子供の健やかな心を育てる条件 ~児童精神科医として歩んだ五十年~ 渡辺久子(渡邊醫院副院長)

いじめ、不登校、引きこもり、拒食症、自殺……。商業主義や学歴競争の激しい現代社会を生きる子供たちは、かつてないほど複雑な心の葛藤を抱えている。半世紀にわたり、児童精神科医として子供たちに向き合い続けてきた渡辺久子先生に、心をいかに健やかに育むか、その要諦を伺った。

子供たちとの命の真剣勝負で必要なのは、偏差値でも成績でも小手先の技術でもありません。本気で目の前の子供、目の前にある一つの命を大事にしているか。その一点に尽きるのです

渡辺久子
渡邊醫院副院長

私は時に病院に泊まり込み、細心の注意を払いながら治療に当たりました。カーテンを閉め二人きりになり、彼女に語り掛け続けました。また、少しでも身体に栄養を入れるために、ほんのちょっとのミルクを口に運ぼうとしますが、彼女は「そんなのいらない」と抵抗します。その時、咄嗟にこんな言葉がついて出ました。

「あなたの身体はあなたのものじゃない。あなたのお母さんが命懸けで産んだのよ! そして、夜も寝ないであなたを育てたのよ」

これは医者として、また二人の子を育てる母として心から湧き出てきた言葉でした。

「あなたは『自分の身体だ』というけれど、そうではない。あなたの体はお母さんの真心のたまもの。その身体を虐待するんだったら、私が許しません」

そう叱りながら、時には1日中抵抗する彼女に朝昼晩と付き添い続けました。この時の「はっ」とした彼女の表情から、「本気」は必ず伝わると教えられました。

その後、数年の期間をかけて彼女はひたむきに努力し、自分の体を大切にケアする習慣を粘り強く身につけて拒食症を克服しました。無事成人を迎え、会社にも就職し、40代を迎えたいまは、二児の母親として元気に暮らしています。

私たち医者は時に、子供たちと命の真剣勝負をすることが求められます。そして、その勝負で必要なのは偏差値でも成績でも小手先の技術でもありません。本気で目の前の子供、目の前にある一つの命を大事にしているか。その一点に尽きるのです。

医者がどのような一心を抱いているかによって、子供の心もまさに万変します。この命の呼応によって、子供たちの未来が変わっていくことを心して私たちは挑まなければならないのです。

プロフィール

渡辺久子

わたなべ・ひさこ―昭和23年東京都生まれ。渡邊醫院副院長。慶應義塾大学医学部卒業後、同小児科助手、同精神科助手、小児療育相談センター、横浜市民病院精神経科医長を経て、ロンドンのタビストック・クリニック臨床研究員として留学し、精神分析と乳幼児精神医学を学ぶ。平成5年より慶應義塾大学医学部小児科専任講師。


編集後記

現代を生きる子供たちが抱えている問題や葛藤、それらをどのようにサポートしていけばよいのか。50年に及ぶ豊富な経験を基に語る児童精神科医の渡辺久子さんのお話から、「心育て」の重要性を思わずにはいられません。

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