『致知』に寄せられたお客様の声

『致知』を読んでのうれしいお便りがたくさん届いています。 ご感想の一部を紹介いたします。

  • 「何のために働いているのか」見失いそうだった自分の考え方を変えてくれた

    千葉県 株式会社スポーツフィールド 関東Div.新卒採用支援事業Sec.長  田中 渚 様(31歳)

    「何のために働いているのか」見失いそうになり転職を考えていたある日、吉浦剛史さんが中途で入社してきたんです。私と年齢が一歳しか変わらない吉浦さんがイキイキと働いていたので、「自分も変わりたい。営業を教えてほしい!」と思い、「どんな本を読んでいるんですか?」と吉浦さんに聞いてみました。その時に紹介された本が『致知』でした。てっきり営業のノウハウ本を紹介してくれるのかと思っていたので、拍子抜けしましたが、借りて少しずつ読んでいるうちに、もやもやしていた気持ちが次第に晴れていくのを感じました。

    『致知』を読み始めて2か月後、吉浦さんと致知愛読者の元U17サッカー日本代表監督で現在は学校法人ヴォーリズ学園副学園長の松田保先生と私の3人で致知出版社主催の「新春特別講演会」に参加しました。その車中で「なぜ『致知』を読むのか」と松田先生に伺ったところ、「『致知』は人として生きていく上で大切なものを教えてくれるから読んだ方がいい」と仰っておられ、私も「人間学についてもっと学びたい!」という思いが高まり、年間購読をスタートしました。

    今まで自分で決断し一つのことを成し遂げたことがあまりなかった私ですが、本格的に『致知』を読み始め、いろんな人の生き方に触れることで、「自分のためにもっと生きていい。自分に誇れる生き方をしたい」と思うようになりました。また、自衛官である父親や主人に対して、どこか誇りと自信を持てなかった自分がいましたが、国のために働く自分の父親と主人を誇らしく思えるようになったことも大きな変化です。

    吉浦さんに『致知』を紹介されていなかったら、今の私はいませんでした。また、結婚して、子供を産んで仕事に復帰してからも『致知』は自分の在り方をいつまでも省みるきっかけになっており、今後も読み続けたいと思います。

    『致知』によって自分自身、そして勉強会の仲間が成長した

    北海道 プルデンシャル生命保険株式会社 高塚 伸志 様(57歳)

     『致知』とは、2度出会っています。1度目は、20年以上前に行われた『致知』編集長の講演会です。講演内容に感動し、すぐに読み始めました。しかし、みるみるうちに積読になり、2年程で購読を止めてしまいました。数年後、尊敬している先生から『致知』をお薦めいただいたのが2度目の出会いです。その先生のご縁で藤尾社長にお会いした際に、「『致知』を読んでいるかどうかは毛穴の感覚で分かる。全部読まなくていい。総リードだけ読みなさい」と言われ、その言葉に発奮し、再び読み始めました。不思議なことに、心を入れ替えると、毎号の総リードでは今の自分にぴったりの言葉が心に染み込んできます。

     現在、『致知』を読み続けて16年になります。困難や大変なことが起きても以前より驚かないようになりました。自分よりもはるかに大変な困難を乗り越えてきた『致知』にご登場の一流の方々の体験談を、疑似体験することで、一旦立ち止まり、自信をもって一歩踏み出せるようになりました。現在もライフプランナーとして働かせていただいているのも『致知』があってこそです。

     また、5年前に始めた有志で始めた『致知』勉強会である『社内木鷄会』も大きな財産です。 メンバーの中には、売り上げが大幅に伸びる方、マネージャーとして活躍する方などもいて、次世代を担う人材育成の場となっています。コロナ禍で、リアルでなかなか人と会えない中、『致知』という同じ釜の飯を食べることが、ご縁のある方との心を通わせる懸け橋になっています。まさに『致知』は「絆チケット」です。これから先、「成長・学び・貢献」を軸として、『致知』からのご縁を大切に『致知』と共に歩んでいきます。

    父の会社を継ぐ覚悟がなかった自分が、『致知』から経営者としての生き方を学んだ

    東京都 株式会社クリス・クロス 代表取締役 中里昂平様(29歳)
    
    

