『致知』に寄せられたお客様の声

『致知』を読んでのうれしいお便りがたくさん届いています。 ご感想の一部を紹介いたします。

  • 『致知』11月号を読み、自分が恵まれていること、感謝を忘れてはいけないことを学んだ

    福岡県 中学3年生 阿部 由壱人 様(15歳)

    私は、『致知』11月号の34ページから38ページの松崎運之助さんが書かれた「人生の苦しみや悲しみが人間の根を深くする」の中に書かれている「感動を失うな感動できる自分を失うな」に焦点をあてて読みました。 私は「感動を失うな感動できる自分を失うな」を読み終えた時2つ感じたことがありました。

    1つ目は今、自分が学校で学ぶ事ができている環境はとても恵まれていると初めて感じた事です。今の日本は義務教育で小学校、中学校は無償で学ぶ事ができる環境が整っていますが、昔は家が貧しくて学校に通いたくても通えなかった人や戦後の混乱で通えなかった人がいたことを知りました。さらに、それでも学びたいという強い思いを持ち、15から80歳の人達が昼間働きながら夜間学校に通い一所懸命に学んでいた人達の事も知りました。今何不自由なく学ぶ事ができている環境が整っているという事に感謝すべきだと感じました。

    2つ目はすべてのことに感謝を忘れてはいけない事です。この世界に生を受けた事、健康である事、何不自由なく学べている事、自分を支えてくれる家族や友人がいる事などは当たり前の様ですがけっして当たり前では無い事をとても感じ全ての事に感謝すべきだと身に染みて思いました。

    私は1年を通して人間的に1皮、2皮剥けて成長したいと思いました。

    新人の立場でも、『致知』の学びを先輩に伝えたことが自信につながった

    山梨県 会社員 渋江 志織 様(23歳)

    私が『致知』と出逢ったのは、いまから約1年前です。母の職場の上司が教えてくれ、母と一緒に読むようになりました。現在、社会人2年目を迎え、仕事に対してどういう気持ちで臨んでいけばよいのか、日々悩んでいます。職場には本当に尊敬できる方たちが多く、恵まれた環境に感謝しています。その一方で、皆と同じ熱量で仕事に臨むことが難しいと思うようになっていきました。そんな時、私は『致知』を読むようにしています。

    落ち込んだ時、困った時、すぐに『致知』を手に取ることができるよう、『致知』だけは机の上に常に置きっ放しにしておいてほしいと母にお願いしました。難しい内容もありますが、誌面を通して様々な人との出逢いがあります。会うことができないような遠い存在だと思っていた偉人にも、会えるような感覚です。

    現在、新型コロナウイルスによって会社というスケールではなく、働く人、一人ひとりの身体、精神に影響を及ぼしていると感じています。この中、会社を良くするために、何ができるだろうかと考えた時、『致知』を使った勉強会、社内木鶏会のことが頭に浮かびました。そして尊敬する先輩に『致知』や社内木鶏会のことを話しました。今、その先輩は『致知別冊「母」』を読み、さらに私が持っている『致知』を読んでくれています。

    新人という立場でありながら、『致知』のよさ、社内木鶏会の存在を伝えられたことに、私自身が『致知』によって成長させてもらっているのだと感じました。『致知』に出逢えたことに感謝し、これからも一人でも多くの人たちに『致知』を伝え、私自身も成長していきたいと思います。

    逆境の中にいた私に『致知』は生きる使命を教えてくれた

    東京都 グロービスディレクター 鳥潟幸志様(39歳)

    私は現在、グロービス経営大学院で教員の仕事をしながら、オンライン学習サービスの新規事業のリーダーを務めている。39歳の私が初めて『致知』と出逢ったのは、30歳前後のタイミングで尊敬する先輩に紹介されたのがきっかけである。  

    私が『致知』から学ばせていただいた最大のメッセージは、縦軸と横軸の中で生かされていることへの感謝である。縦軸は、悠久の歴史の中で先人たちの犠牲の上に生かされていることへの感謝と次世代への責任。横軸は、この時代に日本という国で生きていることへの感謝と世界への貢献責任である。 『致知』に出逢う前は縦軸・横軸の概念はなかった。20代前半で友人と起業した私は、事業を大きくしたい、豊かになりたい、会社を有名にしたいという自分軸が中心だった。

    しかし、東日本大震災の影響で順調だった事業も赤字に陥り、会社を守る名目で希望退職を敢行した。社員を首にするという過程を通じて精神的に追い詰められ鬱病になった。まさに人生の暗黒時代。休職期間中、『致知』を通じて知った『論語』を読みながら自分の使命を考えた。お金、肩書よりも大切なこと、それは家族と教育を通じて社会に貢献することの2つだった。  

    その後、自分の使命を果たすため、いまの会社に転職。肩書は副社長から平社員、給与も半分以下になった。経験・実績のない私が成果を出せるわけもなく焦りが募った。その際に心の支えになったのは『孟子』の「先義後利」という言葉。先に果たすべき義務に向き合った後、利益がついてくる。この言葉を心の中で何度も反芻した。  

