『致知』に寄せられたお客様の声

『致知』を読んでのうれしいお便りがたくさん届いています。 ご感想の一部を紹介いたします。

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    人生の火種を抱くや致知の本
    福岡県在住 健康道場コスモポート主宰 吉丸房江さん(89歳)

     『致知』を読み始めたのは、藤尾秀昭社長が社長になられる前、かれこれ40年以上昔のことだったと思います。福岡県糸島市で私が始めた「健康道場コスモポート」に取材にお見えになった時、藤尾編集長のお人柄やその言葉の深さに魅せられ、以来、毎月の『致知』を楽しみに購読するようになりました。当時、私はまだ40代。取材前に見本としてお送りいただいた『致知』を目にした時、そこに登場するそうそうたる顔ぶれに圧倒されながら、自分とは無縁の月刊誌だと思っていました。それまで私が読むものといえばもっぱら女性雑誌ばかりだったからです。 

     しかし、『致知』を継続して読み続けるうちに、私が知りたかった日本の歴史や日本人の魂のことなどが繰り返し書かれていることに気づきました。さらに『致知』で紹介されている話が理論ではなく、実践に裏打ちされていることに大変共感するようになりました。 というのも、私自身が理論派ではなく実践派だからです。

     私はもともと小学校の一教員でした。両親が共にがんで亡くなったことで健康への関心が高まり、西洋医学や東洋医学を自己流で学ぶようになりました。人が病気にならないために何をやりたいかを考えていたところ、酵素風呂の技術を学んだという人と偶然出会って酵素の威力を知り、思い切って教員を辞めて昭和53年、「健康道場コスモポート」をつくりました。ひのきのおがくずにコスモ酵素の原液を浸透させ自然発酵させると、ガスも火も使わずに70度に達します。この酵素風呂に首まですっぽりと入ると、15分から20分で体内の老廃物が出てきます。遠赤外線で熱が骨の髄まで浸透し血液の循環もよくなるのです。この酵素風呂で健康を回復していく人たちを見る度に、一大決心して事業を立ち上げてよかったと心から思います。道場を立ち上げて今年で45年。『致知』とほぼ同じ歴史を歩いてきました。

     私がそうであったように、一つのことを成し遂げていく上では誰にでも様々なドラマがあります。『致知』を読む度にそれぞれのドラマや人生の中で紡ぎ出された言葉に共感し、胸打たれることもしばしばです。「お金をもらって喜ぶ人よりも、言葉をもらって喜ぶ人のほうが霊格が高い」と言われます。『致知』はまさに言葉の力によって人々の人生を豊かにする月刊誌なのではないでしょうか。

     暗い言葉や不平不満、怒りなどの言葉は自分の心ばかりか体までもむしばみます。一方で明るくて温かい言葉は自分の人生や周囲を照らすだけでなく、自分自身の病気をも改善していきます。古来、ことだまと言われるように、言葉の働きは実に精妙です。「素直で明るく温かく」。これは私の人生の念仏であり指針です。

     『致知』を読み続けていて嬉しかったのは、 平成20年、創刊30周年に当たって募集された短歌俳句で佳作に入賞できたことです。

     人生の火種を抱くや致知の本

     この思いは『致知』が45周年を迎えるいまも、まったく変わりません。

     

    『致知』との出逢いが人生を豊かにしてくれた
    神奈川県在住 小川由佳さん(43歳)

     『致知』との出逢いは30歳を迎えた頃のことでした。当時手に取ったある本をきっかけに毎日様々な名言が配信されるメルマガを購読しており、その中で「『致知』は名言の宝庫だ」と紹介された一文を目にしたのです。その言葉にかれ、夫にクリスマスプレゼントとして『致知』を贈ってほしいとお願いし、1年間の購読がスタートしました。

     初めて『致知』を手に取った時は「難しそうだな」と思ったものの、ページを開くたびに様々な方の生き方や人生を学ぶことができ、その魅力にのめり込んでいきました。夫からプレゼントされた1年間の購読が終わった後も自分で3年購読を申し込み、今年で13年目になります。

