『致知』に寄せられたお客様の声

『致知』を読んでのうれしいお便りがたくさん届いています。 ご感想の一部を紹介いたします。

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    『致知』との出逢いが人生を豊かにしてくれた
    神奈川県在住 小川由佳さん(43歳)

     『致知』との出逢いは30歳を迎えた頃のことでした。当時手に取ったある本をきっかけに毎日様々な名言が配信されるメルマガを購読しており、その中で「『致知』は名言の宝庫だ」と紹介された一文を目にしたのです。その言葉にかれ、夫にクリスマスプレゼントとして『致知』を贈ってほしいとお願いし、1年間の購読がスタートしました。

     初めて『致知』を手に取った時は「難しそうだな」と思ったものの、ページを開くたびに様々な方の生き方や人生を学ぶことができ、その魅力にのめり込んでいきました。夫からプレゼントされた1年間の購読が終わった後も自分で3年購読を申し込み、今年で13年目になります。

     これまで仕事で人間関係の悩みや失敗を経験するたびに『致知』を通して様々なヒントをいただいてきました。どんなに素晴らしい方も、失敗や挫折から這い上がっていまがあることに何度勇気づけていただいたか分かりません。私もこんなことで悩んでいてはいけない、もっと頑張ろうといつも背中を押してくれる存在が『致知』なのです。これまで心に残っている記事は数多くありますが、故・渡部昇一先生の連載や中西輝政先生の記事には、タイムリーな世界情勢だけでなく、その中で日本はどのように進むべきなのか、道筋を示していただき、毎月楽しみに拝読していました。

     また、『致知』をきっかけに森信三先生の教えや言葉、書籍と出逢えたことも私の人生に大きな影響を与えてくれました。いまでは『修身教授録』をテキストに『致知』愛読者の方々と2週に1度輪読会を行い、学びを深めています。さらに「実践」の重要性を説かれた森信三先生の教えにならい「致知随想」で登場された方の活動に、ボランティアで参加したこともあります。『致知』の誌面から得た感動を原動力に、実践に移すことで私自身の人生もどんどん豊かになっていくことを実感しています。

     『致知』の魅力は、いろいろな方の考え方、生き方に出逢えるということ。まさに「人生の教科書」とも言える中身の濃さにあります。

     これからも『致知』の体験談、登場される方の生き方・考え方にしんに学び、森信三先生の言われる「実践」を通して自分を成長させていきたいと思います。

     

    『致知』を読める時代に生を享けた奇跡に感謝

     

    広島県在住 兼子恭和さん(36歳)

     2011年の春、私は失意の真っ只中におりました。新卒でご縁をいただいた会社に就職したものの、約1年後にリストラ宣告を受けてしまったのです。

     いま思い返せば、それは当然の報いでした。上司の言うことを聞かずにぼうじゃくじんな立ち居振る舞いをする、仕事で結果を出せないのにプライドばかりが高く、できないことをひた隠しにしては周囲に嘘をついてごまかす。そんな最低、最悪な新入社員でした。

     『致知』と出逢ったのは、退職を告げられてから数か月後でした。直属の上司、関西致知若獅子の会(20代、30代の『致知』読者による勉強会)元代表世話人である和田真吾さんが、『致知』を1年間ギフトしてくださったのです。

     和田さんがなぜ私に『致知』をギフトしてくださったのかは定かではありません。きっと私の行く末を心配してくださっていたのでしょう。「俺の言うことは聞かなくても、『致知』を通して学ぶことはしなさい」というメッセージに違いない。そう受け止めた私は、以来『致知』を12年間購読し続け、中国致知若獅子の会では世話人も務めさせていただきました。

     『致知』という1冊の本との出逢いがきっかけとなり、私は次の7つの出逢いを果たすことができました。

    ・若獅子の会というコミュニティとの出逢い
    ・真剣に生きる同世代の仲間との出逢い
    ・人生を生きる上で大切な指針となる言葉との出逢い
    ・先人、偉人との出逢い
    ・素晴らしい感想文、美点凝視という考え方との出逢い
    ・自らの使命との出逢い
    ・心を整える習慣との出逢い 

