『致知』に寄せられたお客様の声

『致知』を読んでのうれしいお便りがたくさん届いています。 ご感想の一部を紹介いたします。

  • 「一人の人間として成長し続けなさい」亡き父の教えを『致知』から学び、経営に生かしている

    大阪府 ベストバイ社長 福嶋 穂高 様(33歳)

    「まだやりたいことがある。だから俺は病気に負けない」そう豪語していた父親が60歳で亡くなったのは、昨年の3月5日のことでした。以来、2代目として事業を継承し、早いもので1年が経とうとしています。いまでも悔やまれるのは、創業者である父親と、仕事について何一つ話をする機会を持てなかったことですが、そんな私の心の隙間を埋めてくれたのが『致知』でした。私の両親は『致知』の熱心な愛読者で、私が社会人として働き始めるようになると、折に触れて読むよう薦められたものです。 しかし、当時の私には難しそうな雑誌というイメージしか持てなかったのが正直なところでした。

    銀行マンという仕事柄、企業のトップとお会いする機会が多かったこともあって、独立を意識するようになったのは28歳のこと。しかし、独立という夢を描いてはいても、なかなか行動に移せないものです。そこで30歳にして退路を断つために会社を退職したところ、それと前後して知らされたのが父親の病気のことでした。 独立か事業継承か、私は迷いました。

    しかし、不思議な巡り合わせにある種の宿命を感じずにはいられません。また、創業から16年を迎えた総合リサイクル事業を継いでほしいという父親の思いもまた、私を後押ししたのでした。入社後、僅か数年で父親の跡を継いだ後は、それこそ重責に潰されそうな毎日でしたが、そんな苦しみから私を救ってくれたのが『致知』でした。自分とは比べ物にならないほど苦労を乗り越えてこられた方々の体験談に、どれほど勇気をいただいたことでしょう。

    それだけではありません。事業継承の手続きがひと段落して最初に手にした『致知』6月号の特集テーマが、なんと「父と子」だったのです。私には父親からの贈り物のように思えてなりませんでした。 残念ながら、生前、父親とは『致知』について語り合う時間を持つことは一度もありませんでした。しかし、いまではなぜ私に『致知』を薦めてくれたのか、その訳が少しずつですが分かってきたような気がしています。経営者である前に、一人の人間として成長し続けなさい、と。鋭い決断力で経営の舵取りをする一方で、常に笑顔で周囲を包み込むような優しさを持った父親は、まるで太陽のような存在でした。そんな偉大な父親の背中に少しでも近づけるように、これからも『致知』に学んでゆく所存です。

    「フォーミー(私のために)」だった自分から「フォーユー(あなたへ)」に変わった

    埼玉県自営業 上原 昌恵 様

    『致知』との出逢いはいまから5年前。大変お世話になっている会社の社長の奥様から、思いがけず致知出版社「新春特別講演会」のチケットをいただいたことがきっかけでした。私自身もいろいろと模索をしていた時期でもあり、新たなお仕事へのスタートの時でもありましたので、心弾む思いで参加させていただきました。偉大なお二人の話を聞くうちに、心がスーっとしたような想いでした。私はすぐに『致知』の購読を決めました。

    毎月届くのが楽しみで楽しみで、どこに行くにも持ち歩き寸暇を惜しんで読んでいます。自分の成長にいま何が必要なのか? 仕事で成功するためにどうしたらよいのか? 器を大きくするにはどうしたらよいのか?私にとっての課題は山積でした。その答えを見つけたくて読みました。すると、いつの頃からか心の中がどんどんすっきりしていくのです。求めていた答えが不思議と『致知』の中にあり、行き詰まっていた自分を解放できました。なかなか言葉で伝え辛いのですが、『致知』は汚れてしまった魂の垢を取り除いて、もともとの魂に少しずつ戻してくれ、私の使命を思い出させてくれる気がします。

    世の中には人生を変えると言われるようなセミナーがたくさんあります。それはそれでいいと思います。ただ『致知』がそれと違うのは、生まれた時に持ち合わせていた誠実、正直、優しさ、そのようなシンプルな生命を思い出させてくれることです。私自身どんどん心がシンプルになり、「フォーミー(私のために)」だった自分から「フォーユー(あなたへ)」に変わっていけたように思います。『致知』に日々触れることで、その気づきが早く訪れることを願い、私の周囲の大事な方々にも『致知』をお伝えせずにはいられません。

    『致知』は社会人の教科書

    奈良県 株式会社スポーツフィールド キャリアサポート推進室室長 吉浦剛史 様(32歳)

