『致知』に寄せられたお客様の声

『致知』を読んでのうれしいお便りがたくさん届いています。 ご感想の一部を紹介いたします。

  • 『致知』に触れることで、懸命に生き抜いた祖父の存在がより身近になった

    京都府 関西致知若獅子の会 三代目代表世話人 和田真吾様

    また、この季節がやってきた。8月28日は祖父の命日である。私の人生に最も影響を与えてくれたのは祖父だ。しかし、その祖父の偉大さを教えてくれたのは『致知』との出逢いだった。私が『致知』の存在を知ったのは、 22歳の春で、 新入社員として入社させていただいた前職の会社だった。ただ、商談の部屋に『致知』が並んでいたことは知っていても、実際に手に取って読むことはなかった。

    27歳、夏、私の人生は大きく変化する。それは、祖父が肺がんによって他界したこと。私は幼少期のほとんどの時間を祖父と過ごし、学生時代、社会人となっても休暇には欠かさず帰省し元気な姿を確かめるのが常だった。祖父の死は、当たり前と感じていた日常を大きく変えた。と同時に、これまで感じたことのない悲しみを体験した出来事でもあった。通夜・葬儀が慌ただしく終了し、大勢の親族が集まった会場を無感情なまま眺めていると、ふとこのような疑問が湧き上がってきた。

    「目の前にいる親族を、長男として守ることが本当にできるのだろうか」

    私の祖父は高校卒業後、油送船の船長となりアジア諸国を回ったと聞いている。94歳になる祖母は「じいちゃんが家に帰ってくるのは、2か月に一度だった」 と言っていた。祖父は10人きょうだいの長男で、きょうだいや家族を養うために必死に働いたと聞いた。当時では当たり前かもしれないが、私にとってその働き方はとても眩しく感じた。いま思うと祖父の生き方を知ることで、私の働き方は大きく変わったように思う。翌年の秋に医療用医薬品を扱うMRという職業に転職し、がん患者様への治療を医師に情報提供する仕事をするようになった。

    不思議なもので同じタイミングで『致知』や『大学』、若獅子の会の仲間との出逢いがあった。仲間と毎月集い、『致知』に触れることで、懸命に生き抜いた祖父の存在がより身近に感じられ、改めて尊敬の念を抱くことも多い。

    『大学』には「格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下」という言葉がある。世の中をよくしたいならば、自分自身を修め、家族を守れる自分にならないことには、大事を成すことはできないという教訓である。家族を守り続けた偉大な祖父に少しでも近づいていけるような自分になるべく、これからも『致知』に学んで自分を修めていきたい。

    『致知』は自身を目覚めさせ、行くべき先を 懐中電灯のように照らしてくれる道しるべ

    ドイツ在住 橋詰いづみ 様

    ドイツに住み始めた頃、心寂しくなりがちの私を支え、そして慰めてくれたのが月刊誌『致知』でした。いまでは毎月『致知』が届くと、日本の心の友が訪ねてくださったような喜びを感じます。『致知』は日本語のブラッシュアップ、そして日本の現状を深く知る手掛かりに役立っています。そして何よりも、いろいろな分野で活躍されている先駆者の方々が、苦しみ、もがきながら現在に至るまでの話を読むと、魂が揺さぶられます。

    私にとって『致知』は自身を目覚めさせ、暗闇の道中、行くべき先を 懐中電灯のように照らしてくれる道しるべです。

    『致知』を読んでいた折、ある男性の「致知と私」の投稿文が目に止まり、ドイツでも 『致知』を購読していらっしゃる方がいることを知りました。 そのことがきっかけとなって、2015年6月に第1回木鶏クラブ立ち上げの会を開き、今年3月にデュッセルドルフ木鶏クラブが立ち上がりました。会はいま、デュッセルドルフ市内で行われています。デュッセルドルフ市は、日本企業約500社が集まり、約1万2,000人の日本人が住んでいる、欧州最大規模の日本人コミュニティーの街です。毎年、世界規模の日独交流ビッグイベント(日本デー)を開催。そこで、日本伝統の花火が華やかに打ち上げられます。その花火の美しさを見る度に、日本人であることを再確認させられます。

