その他の東洋古典の名言 荘子

『老子』と並ぶ道家書。併せて老荘思想などと呼ばれる。戦国時代の思想家荘子の著作。議論文と寓話の組み合わせで構成され、全文六万五千余字。万物の根源に道の存在を認めるところまでは『老子』と同じだが、そこからさらに論を展開し、小さなことにこだわらない、自由で超越的な生き方を説いている。

これを望むに木鶏(もっけい)に似たり。その徳全(まった)し

(訓練を積んだ軍鶏は、見たところ木彫りの鶏のようにしか見えない。体中に徳が充満しているのである)

人は皆有用の用を知るも、無用の用を知るなきなり

(人はみな有用のものの価値は知っているが、無用だと思われているものが実は大きな役割を果たしていることに気づいていない ※成語である「無用の用」の出典)

君子の交わりは淡(あわ)きこと水の如し。小人の交わりは甘きこと醴(れい)の若(ごと)し

(君子の付き合いは水のように淡々としているが、小人の付き合いは甘酒のようにベタベタしている)

昔、荘周(そうしゅう)、夢に胡蝶(こちょう)となる。栩栩(くく)然(ぜん)として胡蝶なり。自ら喩(たの)しみて志に適えるかな、周たることを知らざるなり。俄然(がぜん)として覚(さ)むれば、則ち蘧蘧(きょきょ)然として周なり。知らず、周の夢に胡蝶となるか、胡蝶の夢に周となるかを

(いつのことだったか、このわたし荘周は、夢の中で一匹の胡蝶になっていた。ひらひらと空を舞う胡蝶である。心ゆくばかりに空を飛んで、自分が荘周であることも、もはや忘れはてていた。ところがふと目が覚めてみれば、まぎれもなくわたし自身でしかない。いったい荘周が夢で胡蝶になったのであろうか。胡蝶が夢で荘周になったのであろうか。 ※成語である「胡蝶の夢」の出典)

蝸(か)の左の角(つの)に国する者あり、触氏(しょく)と曰(い)う。蝸の右の角に国する者あり、蛮氏(ばんし)と曰う。時に相与(あいとも)に地を争いて戦う。伏尸(ふくし)数万、北(に)ぐるを逐い、旬有五日(じゅんゆうごじつ)にして後に反る

(かたつむりの左の角には触氏という国があり、右の角には蛮氏という国があった。二つの国は領土を争って戦い、戦死者数万、敵が逃げれば追撃して戦い続け、十五日目にやっと軍を引いた。 ※成語である「蝸牛角上の争い」の出典)

蟷螂(とうろう)その臂(ひじ)を怒らして以て車轍(しゃてつ)に当たる。その任に勝えざるを知らざるなり

(かまきりは、斧を振り上げて車の車輪に立ち向かおうとする。勝ち目がないことを知らないからだ。 ※成語である「蟷螂の斧」の出典)

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