     おかげさまで、いまでは素晴らしい家族にも恵まれ、幸せを噛み締めながら毎日を過ごしています。学びを継続し、実践を重ねるほどによくないものが遠ざかっていく感覚があり、最期の時を迎えるまで生涯学び続けようという覚悟も定まりました。

     『致知』を世に送り出し、守り続け、進化を続けてこられた藤尾社長に心からの感謝と敬意を表します。本当にありがとうございます。『致知』が読める時代に生を享うけた奇跡に感謝をし、これからも『致知』に学び続けてまいります。

     

    致知』は心の栄養剤

    岡山県在住 山下花慧さん(65歳)

     『致知』との出逢いはいまから約25年前。義兄から勧められ、ハガキ道伝道者・坂田道信先生の講演会に参加したのがきっかけでした。先生の講演に感動し、教えていただいたハガキ道の実践に励んでいたところ、先生から「『致知』といういい雑誌があるから、読むといいですよ」と教えていただいたのです。さっそく申し込んだあの日から早25年が経ちましたが、これまで毎月届く『致知』を楽しみに拝読してきました。

     定期購読を申し込んだ当時は3人の男の子を育てる専業主婦で忙しく、自由に外出することが叶いませんでした。そんな私の楽しみは、夜、子供たちを寝かしつけてから『致知』を読むこと。そこで出逢った記事や言葉にどれだけ励まされ、元気をいただいたか分かりません。

     『致知』の魅力は、大企業の経営者などの著名な方に限らず、人知れずいちぐうを照らしておられるせいの方々の素晴らしい生き方から学べるところにあります。普通に生きている私たちが、どうすれば幸せに生きられるかを教えてくれる唯一無二の月刊誌なのです。特に鈴木秀子先生からは、人生にどんなことが起きたとしても、それをどう受け止めるのかは自分次第だという、大切なことを学ばせていただきました。

     『致知』の購読を始めて数年が経った頃、義兄が経営するクリニックの併設ホールで働くこととなり、セミナー講演会の企画・運営に携わりました。ここでも『致知』から教わったことを「仕事の基礎」として、私にできる小さなことから実践しようと常に心掛けてきました。私たちは身体の健康のために、よいサプリや食べ物を摂ろうと意識しますが、心の栄養に関してはおざなりになりがちです。私は25年間、毎月欠かさず『致知』から心の栄養をいただいたことで、子育てにも仕事にも全力で取り組むことができました。 

     退職したいまは、『致知』に登場された櫻井よしこ先生などの記事に触発され、子供たちの未来のための活動に力を入れています。私にできることは小さいかもしれませんが、これからも『致知』という人生の道標に学び、お役立ちの活動を続けていきたいと思います。

    字は読めなくても生きる限り『致知』と共に

    長崎県在住 田島初子さん(75歳)

    『致知』との出逢いは、50代も半ばを過ぎた2004年のことでした。私は高校卒業後、長崎市内の鉄工所に就職。18歳からずっと経理の仕事にたずさわる中、出張の折に高校時代とてもお世話になった恩師と再会し、話し込むうちに「あなた〝ちち〟を読んだら?」と言われました。どんな字で書く本かも聞かないまま地元に帰ると、数日後、恩師から年間購読をプレゼントされたのです。仕事が忙しく、すべてを読み切ることはできませんでしたが、みの薄かった文学や古典、特に『論語』の教えがストンと胸に落ちてきました。さらにこれまで働き続けてきた自分へのご褒美として、毎月開かれる致知出版社のセミナーを聴くために東京へ足を伸ばすようになりました。境野かつのり先生や田口よしふみ先生、安岡定子先生の講義もよく聴きましたが、故・さとる先生の『論語』は特にお気に入りでした。

     結局、鉄工所には丸50年勤めて7年前に退職。しかしその矢先、40代から兆候のあった「網膜色素変性症」が悪化し、ほとんど目が見えなくなってしまったのです。眼科で指摘された頃は横に人がいても分からない、暗くなると見にくい程度だったのが、大好きな『致知』も満足に読めなくなり、コロナの世の中になってからは出かけることも、セミナーを聴きに行くことも難しくなりました。

