3 月号ピックアップ記事 /私の座右銘
すべては患者さんのために 渡邉一夫(南東北グループ総長)

各界を代表する企業、研究機関、文化団体などを牽引してきたリーダーに、人生観・仕事観を形成した体験や、トップとして貫いてきた信条を披歴いただく連載「私の座右銘」。今回ご登場いただいたのは、南東北グループ総長・渡邉一夫氏です。約40年前の1981年、福島県郡山市で独立開業し、現在は全国に100か所以上の拠点を持つ東北地方随一の医療グループに育て上げた、徒手空拳の歩みに迫りました。
〔写真=総合南東北病院 Ⓒ南東北グループ〕

トップはいつも自然体で人に接し、平常心で情勢を見極め、粛々と行動することが肝腎です
渡邉一夫
南東北グループ総長
1981年12月1日、37歳で南東北脳神経外科病院(福島県郡山市)を開院し、早いもので40年以上が過ぎました。東北地方で2番目、県内では初の脳外科専門病院として開業した当院は以来範疇を広げ、いまや11の法人を擁(よう)し、全国に100か所以上の病院・福祉施設と8,500人の職員を抱える東北一の医療グループへと発展しています。
特別に財産があったわけではありません。無一文、まさにゼロからの出発でした。
私の生家は復員した父が1947年の農地解放で土地を得た開拓農家で、その貧しさたるや食べるお米にも困るほどでした。
1歳の時、栄養失調からポリオ(脊髄性小児麻痺)に侵されたことが、私の一つの原点と言えるでしょう。40度の高熱が出て瀕死となり、看病していた従兄が「このままだと死んでしまうよ!」と父に泣きつくも「金がねぇんだ」と医者は呼べず。しかし皆の献身的な看病の結果か、奇跡的に命を取り留めたのです。
九死に一生。生き残った命、死んだと思って精いっぱい生きてみよう。この発心がこれまで、何度支えになったことでしょう。
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建設中の南東北脳神経外科病院を視察する渡邉氏

南東北BNCT研究センター(福島県郡山市)
▲体に小さく散らばったがんに放射線を照射、死滅させるBNCT(ホウ素中性子捕捉療法)を、2014年に世界で初めて導入した
プロフィール
渡邉一夫
わたなべ・かずお――昭和19年福島県生まれ。46年福島県立医科大学卒業後、秋田大学文部教官助手などを経て56年福島県郡山市に南東北脳神経外科病院を開院。脳疾患が多い東北地方にいち早くCT・MRI機器を導入する。国内外の医科系大学で教鞭を執る傍ら、平成20年最先端の陽子線治療を行う「南東北がん陽子線治療センター」を民間病院として世界で初めて開設。著書に『南東北グループの挑戦』(現代書林)など。
編集後記
物心つかないうちに生死の境を踏み越え、苦学を経て医療者となった渡邉一夫さん。脳卒中の死亡率が全国でも上位にあり、当時は脳外科の単科病院がなかったという福島に開院し、現在の水準まで育て上げた歩みに多くの示唆をいただきました。「何の分野でもいい。その道のナンバーワンになれ」「トップは座して動ぜず、平常心で事に処すべし」のメッセージが胸に迫ります。

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