吉田松陰と松下幸之助 人づくり国づくりに心血を注いだ二人の傑士 上田俊成(松陰神社名誉宮司) 上甲 晃(志ネットワーク「青年塾」代表)

片や幕末の動乱期、片や昭和の激動期。活躍した時代・成し遂げた事業こそ異なるものの、共に強烈な憂国の情を抱いて「人づくり」に命を懸けた二人の傑士がいる。「熱と誠」で多くの志ある人物を育てた吉田松陰と一代で松下電器産業をグローバル企業へ成長させた昭和の大経営者・松下幸之助である。吉田松陰を祀る松陰神社の名誉宮司・上田俊成氏と、松下政経塾塾頭として松下幸之助に薫陶を受けた上甲晃氏に、それぞれの人物像を交えてその功績を辿っていただいた。

松陰先生は20代で青年教育に従事し、数え年30歳で亡くなっています。幸之助さんは長年仕事を通じて人づくりをされ、84歳で政経塾を立ち上げて本格的に教育機関をつくった。そう考えると志に年齢はあまり関係ないのでしょうね

上田俊成
松陰神社名誉宮司

私は今回の特集テーマ「不惜身命 但惜身命」という言葉を聞いた時、正直にこれは松陰先生のためにある言葉だと思いました。松陰先生は死について幾つか言葉を残しています。

「死は好むべきにも非ず、亦悪むべきにも非ず、道尽き心安んずる、便ち是れ死所」

亡くなる3か月前、高杉晋作の「男子たる者、死に時はいかなる時か」との問いに答えたひと言です。成功いかんに拘らず、本当に突き詰めてやり切ったと思ったら、その時こそが死に時だと言っているのです。この言葉に続けて、こう言います。

「死して不朽の見込あらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」

死を達観した箴言です。

長年幸之助の下で薫陶を受け、松陰先生の教えを勉強させていただいた身として、幸之助の求めたるものを求め、国家百年の計を実現することが、私に残された最後の使命です

上甲 晃
志ネットワーク「青年塾」代表

私はいまも松下幸之助の志を継いで日本のリーダーを育てんと奔走しています。

松下村塾からは高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋などやがて明治維新の原動力となる人材が誕生していますが、昭和の維新を掲げた松下政経塾からは、果たしてどれだけの人物が出たかと。

1期生の野田佳彦が首相を務めた他、現在現役の国会議員が約30名いますが、それでもまだ維新の大業を成し遂げていない。私の人生の最後のテーマは、松下政経塾の卒業生と共に松下幸之助の志を継いで立ち上がることです。ですからまだまだ志に燃えています。

プロフィール

上田俊成

うえだ・とししげ―――昭和16年山口県生まれ。國學院大學史学科卒業。飯山八幡宮宮司、山口県神社庁長、神社本庁理事、山口県文化連盟会長、長門市文化振興財団理事長を歴任。平成15年松陰神社宮司を経て、28年より名誉宮司・顧問に。著書に『零言集』(マシヤマ印刷)の他、今年3月に『熱誠の人 吉田松陰語録に学ぶ人間力の高め方』(致知出版社)を刊行。

上甲 晃

じょうこう・あきら―――昭和16年大阪市生まれ。40年京都大学教育学部卒業と同時に、松下電器産業(現・パナソニック)入社。56年松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。平成8年松下電器産業を退職、志ネットワーク社を設立。翌年青年塾を創設。著書に『志のみ持参』『松下幸之助に学んだ人生で大事なこと』『人生の合い言葉』など。最新刊に『松下幸之助の教訓』(いずれも致知出版社)。


編集後記

このたび弊社より『熱誠の人 吉田松陰語録に学ぶ人間力を高める生き方』が刊行されました。著者である松陰神社名誉宮司・上田俊成さんと、松下政経塾塾頭時代に松陰の教育を手本にしたという上甲晃さんは共に昭和16年生まれ。志を同じくするお2人だけあって、白熱した対談に。人づくりに身命を賭した先達の息吹が伝わってきます。

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