    大学卒業後、大和ハウス工業に入社。学生時代、勉強を全くせずスポーツ一本で社会人になった自分とは違い、ほとんどの同期が有名大学出身。入社時に体育会出身の同期と優秀営業マンになろうと決意しました。「売れる営業マンになるにはどうしたらいいか、建築以外にどんな勉強をしたら良いのか」と考えていた時、目に留まったのが店長室にあった樋口武男会長の推薦図書『致知』でした。「せめて自分の会社の会長が推薦している本は読んでおかないと同期の中で1番にはなれない」と思い、購読を開始。

    最初はスポーツ関連の記事しか読んでいなかったのですが、少しずつ前後の記事を読み始めました。そして、致知出版社主催の「20代30代のための人間力養成講座」に参加しました。藤尾社長の講演を聞いて、「『致知』が伝えたいことは何か。何を発信したくて『致知』があるのか」と考えながら読むようになりました。社会人になって勉強し始めた自分にとって、『致知』はまさに「社会人の教科書」でした。『致知』を読み続け1年目と3年目に優秀営業マンとして表彰していただきました。これは、まぐれではないと確信し、自分が好きなスポーツを仕事にしようと転職しました。

    『致知』は深山の桜という例えをされた方がおられます。「土手に咲いている桜ではなく、深い山奥に咲く桜。しかし、いい花を咲かせている限り、うわさを聞き、人は必ず、その深山に足を運んでくれる。そして、その深山に道ができるようになる」というお話です。『致知』は深山の桜だからこそ、これからも簡単に手に入ってしまう書店で販売してほしくないし、『致知』のブランドが下がらないよう「この人は!」という人にしか『致知』を紹介しません。

    最近、社内一の営業マンに「この人が読んでおいてくれないと我が社の営業の質が下がる」と購読を勧め、毎月感想の共有をしています。
    これからも『致知』に学び、周囲を照らしていきます。

    「何のために働いているのか」見失いそうだった自分の考え方を変えてくれた

    千葉県 株式会社スポーツフィールド 関東Div.新卒採用支援事業Sec.長  田中 渚 様(31歳)

    「何のために働いているのか」見失いそうになり転職を考えていたある日、吉浦剛史さんが中途で入社してきたんです。私と年齢が一歳しか変わらない吉浦さんがイキイキと働いていたので、「自分も変わりたい。営業を教えてほしい!」と思い、「どんな本を読んでいるんですか?」と吉浦さんに聞いてみました。その時に紹介された本が『致知』でした。てっきり営業のノウハウ本を紹介してくれるのかと思っていたので、拍子抜けしましたが、借りて少しずつ読んでいるうちに、もやもやしていた気持ちが次第に晴れていくのを感じました。

    『致知』を読み始めて2か月後、吉浦さんと致知愛読者の元U17サッカー日本代表監督で現在は学校法人ヴォーリズ学園副学園長の松田保先生と私の3人で致知出版社主催の「新春特別講演会」に参加しました。その車中で「なぜ『致知』を読むのか」と松田先生に伺ったところ、「『致知』は人として生きていく上で大切なものを教えてくれるから読んだ方がいい」と仰っておられ、私も「人間学についてもっと学びたい!」という思いが高まり、年間購読をスタートしました。

    今まで自分で決断し一つのことを成し遂げたことがあまりなかった私ですが、本格的に『致知』を読み始め、いろんな人の生き方に触れることで、「自分のためにもっと生きていい。自分に誇れる生き方をしたい」と思うようになりました。また、自衛官である父親や主人に対して、どこか誇りと自信を持てなかった自分がいましたが、国のために働く自分の父親と主人を誇らしく思えるようになったことも大きな変化です。

    吉浦さんに『致知』を紹介されていなかったら、今の私はいませんでした。また、結婚して、子供を産んで仕事に復帰してからも『致知』は自分の在り方をいつまでも省みるきっかけになっており、今後も読み続けたいと思います。

    『致知』によって自分自身、そして勉強会の仲間が成長した

    北海道 プルデンシャル生命保険株式会社 高塚 伸志 様(57歳)

     『致知』とは、2度出会っています。1度目は、20年以上前に行われた『致知』編集長の講演会です。講演内容に感動し、すぐに読み始めました。しかし、みるみるうちに積読になり、2年程で購読を止めてしまいました。数年後、尊敬している先生から『致知』をお薦めいただいたのが2度目の出会いです。その先生のご縁で藤尾社長にお会いした際に、「『致知』を読んでいるかどうかは毛穴の感覚で分かる。全部読まなくていい。総リードだけ読みなさい」と言われ、その言葉に発奮し、再び読み始めました。不思議なことに、心を入れ替えると、毎号の総リードでは今の自分にぴったりの言葉が心に染み込んできます。