     これまで仕事で人間関係の悩みや失敗を経験するたびに『致知』を通して様々なヒントをいただいてきました。どんなに素晴らしい方も、失敗や挫折から這い上がっていまがあることに何度勇気づけていただいたか分かりません。私もこんなことで悩んでいてはいけない、もっと頑張ろうといつも背中を押してくれる存在が『致知』なのです。これまで心に残っている記事は数多くありますが、故・渡部昇一先生の連載や中西輝政先生の記事には、タイムリーな世界情勢だけでなく、その中で日本はどのように進むべきなのか、道筋を示していただき、毎月楽しみに拝読していました。

     また、『致知』をきっかけに森信三先生の教えや言葉、書籍と出逢えたことも私の人生に大きな影響を与えてくれました。いまでは『修身教授録』をテキストに『致知』愛読者の方々と2週に1度輪読会を行い、学びを深めています。さらに「実践」の重要性を説かれた森信三先生の教えにならい「致知随想」で登場された方の活動に、ボランティアで参加したこともあります。『致知』の誌面から得た感動を原動力に、実践に移すことで私自身の人生もどんどん豊かになっていくことを実感しています。

     『致知』の魅力は、いろいろな方の考え方、生き方に出逢えるということ。まさに「人生の教科書」とも言える中身の濃さにあります。

     これからも『致知』の体験談、登場される方の生き方・考え方にしんに学び、森信三先生の言われる「実践」を通して自分を成長させていきたいと思います。

     

    『致知』を読める時代に生を享けた奇跡に感謝

     

    広島県在住 兼子恭和さん(36歳)

     2011年の春、私は失意の真っ只中におりました。新卒でご縁をいただいた会社に就職したものの、約1年後にリストラ宣告を受けてしまったのです。

     いま思い返せば、それは当然の報いでした。上司の言うことを聞かずにぼうじゃくじんな立ち居振る舞いをする、仕事で結果を出せないのにプライドばかりが高く、できないことをひた隠しにしては周囲に嘘をついてごまかす。そんな最低、最悪な新入社員でした。

     『致知』と出逢ったのは、退職を告げられてから数か月後でした。直属の上司、関西致知若獅子の会(20代、30代の『致知』読者による勉強会)元代表世話人である和田真吾さんが、『致知』を1年間ギフトしてくださったのです。

     和田さんがなぜ私に『致知』をギフトしてくださったのかは定かではありません。きっと私の行く末を心配してくださっていたのでしょう。「俺の言うことは聞かなくても、『致知』を通して学ぶことはしなさい」というメッセージに違いない。そう受け止めた私は、以来『致知』を12年間購読し続け、中国致知若獅子の会では世話人も務めさせていただきました。

     『致知』という1冊の本との出逢いがきっかけとなり、私は次の7つの出逢いを果たすことができました。

    ・若獅子の会というコミュニティとの出逢い
    ・真剣に生きる同世代の仲間との出逢い
    ・人生を生きる上で大切な指針となる言葉との出逢い
    ・先人、偉人との出逢い
    ・素晴らしい感想文、美点凝視という考え方との出逢い
    ・自らの使命との出逢い
    ・心を整える習慣との出逢い 

     おかげさまで、いまでは素晴らしい家族にも恵まれ、幸せを噛み締めながら毎日を過ごしています。学びを継続し、実践を重ねるほどによくないものが遠ざかっていく感覚があり、最期の時を迎えるまで生涯学び続けようという覚悟も定まりました。

     『致知』を世に送り出し、守り続け、進化を続けてこられた藤尾社長に心からの感謝と敬意を表します。本当にありがとうございます。『致知』が読める時代に生を享うけた奇跡に感謝をし、これからも『致知』に学び続けてまいります。

     

    致知』は心の栄養剤

    岡山県在住 山下花慧さん(65歳)

     『致知』との出逢いはいまから約25年前。義兄から勧められ、ハガキ道伝道者・坂田道信先生の講演会に参加したのがきっかけでした。先生の講演に感動し、教えていただいたハガキ道の実践に励んでいたところ、先生から「『致知』といういい雑誌があるから、読むといいですよ」と教えていただいたのです。さっそく申し込んだあの日から早25年が経ちましたが、これまで毎月届く『致知』を楽しみに拝読してきました。

     定期購読を申し込んだ当時は3人の男の子を育てる専業主婦で忙しく、自由に外出することが叶いませんでした。そんな私の楽しみは、夜、子供たちを寝かしつけてから『致知』を読むこと。そこで出逢った記事や言葉にどれだけ励まされ、元気をいただいたか分かりません。