    変化の激しい時代、人生には想定外の荒波が押し寄せる可能性もある。しかし何が起きてもうろたえず、自分・家族・職場・地域・国家の指針を自分なりに打ち出せるよう、常に修養を怠らないよう生きていきたい。

     

    生きるとは、「周りの人の幸せをつくること」と気づくことができた

    茨城県 農業 鈴木美香さん(26歳)

    『致知』との出逢いによって私は2度人生を見つめ直すことができました。  

    1度目は、先輩に紹介していただき初めて『致知』を知った大学4年生の時。就職活動中だった私は、自分が楽しく仕事ができそうな会社ばかり面接を受けていました。しかし『致知』に登場される方々は自分本位ではなく、ともに働く社員はもちろん、その家族、お客様、ひいては自分が生まれた国のためという意識をお持ちです。それまで自分のことにしか目がいかなかった私にとって衝撃でした。同時に、いまの自分がいるのは両親や周りの方のおかげであることにも気づかせてもらい、感謝の念を持つことができました。社会人となったら周りの人のために生きよう。そう心新たにさせられ、その後の就職活動においても信念を持って臨むことができ、素晴らしい会社に出逢えたのは、自分を見つめ直すきっかけをくれた『致知』のおかげと思っています。  

    2度目は結婚を機に仕事を辞めてからです。東京から茨城に移り、旦那の家業である苺農家を手伝うことになりました。東京では志高い仲間とともに勉強会などに参加する日々でしたが、家事や仕事で足を運ぶことができなくなり、目の前の仕事に淡々と打ち込む毎日が続きました。以前は常にバッグに入れていた『致知』も読む機会が減り、未開封のまま本棚にしまわれていきました。そんな時期が数か月続いたある日、ふと本棚を見ると目に入ったのは、致知出版社から出ている鍵山秀三郎先生の『凡事徹底』の本でした。「凡事徹底」とは「当たり前のことを人ができないくらい一所懸命にやる」という意味です。  

    いま私は「生きる」という当たり前であり、一番大切なことが雑になっていないかと考えさせられました。生きるとは何か、そのヒントをもらうべくすぐに読まずにためていた『致知』を開きました。  再度『致知』と出逢い、多くの言葉のシャワーを浴びて、改めて生きることを深く考えさせられました。いま私にとって生きるとは、自分のいる環境において周りの人の幸せをつくることです。そのために何ができるか考え、少しずつですが邁進している次第です。 『致知』を読み始めて早5年。人生の転機にはいつも『致知』がありました。これからも『致知』とともに人生を歩み、仕事や家庭において一隅を照らす人となれるよう精進していきたいと思います。 いま、『致知』の輪は国内のみならず国外へと大きく広がっています。 それは確実に、それぞれの地域に根を下ろしています。

    「一人の人間として成長し続けなさい」亡き父の教えを『致知』から学び、経営に生かしている

    大阪府 ベストバイ社長 福嶋 穂高 様(33歳)

    「まだやりたいことがある。だから俺は病気に負けない」そう豪語していた父親が60歳で亡くなったのは、昨年の3月5日のことでした。以来、2代目として事業を継承し、早いもので1年が経とうとしています。いまでも悔やまれるのは、創業者である父親と、仕事について何一つ話をする機会を持てなかったことですが、そんな私の心の隙間を埋めてくれたのが『致知』でした。私の両親は『致知』の熱心な愛読者で、私が社会人として働き始めるようになると、折に触れて読むよう薦められたものです。 しかし、当時の私には難しそうな雑誌というイメージしか持てなかったのが正直なところでした。

    銀行マンという仕事柄、企業のトップとお会いする機会が多かったこともあって、独立を意識するようになったのは28歳のこと。しかし、独立という夢を描いてはいても、なかなか行動に移せないものです。そこで30歳にして退路を断つために会社を退職したところ、それと前後して知らされたのが父親の病気のことでした。 独立か事業継承か、私は迷いました。

    しかし、不思議な巡り合わせにある種の宿命を感じずにはいられません。また、創業から16年を迎えた総合リサイクル事業を継いでほしいという父親の思いもまた、私を後押ししたのでした。入社後、僅か数年で父親の跡を継いだ後は、それこそ重責に潰されそうな毎日でしたが、そんな苦しみから私を救ってくれたのが『致知』でした。自分とは比べ物にならないほど苦労を乗り越えてこられた方々の体験談に、どれほど勇気をいただいたことでしょう。

    それだけではありません。事業継承の手続きがひと段落して最初に手にした『致知』6月号の特集テーマが、なんと「父と子」だったのです。私には父親からの贈り物のように思えてなりませんでした。 残念ながら、生前、父親とは『致知』について語り合う時間を持つことは一度もありませんでした。しかし、いまではなぜ私に『致知』を薦めてくれたのか、その訳が少しずつですが分かってきたような気がしています。経営者である前に、一人の人間として成長し続けなさい、と。鋭い決断力で経営の舵取りをする一方で、常に笑顔で周囲を包み込むような優しさを持った父親は、まるで太陽のような存在でした。そんな偉大な父親の背中に少しでも近づけるように、これからも『致知』に学んでゆく所存です。

閉じる