     現在、『致知』を読み続けて16年になります。困難や大変なことが起きても以前より驚かないようになりました。自分よりもはるかに大変な困難を乗り越えてきた『致知』にご登場の一流の方々の体験談を、疑似体験することで、一旦立ち止まり、自信をもって一歩踏み出せるようになりました。現在もライフプランナーとして働かせていただいているのも『致知』があってこそです。

     また、5年前に始めた有志で始めた『致知』勉強会である『社内木鷄会』も大きな財産です。 メンバーの中には、売り上げが大幅に伸びる方、マネージャーとして活躍する方などもいて、次世代を担う人材育成の場となっています。コロナ禍で、リアルでなかなか人と会えない中、『致知』という同じ釜の飯を食べることが、ご縁のある方との心を通わせる懸け橋になっています。まさに『致知』は「絆チケット」です。これから先、「成長・学び・貢献」を軸として、『致知』からのご縁を大切に『致知』と共に歩んでいきます。

    父の会社を継ぐ覚悟がなかった自分が、『致知』から経営者としての生き方を学んだ

    東京都 株式会社クリス・クロス 代表取締役 中里昂平様(29歳)
    
    

    僕はいま、父親の創業した雑貨店の2代目として、地域の笑顔発信地になれるように、会社を経営しています。父親の跡を継ごうと決めてから、僕は知識と経験を積むために、大手雑貨チェーン店へ就職をしました。様々な仕事を覚える中、ある想いが湧きました。「このままぼーっと過ごして、会社を幸せに、経営できるのか」という不安です。そんな時に、父親の机に置いてあったある雑誌を手に取り、読み始めました。人間とは、経営者とは、どう生き、どうあるべきかが書かれたその雑誌に、僕は夢中になりました。それが『致知』でした。生かされている人生の中で、自分ができる最大限の力を使って、投げ続けることが大切だと気づきました。いろいろな言葉を受け取れるかどうかも、最終的には自分が懸命に生きているかどうかとも教えていただきました。いまの僕と、『致知』に出逢う前の僕とは、全く別の自分になっていると思います。自分が成長していく過程で、『致知』はなくてはならないものです。『致知』と出逢わせてくれた父親には感謝しています。『致知』は僕の、いや日本にとっての太陽です。

