませていただいています。以前は分からなかった内容も、少しずつ理解できるようになりました。 僕の目標ははっきりしています。何としても大学ラグビーで日本一の座を射止めることです。そのためにも『致知』に登場する世界一、日本一の人の生き方に学び、学問やクラブ活動の場で実践していきたいと思っています。

    『致知』に触れることで、懸命に生き抜いた祖父の存在がより身近になった

    京都府 関西致知若獅子の会 三代目代表世話人 和田真吾様

    また、この季節がやってきた。8月28日は祖父の命日である。私の人生に最も影響を与えてくれたのは祖父だ。しかし、その祖父の偉大さを教えてくれたのは『致知』との出逢いだった。私が『致知』の存在を知ったのは、 22歳の春で、 新入社員として入社させていただいた前職の会社だった。ただ、商談の部屋に『致知』が並んでいたことは知っていても、実際に手に取って読むことはなかった。

    27歳、夏、私の人生は大きく変化する。それは、祖父が肺がんによって他界したこと。私は幼少期のほとんどの時間を祖父と過ごし、学生時代、社会人となっても休暇には欠かさず帰省し元気な姿を確かめるのが常だった。祖父の死は、当たり前と感じていた日常を大きく変えた。と同時に、これまで感じたことのない悲しみを体験した出来事でもあった。通夜・葬儀が慌ただしく終了し、大勢の親族が集まった会場を無感情なまま眺めていると、ふとこのような疑問が湧き上がってきた。

    「目の前にいる親族を、長男として守ることが本当にできるのだろうか」

    私の祖父は高校卒業後、油送船の船長となりアジア諸国を回ったと聞いている。94歳になる祖母は「じいちゃんが家に帰ってくるのは、2か月に一度だった」 と言っていた。祖父は10人きょうだいの長男で、きょうだいや家族を養うために必死に働いたと聞いた。当時では当たり前かもしれないが、私にとってその働き方はとても眩しく感じた。いま思うと祖父の生き方を知ることで、私の働き方は大きく変わったように思う。翌年の秋に医療用医薬品を扱うMRという職業に転職し、がん患者様への治療を医師に情報提供する仕事をするようになった。

    不思議なもので同じタイミングで『致知』や『大学』、若獅子の会の仲間との出逢いがあった。仲間と毎月集い、『致知』に触れることで、懸命に生き抜いた祖父の存在がより身近に感じられ、改めて尊敬の念を抱くことも多い。

    『大学』には「格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下」という言葉がある。世の中をよくしたいならば、自分自身を修め、家族を守れる自分にならないことには、大事を成すことはできないという教訓である。家族を守り続けた偉大な祖父に少しでも近づいていけるような自分になるべく、これからも『致知』に学んで自分を修めていきたい。

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