    現在では、デュッセルドルフ木鶏クラブをとおして真摯に生き方を探求している方々と交流を持ち、そして話せる仲間ができました。そのことによって、随分と生きやすくなってきたことを感謝している毎日です。これからは海外でも、さらに多くの方に『致知』を知っていただくことで、日本人の心、そして文化を忘れない環境ができればいいと考えています。

    『致知』の内容を見て「定期購読をしてこれで一冊800円くらいだったら安いものだ」と実感

    岐阜県 公務員 細江 隆一 様

    私が『致知』と出会ったのは、たまたま聴講の機会を得た致知出版社の藤尾社長の講演会でした。弾丸のように言葉が飛び出してくる社長の講話にびっくりしながらも、聞いているとじわっと心に染みてくる内容に心を惹かれていました。「人間学」という言葉もそこで知り、「いま私たちに必要なものは人間学である」という言葉には感銘を受けました。

    その時、藤尾社長が私たち聴衆に「『致知』を購読している人はここに何人いますか?」と聞かれました。私も手を挙げなかったのですが、気になったので、後になって図書館で『致知』を手にしてみると、なるほど「人間学」について詳しく書いてある。「定期購読をしてこれで一冊800円くらいだったら安いものだ」と実感しました。これが私の購読のきっかけでした。

    初めて『致知』が届いた時、何度も読み返しました。そして、次号が届くのが待ち遠しくなりました。私は『致知』は読み返すことで、「ああ、そうだよなあ」と納得できるための雑誌だと思っています。いままで雑誌は購入すると、何度か目を通した後捨てていましたが、『致知』だけはそうできない気がします。そのため、いまも本棚の隅に置いてあります。というのも、自分が気になったところには赤線を引いているし、読む度に励まされるからです。

    よい雑誌は捨てられないものなんだ、と改めて思っているところです。

    最初は『致知』を購入するかどうか迷っていました。けれど、最終的には他の雑誌の定期購読をやめて購読することに決めました。今後も『致知』が届くたびに、人間として一歩成長した自分を確認できるようになりたいと思っています。いまは記事をつぶさに読みながら、「人間学」を身につけているところです。これからも『致知』を愛読していきます。

    『致知』から得た学びを日々の生活で生かすように心がけておりいまや私の人間形成に欠かせない存在になっている

    東京都 公立中学校教師  久田 和義 様

    私が初めて『致知』の存在を知ったのは20年前のことです。ある席で職場の同僚が「いい本がありますよ」と興奮しながら一冊の本を見せてくれたのです。それは神渡良平氏の『下坐に生きる』でした。その時、中身をよく見させてもらったわけではないのですが、不思議なことに私は直感的にその本が欲しくなり、出版社を聞き、翌日には本屋に注文して取り寄せてもらいました。

    恥ずかしい話ですが、その時まで私は致知出版社の存在を知りませんでした。そして、その神渡氏の本をとおして私は中村天風氏や森信三氏の著作を知ることになり、その後、森氏の著書を貪るように読むようになりました。当然ながら『致知』の定期購読もすぐに申し込みました。私はそれまでも生きる上で大切なことを様々な読書をとおして学んできましたが、致知出版社の本はそれらの学びにさらなる深さと広さを与えてくれました。年齢的にはちょうど40歳になろうとしていた頃でした。生きていく上で何を拠り所にすればいいのか、ぶれない軸が欲しい。そんなことで迷っていた時期に『致知』に出逢ったことで、まさに「不惑の四十」を迎えることができたという思いです。『致知』の創刊理念を見ながら「真剣に生きるための人間学」を自分自身のテーマにしようと思ったのです。以後、『致知』がポストに届くのを楽しみにする生活が始まりました。