    石川県 社長 辻幸雄75歳
     「辻さん、『致知』っていう書店では扱っていない非常によい内容の月刊誌があるんだけど、よかったら見本誌を一冊送りますよ」  2006年6月、地元で知り合った方に、こんな言葉をかけられたのが『致知』との最初の出逢いでした。 この年は、私にとって人生の大きな転機だったと言えます。3月にプリント基板実装の会社を立ち上げ、大海に乗り出したばかりでした。そうした時期とも重なったからでしょう。様々な人生体験が紹介された『致知』は、次第に私の心の支え、経営の指針というべき存在になっていったのです。 しかし、現実の経営は逆境の連続でした。最大の試練は創業から2年後に直面したリーマン・ショックです。当社も売り上げが激減し、倒産の危機に瀕しました。 それでも私は、「ここで会社をやめれば、これまでの学びも努力も水泡に帰してしまう、社員も路頭に迷ってしまう。絶対に自分はやめない、諦めない」と何とか危機を乗り切ることができたのです。何があっても、とにかく諦めない、挫けない、やり続ける――この姿勢も『致知』から学んだことです。 創業から14年。従業員は90名にまで増え、いまでは『致知』をテキストとした社内木鶏会も実施しています。「御社は活気がありますね。一度、朝礼の様子を見学させてください」と近隣の会社から嬉しい声もいただくようになりました。
    神奈川県 キユーピー元副社長 上原隆雄様(84歳)
    私が『致知』を読み始めたのは、かれこれ30年以上前のことです。マヨネーズやドレッシングで知られるキユーピーの専務時代でした。  その頃、顧問を務めてくださっていた三菱商事の後藤潔さんから「いい月刊誌があるから」と薦められ、それ以来、84歳になる現在まで愛読しています。「この人は」と思う人には一年間の購読をプレゼントし、喜んでいただいています。 『致知』を読み始めたのには、一つの理由があります。創業者・中島董一郎(一八八三~一九七三年)の思いを、社員に分かる形で伝え、かつそれを残しておきたいと思ったのです。中島の清廉潔白な人生や経営に対する考え方と『致知』の説く教えはどこか通じ合うものがあり、『致知』に登場する経営者の言葉や古典の教えを交えながら伝えれば、社員はより深く理解してくれるのではないか、というのが私の思いでした。  大正時代、若き中島は留学先のアメリカでマヨネーズと出合います。日本人の栄養不足の現状を鑑み、「マヨネーズによって日本人の体を元気にしたい」という志を立て、それを生涯貫きました。  その中島は最晩年、「世の中というものは存外公平である」という言葉を残しています。  ある時は正直者が馬鹿を見て、ずるい者が得をしたり、横着な人が仕合わせであったりするように見える場合が往々にしてあるが、永い目で見ると誠実な人、道義を重んじる人が認められるというのが世の中である、というのです。実際、中島は「こんな人間がいるのだろうか」と思うくらい頑なに道義を大切にする実直な人でもありました。  ・・・とはいいつつも、創業者が他界して随分と時が流れ、その謦咳に接した社員が減るにつれて、創業の精神が少しずつ薄れていったことも確かでした。『致知』から学んだ先哲の言葉や数々の実体験、私の拙い体験を交えながら、創業者の思いを後世に伝えておくことは、中島に厳しく叱られながら育てられた最後の世代としての大切な努めだと思ったのです。 『致知』を読むことによって、これからも自分を磨き、私を育ててくれた創業者の思いに一歩でも近づきたいと思うこの頃です。
    私の『致知』との出会いは、妻の父親から「これを読みなさい。必ず役に立つから」とすすめられ、まだ数か月です。これから一つ一つかみしめつつ、しっかりと読んで次世代に伝えるのも役目だと私は思っております。 家族で共有しながらしっかりと学んでまいります。この出会いを大切にしてまいります。ありがとうございました。ちなみに父親は千葉に住んでおります内田寛です。 埼玉県 山田康博 様
    千葉県 元小・中学校校長 土屋秀宇さん(75歳)
    私が『致知』の購読を始めたのは平成9年。かれこれ20年以上になりますが、人間学への目覚めといえば、中学生の頃に遡ります。佐藤哲夫先生という陸軍士官学校出身の先生との出逢いが、私の一生を決めることになったのでした。  東西の古典に通暁され、自ら和歌や漢詩を詠む佐藤先生は、地域の若者を集めた「朋友の集い」という勉強会をご自宅で開かれていて、私も高校生の頃から参加するようになりました。倉田百三や影山正治、安岡正篤、道元、『古事記』『万葉集』などの学びにより、若くして日本精神の扉を開かれたことは、私の人生にとって、どれほど大きな財産になったことでしょう。  昭和47年、船橋市内の中学校で学年主任を任された時、私は佐藤先生に倣い、若い教師たちを月に一回自宅に呼んで勉強会を開くようになりました。彼等が教育の対象が「人間」であるにもかかわらず、肝腎の人間を学ばずにいることに、「これではいかん」と思ったからです。  この勉強会は私の入院などによって、やむなく中断した時期もありましたが、「まほろばの会」として今日まで約半世紀の間存続しています。一回の参加者は平均して10名。時間を忘れて夜遅くまで教育の未来や教師のあり方について論じ合ったり、難解な道元の『正法眼蔵』を13年かけて読み解いたり、懐かしい思い出ばかりが蘇ってきます。 『致知』に出逢ったのは、そういう勉強会を続ける中でのことでした。人間学を学ぶ上で優れた教材がここにあると感じた私は勉強会の最初に『致知』を皆で輪読し、その上で私の教育観を伝えるようになっていきました。そして、次第に『致知』を読む教師が千人、一万人と増えれば、必ずこの日本の教育はよくなるという思いを強くするようになったのです。  平成15年、私が小学校校長を最後に、定年退職を迎えたこの年、私に学びたいという渡邉尚久君という熱意ある若い教師に出逢い、この『致知』への思いを伝えました。この言葉に反応した渡邉君は、『致知』を熱心に読み、周りの教師たちにも購読を勧めるようになりました。  その彼は、一年ほど前から致知教師木鶏会を立ち上げ、東京近郊の仲間とともに月一回の『致知』の学びを重ねています。こういう動きが若い教師の間から出てくることは誠に頼もしく、喜ばしい限りです。  私は佐藤先生に一歩でも近づきたいという思いで勉強会を開いてきましたが、まだまだ道半ばの感を禁じ得ません。しかし、一方で勉強会をとおして最高の学びを得ているのは、他ならぬ私自身であるという感慨を深くしています。 「一眼は遠く歴史の彼方を、そして一眼は脚下の実践へ」という森信三先生の言葉があります。人間学とともに日々の教育実践にも研鑽を積んでいく。『致知』に学びながら、そういう教師を一人でも多く育てていきたいと思っています。
123
閉じる