    僕はいま、父親の創業した雑貨店の2代目として、地域の笑顔発信地になれるように、会社を経営しています。父親の跡を継ごうと決めてから、僕は知識と経験を積むために、大手雑貨チェーン店へ就職をしました。様々な仕事を覚える中、ある想いが湧きました。「このままぼーっと過ごして、会社を幸せに、経営できるのか」という不安です。そんな時に、父親の机に置いてあったある雑誌を手に取り、読み始めました。人間とは、経営者とは、どう生き、どうあるべきかが書かれたその雑誌に、僕は夢中になりました。それが『致知』でした。生かされている人生の中で、自分ができる最大限の力を使って、投げ続けることが大切だと気づきました。いろいろな言葉を受け取れるかどうかも、最終的には自分が懸命に生きているかどうかとも教えていただきました。いまの僕と、『致知』に出逢う前の僕とは、全く別の自分になっていると思います。自分が成長していく過程で、『致知』はなくてはならないものです。『致知』と出逢わせてくれた父親には感謝しています。『致知』は僕の、いや日本にとっての太陽です。

    石川県 社長 辻幸雄75歳
     「辻さん、『致知』っていう書店では扱っていない非常によい内容の月刊誌があるんだけど、よかったら見本誌を一冊送りますよ」  2006年6月、地元で知り合った方に、こんな言葉をかけられたのが『致知』との最初の出逢いでした。 この年は、私にとって人生の大きな転機だったと言えます。3月にプリント基板実装の会社を立ち上げ、大海に乗り出したばかりでした。そうした時期とも重なったからでしょう。様々な人生体験が紹介された『致知』は、次第に私の心の支え、経営の指針というべき存在になっていったのです。 しかし、現実の経営は逆境の連続でした。最大の試練は創業から2年後に直面したリーマン・ショックです。当社も売り上げが激減し、倒産の危機に瀕しました。 それでも私は、「ここで会社をやめれば、これまでの学びも努力も水泡に帰してしまう、社員も路頭に迷ってしまう。絶対に自分はやめない、諦めない」と何とか危機を乗り切ることができたのです。何があっても、とにかく諦めない、挫けない、やり続ける――この姿勢も『致知』から学んだことです。 創業から14年。従業員は90名にまで増え、いまでは『致知』をテキストとした社内木鶏会も実施しています。「御社は活気がありますね。一度、朝礼の様子を見学させてください」と近隣の会社から嬉しい声もいただくようになりました。
    神奈川県 キユーピー元副社長 上原隆雄様(84歳)
    私が『致知』を読み始めたのは、かれこれ30年以上前のことです。マヨネーズやドレッシングで知られるキユーピーの専務時代でした。  その頃、顧問を務めてくださっていた三菱商事の後藤潔さんから「いい月刊誌があるから」と薦められ、それ以来、84歳になる現在まで愛読しています。「この人は」と思う人には一年間の購読をプレゼントし、喜んでいただいています。 『致知』を読み始めたのには、一つの理由があります。創業者・中島董一郎(一八八三~一九七三年)の思いを、社員に分かる形で伝え、かつそれを残しておきたいと思ったのです。中島の清廉潔白な人生や経営に対する考え方と『致知』の説く教えはどこか通じ合うものがあり、『致知』に登場する経営者の言葉や古典の教えを交えながら伝えれば、社員はより深く理解してくれるのではないか、というのが私の思いでした。  大正時代、若き中島は留学先のアメリカでマヨネーズと出合います。日本人の栄養不足の現状を鑑み、「マヨネーズによって日本人の体を元気にしたい」という志を立て、それを生涯貫きました。  その中島は最晩年、「世の中というものは存外公平である」という言葉を残しています。  ある時は正直者が馬鹿を見て、ずるい者が得をしたり、横着な人が仕合わせであったりするように見える場合が往々にしてあるが、永い目で見ると誠実な人、道義を重んじる人が認められるというのが世の中である、というのです。実際、中島は「こんな人間がいるのだろうか」と思うくらい頑なに道義を大切にする実直な人でもありました。  ・・・とはいいつつも、創業者が他界して随分と時が流れ、その謦咳に接した社員が減るにつれて、創業の精神が少しずつ薄れていったことも確かでした。『致知』から学んだ先哲の言葉や数々の実体験、私の拙い体験を交えながら、創業者の思いを後世に伝えておくことは、中島に厳しく叱られながら育てられた最後の世代としての大切な努めだと思ったのです。 『致知』を読むことによって、これからも自分を磨き、私を育ててくれた創業者の思いに一歩でも近づきたいと思うこの頃です。
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