     『致知』の魅力は、大企業の経営者などの著名な方に限らず、人知れずいちぐうを照らしておられるせいの方々の素晴らしい生き方から学べるところにあります。普通に生きている私たちが、どうすれば幸せに生きられるかを教えてくれる唯一無二の月刊誌なのです。特に鈴木秀子先生からは、人生にどんなことが起きたとしても、それをどう受け止めるのかは自分次第だという、大切なことを学ばせていただきました。

     『致知』の購読を始めて数年が経った頃、義兄が経営するクリニックの併設ホールで働くこととなり、セミナー講演会の企画・運営に携わりました。ここでも『致知』から教わったことを「仕事の基礎」として、私にできる小さなことから実践しようと常に心掛けてきました。私たちは身体の健康のために、よいサプリや食べ物を摂ろうと意識しますが、心の栄養に関してはおざなりになりがちです。私は25年間、毎月欠かさず『致知』から心の栄養をいただいたことで、子育てにも仕事にも全力で取り組むことができました。 

     退職したいまは、『致知』に登場された櫻井よしこ先生などの記事に触発され、子供たちの未来のための活動に力を入れています。私にできることは小さいかもしれませんが、これからも『致知』という人生の道標に学び、お役立ちの活動を続けていきたいと思います。

    字は読めなくても生きる限り『致知』と共に

    長崎県在住 田島初子さん(75歳)

    『致知』との出逢いは、50代も半ばを過ぎた2004年のことでした。私は高校卒業後、長崎市内の鉄工所に就職。18歳からずっと経理の仕事にたずさわる中、出張の折に高校時代とてもお世話になった恩師と再会し、話し込むうちに「あなた〝ちち〟を読んだら?」と言われました。どんな字で書く本かも聞かないまま地元に帰ると、数日後、恩師から年間購読をプレゼントされたのです。仕事が忙しく、すべてを読み切ることはできませんでしたが、みの薄かった文学や古典、特に『論語』の教えがストンと胸に落ちてきました。さらにこれまで働き続けてきた自分へのご褒美として、毎月開かれる致知出版社のセミナーを聴くために東京へ足を伸ばすようになりました。境野かつのり先生や田口よしふみ先生、安岡定子先生の講義もよく聴きましたが、故・さとる先生の『論語』は特にお気に入りでした。

     結局、鉄工所には丸50年勤めて7年前に退職。しかしその矢先、40代から兆候のあった「網膜色素変性症」が悪化し、ほとんど目が見えなくなってしまったのです。眼科で指摘された頃は横に人がいても分からない、暗くなると見にくい程度だったのが、大好きな『致知』も満足に読めなくなり、コロナの世の中になってからは出かけることも、セミナーを聴きに行くことも難しくなりました。

     これじゃいけない。2021年の春先、私は小学校時代の同級生を思い出し、「私に本を読み聞かせてくれない?」とお願いしました。二つ返事で引き受けてくれた彼女に『致知』を見せると「こんな難しい本、読めるかな」と不安そうでしたが、いざ読み始めると、感動するのに時間はかかりませんでした。彼女の読み聞かせは月曜と水曜、そして金曜か土曜の週に3回。朝8時半から10時半の2時間が基本です。毎回、対談など長い記事を読み、後半に昔は読めなかった連載まで読んでもらいます。1号分読み切るのに3週間ほどかかりますが、最後に鈴木秀子先生の「人生を照らす言葉」を読むと、2人とも心を洗われる思いです。

    彼女が読めない難しい漢字は、手の平に書いてもらって「ああ、あの字じゃないかな」と予想します。よい言葉も目で見られない分、聴くだけでは頭に入らないこともあり、毎回録音して後で聴き直し、やっと理解しています。 『致知』の誌面を通していろいろな分野の、いろいろな人との出逢いがあり、気軽に人と会えなくなった私のかけがえのない楽しみになっています。最近も田口先生や定子先生の記事を読んでもらいながらつい入り込んでしまい、生で聴いたお声がよみがえってきます。

     彼女も私への読み聞かせを「私の生きがいだから、車を運転できるうちは来るよ」と言ってくれています。『致知』を読み続けるために、「お互い長生きしようね」と言い合っているところです。

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