    また、致知出版社からの新刊には必ず目を向ける日々が続いています。さらに、致知出版社主催の講演会や記念行事にも多く出席させてもらい、数え切れないくらいの感動と学びをいただいてきました。毎月『致知』が届くと、私はすぐに本文を読まずに、まずは表紙にある特集テーマを見て沈思します。いまの時代、そしていまの自分にとってその言葉が持つ意味、抱えている課題について考えるのです。表紙を見るだけでも、居住まいを正される思いをすることすらあります。『致知』を読みながら、私は印象に残った言葉や文にマーカーを引き、さらにノートに書き写すことを習慣にしています。そして、それらの言葉から得た気づきや学びを日々の生活の中で活かせるよう心掛けています。そのような言葉は『致知』のあらゆる場所に鏤められていて、『致知』はいまや私の人間形成に欠かせない存在になっているのです。

    申し遅れましたが、私は現在公立中学校の教員をしています。これから先の時代を生きていく子供たちには学力だけでなく、生きる力、そして人間力を身につけてほしいと思っています。そんな思いを「学年通信」や「学級通信」の形で伝え続けてきました。私自身が人生経験や人との出逢い、読書をとおして学んだこと、感動したことを毎回1,000字から1,500字くらいの文で綴り、生徒たちに届けてきました。多い年で年間200号を出し、今年で十八年目になります。よりよく生きていくために人として大切なこと、幸せに生きるヒントなどが一貫したテーマです。そして致知出版社から出される書籍には、それらの参考になる本が豊富にあり、いままでに何回も活用させていただきました。
     
    読書好きの私にとって『致知』は私の読書の幅と奥行きを広げてくれた月刊誌です。

    『致知』および致知出版社の書物を読むことで、どれだけ視野が広がり、人間観が高まったことでしょう。一方で年齢を重ねれば重ねるほど自分の無知を思い知らされます。
    これからも『致知』を読み続けることで己の無知を戒め、自分自身をさらに磨いていきたいと思います。

    『致知』は私にとって人生のよりどころであり、「自分の心をきれいにするお守り」です

    大阪府 学校法人グロービス経営大学院 副研究科長 村尾佳子様

    私は、現在学校法人グロービス経営大学院で常務理事を務めています。『致知』と出逢ったのは今から約10年前、弊社代表・堀の推薦で、致知出版社から出ている『修身教授録』に出逢ったことがきっかけです。

    『修身教授録』の中で、森信三先生の「最善観」という考え方に出逢ったことで、私は嫌なこと辛いことがあっても、それすらも感謝と思えるようになりました。『修身教授録』を何度も読み返すことで、どう生きるか、何のために生きるのかという人生の軸を持つことができました。それは『致知』も同じです。

    『致知』は私にとって人生のよりどころであり、「自分の心をきれいにするお守り」です。自分の心をきれいにして曇らないようにするために『致知』を読んでいます。いつもベッドの横に置いて寝る前に読み、心を整えてから寝ると良い状態で目覚められます。また、最新号だけではなく、あちこちの部屋にバックナンバーを置いていて、ぱっと開いたその時に目に留まった言葉との出逢いを大事にしています。本、そして『致知』には、著者が一生かけて経験し学びとってきたことが書かれている、と私は思っています。著者が一生をかけて学んできたものを得られるのが読書。だからこそ、多読するよりも、自分と向き合いながら、良い本をじっくりと読み、自分の経験と先人の経験を照らし合わせることに価値があると感じています。そして、「言葉の数だけ人生は豊かになる」とも考えています。言葉が貧困だと、豊かな世界を考えたくても考えられなくなってしまう。しかし、先人の凝縮された言葉を読むことによって豊かな世界に生きることができます。

    『致知』はまさに、珠玉の言葉に出逢え、価値観を広げて行ける読み物です。『致知』を読むことで自分の世界が変わっていることを感じます。さらに、定期的に読み返すことによって自分の成長を感じたり、ピンとこなかったことがピンとくるようになったりと、自分自身の人間としての成長を感じることができます。分かったと思ってしまっていた言葉の奥深さに、経験を積むたびに気づく。わかったわかったなるほどね、と浅いところで思ってしまわぬよう、深いところまで理解するために経験を積むことを心掛けています。人生は心で思った通りの結果になります。だからこそ、自分の心をきれいにして曇らないようにするために、「心をきれいにするお守り」である『致知』をこれからも読み続けていきます。

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