     これじゃいけない。2021年の春先、私は小学校時代の同級生を思い出し、「私に本を読み聞かせてくれない?」とお願いしました。二つ返事で引き受けてくれた彼女に『致知』を見せると「こんな難しい本、読めるかな」と不安そうでしたが、いざ読み始めると、感動するのに時間はかかりませんでした。彼女の読み聞かせは月曜と水曜、そして金曜か土曜の週に3回。朝8時半から10時半の2時間が基本です。毎回、対談など長い記事を読み、後半に昔は読めなかった連載まで読んでもらいます。1号分読み切るのに3週間ほどかかりますが、最後に鈴木秀子先生の「人生を照らす言葉」を読むと、2人とも心を洗われる思いです。

    彼女が読めない難しい漢字は、手の平に書いてもらって「ああ、あの字じゃないかな」と予想します。よい言葉も目で見られない分、聴くだけでは頭に入らないこともあり、毎回録音して後で聴き直し、やっと理解しています。 『致知』の誌面を通していろいろな分野の、いろいろな人との出逢いがあり、気軽に人と会えなくなった私のかけがえのない楽しみになっています。最近も田口先生や定子先生の記事を読んでもらいながらつい入り込んでしまい、生で聴いたお声がよみがえってきます。

     彼女も私への読み聞かせを「私の生きがいだから、車を運転できるうちは来るよ」と言ってくれています。『致知』を読み続けるために、「お互い長生きしようね」と言い合っているところです。

    『致知』は人間力を高める1番の教材

    宮崎県在住 西都市市長 橋田和実さん(69歳)

     『致知』との出逢いは、いまから約30年前、宮崎県議会議員を務めていた時のこと。宮崎県にあった西さい木鶏クラブで熱心に勉強されていた知り合いから勧められたのがきっかけです。残念ながら西都木鶏クラブは6年ほどで解散したと記憶していますが、『致知』だけは今日に至るまで長く愛読させていただいています。

     『致知』と歩んできたこの30年間は、私の政治人生と重なります。七転び八起きといいましょうか、これまで私は3度の落選を経験しました。平成17年2月から29年2月までは3期連続で市長に当選したものの、4期目に落選。このタイミングで「石井記念友愛社」の理事長で『致知』の愛読者でもある児嶋そうろう氏から「『石井じゅうの会』の会長をやってほしい」とお話をいただきました。

     石井十次は、明治時代に日本で最初の孤児院を創設した人物であり、「児童福祉の父」といわれています。「石井十次の会」は、石井十次の愛と理念を継承して、福祉・文化・教育活動を続けている石井記念友愛社のさらなる発展のために、物心両面から支援する団体です。大自然の中で農業や掃除をはじめ集団生活を通して、親からの虐待を受けた子供たちの心にある人間不信を取り払い、こころざしを育て、人間らしく教育していくことを主軸に置いています。 児嶋理事長から会長役をお願いされた時、初めは「私に務まるわけがない」とお断りしたものの、「いや、あなたにやってほしいんだ」という熱意に折れ、「それなら私も学ばせていただこう」と、会長に就任しました。4年間現場で学びながら子供たちと接し、政界には戻らないと決めるも、昨年1月に「どうしても出馬してほしい」と周囲からお声を何度もいただき、ありがたいことに2月に市長に就任したのです。

      絶えず人生を前向きに開拓していくことが大切であり、苦難を試練と捉え、乗り越えることで人間性が高まるとは、『致知』で学んだ精神です。一度市長を退いたのは「現場での実践を通して『致知』の教えをさらに深めなさい」という、天からのメッセージだったと受け止めています。 昨年末から西都市で未来リーダー塾を発足し、『致知』を教材に推薦したのは、私自身、『致知』を指針に生き、政治や教育、どんな分野でも人間力を高めるには1番の教材だと思い至ったからです。主催者に伝えると「これはいい雑誌ですね」と意気投合し、以来16名の20代、30代の受講生で月に1回勉強会を実施しています。

     『致知』では様々な人の生き方を学ぶことができます。実践せずとも、登場された方々の生きた学びを得られ、人生をより豊かにすることができると実感しています。

     死ぬまでが勉強。仕事は修練の場です。常に前向きに、どんな苦難が起きても「ありがたい」「天が期待してくれている」と受け止め、これからも歩んでまいります。

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