その他の東洋古典の名言 列子
道家書、八巻。戦国時代の思想家・禦寇の撰と伝えられるが、実際には前漢末から晋代にかけて成立したといわれる。故事・寓言・神話を多く載せ、唐代に道教教典として尊ばれ、『沖虚真経』と称された。
杞(き)の国に、人の天地の崩墜(ほうつい)して、身の寄する所亡きを憂え、寝食を廃する者あり
(杞という国に、天地が崩れ落ちてきて身の置き場が無くなってしまうのでないかと心配するあまり、ろくろく眠れず、食事も喉を通らなくなってしまった男がいた。 ※成語である「杞憂」の出典)
呑舟(どんしゅう)の魚(うお)は枝流(しりゅう)に游(およ)がず
(舟を丸呑みにするような大魚は小さな川には住まない)
大道は多岐(たき)なるを以て羊を亡(うしな)い、学者は多方(たほう)なるを以て生を喪う
(大きな道はわき道も多いため、いつの間にか逃げた羊を見失ってしまう。学問にもさまざまな道があるため、いつの間にか真理を見失ってしまう。 ※成語である「多岐亡羊」の出典)
人、その見ざる所を見んと欲すれば、人の窺(うかが)わざる所を視(み)よ。その得ざる所を得んと欲すれば、人の為さざる所を修めよ
(誰もまだ見たことがないものを見たければ、他人が目もくれないものに目を向けよ。誰もまだ手にしていないものを得たければ、他人がまだ手をつけていないことを始めよ)
我死すと雖(いえど)も、子ありて存(そん)す。子はまた孫を生み、孫はまた子を生む。子はまた子あり、子はまた孫あり。子子孫孫窮(きわ)まり匱(つ)くることなし。而(しか)るに山は増すことを加えず、何苦(いかん)ぞ平らかならざらん
(「私が死んでも子供がいる。子供からは孫が生まれ、その孫にまた子供が、さらにその子供、孫と子孫は絶えることがない。ところが山は今以上高くなることはない。山を切り崩して、平らな土地にできないわけがない」――故事である「愚公山を移す」の一節。九十歳の愚公が邪魔に感じていた巨大な山を切り崩そうと土運びを始めた。それを見た利口者の老人が無駄なことをするなと忠告した際、愚公が言い返した言葉)
今月の致知
最新号 9月1日 発行/ 10 月号
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この道より我を生かす道なし この道を歩く
王 貞治(福岡ソフトバンクホークス会長)
道場六三郎(銀座ろくさん亭主人)
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一筋の道を歩み見えてきたもの
青山俊董(愛知専門尼僧堂堂頭)
山川宗玄(臨済宗妙心寺派管長)
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人を喜ばせたい、その一心が我が経営人生を導いてきた
櫻田 厚(元モスフードサービス会長)