貧しい人の眼に光を その喜びが僕の財産 服部匡志(アジア失明予防の会 眼科医)

目の前に助けを求める人が現れた時、後先を考えず手を差し伸べられる大人はどれほどいるだろう。網膜硝子体手術の分野で世界でも屈指の腕を持つ服部匡志医師は、病に苦しむ異邦人の声を聞き、自ら仕事を捨て海を渡った。以来20年、現地の貧しい患者たちに無報酬、時に自腹で手術を行い、後進を育ててきた。その愚直なまでの継続に、真に実りある人生とは何かを考えさせられる。

アウェーでは口で何か言ったり、日本式のやり方に嵌(は)めようとしてもダメで、相手に自分の身を投げ出してみる。そこまでやらないと、染みついた文化・風習を変えることはできない

服部匡志
アジア失明予防の会 眼科医

――服部さんは現在まで20年、ベトナムと日本を行き来して眼科医療に貢献してこられました。

〈服部〉
ちょうど明後日から、またベトナムに発つところなんです。

コロナ禍になる前は、1か月のうち2週間は向こうに行って、首都ハノイの国立眼科病院で診察や手術をしたり、週末は地方の各省に出張して医療活動を行ったりしてきました。残りの2週間は、北は岩手から南は鹿児島まで約10か所の病院を渡り歩いて非常勤医として手術をし、お金を貯める。思えばほぼ毎日働いていて、自宅で丸一日過ごせるのは年に1日か2日といった感じでしたね。

――腕1本で資金を稼ぎ、無償で患者さんを救い続けてこられた。

〈服部〉
ミャンマーの病院とも縁ができて、数年前から向こうにいる期間の半分はヤンゴンの国立眼科病院を拠点にマンダレーの眼科病院でも指導に当たっていたんです。

それが2020年、コロナが流行り出して、4月に飛行機が全く飛ばなくなりました。次に飛べたのが8月でしたが、空港に着くと2週間隔離されるので、往復1か月のロスになるわけです。ベトナムも日本と同じゼロコロナ政策で、何かと活動が阻まれるようになりました。

日本の病院でも手術を希望する患者さんが来ないので、10あった仕事が3つにまで減っちゃったんですよ。そんな中で去年8月、「マグサイサイ賞」受賞の連絡があった時はびっくりしました。

――フィリピンの財団が主宰するマグサイサイ賞はアジアの平和や発展に尽くした個人、団体に贈られ、〝アジアのノーベル賞〟と呼ばれているそうですね。過去にはマザー・テレサやチベット仏教の指導者ダライ・ラマ14世、日本人では医師の故・中村哲さんら錚々たる方が受賞されています。

〈服部〉 
身に余る名誉です。活動が滞っていた僕の選出には反対意見もあったようですけど、ある方が「でも、服部さんはいまも続けている」と意見してくださったそうです。この20年、心無い言葉も浴びてきましたが、継続は大事なんだなとしみじみ感じています。

プロフィール

服部匡志

はっとり・ただし――昭和39年大阪府生まれ。平成5年京都府立医科大学卒業後、同大附属病院を経て日本各地の病院で研鑽を積む。14年ベトナム・ハノイにある国立眼科病院で治療、スタッフ指導を始める。15年後援団体「アジア失明予防の会」が発足。26年ベトナム政府より外国人に贈られる最高位の「友好勲章」を受章。27年京都府立医科大学特任教授。令和4年「マグサイサイ賞」受賞。著書に『人間は、人を助けるようにできている』(あさ出版)がある。


編集後記

数か月前から連絡を試みていた服部医師と電話が繋がったのは、2月の中旬。ベトナムへ経つ2日前の間隙を縫って取材に応じてくださいました。網膜硝子体手術において世界屈指の腕を持ちながら、医局で出世し安定した生活を送る道を捨てた稀有な医師は、実に屈託のないお人柄でした。活動の原点となった出来事や、無償の奉仕に浄財を寄せてくれた方々の思い出、病気を乗り越えたエピソードまで、身一つで途上国の医療に尽くす人にしか持ちえない情熱を感じました。その思いがぎっしりと詰まったインタビューをぜひご覧ください。

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