11 月号ピックアップ記事 /二十代をどう生きるか
20代は挑戦と失敗を繰り返し、天職を見つける時 神田 正(ハイデイ日高会長)
首都圏を中心に「日高屋」「来来軒」をはじめとした中華料理チェーンを約450店舗展開するハイデイ日高。同社を裸一貫で立ち上げ、一代で東証プライム上場の大企業へと発展させたのが神田正氏、83歳。いまなお経営の第一線を走り続ける氏の底知れぬ情熱はいかにして育まれたのか。紆余曲折を経て、天職に巡り合った若かりし歩みにその答えを探る。
自分が好きな仕事で一生を送れる人は一番幸せだと思う。
だからこそ、20代は仕事も遊びもとにかく一歩踏み出すこと。失敗しても、いくらでも立ち直れる。
挑戦と失敗を繰り返し、自分の生涯を捧げる道を見つけるのが、20代の10年間ではないだろうか
神田 正
ハイデイ日高会長
(写真=岩槻市内のラーメン店で店主を任された頃の神田氏〈右〉)
2023年、中華料理チェーン「日高屋」「来来軒」などを展開する当社は創業50周年の節目を迎えた。
これまでの歩みを振り返ると、長いようであっという間に過ぎたというのが嘘偽りない実感である。能力はなかったが、情熱だけは誰にも負けないように夢中で突き進んできた。そのひたむきな情熱が運や人を引き寄せ、今日の発展に繋がったように思う。
私の生まれは1941年。4人きょうだいの長男として埼玉県入間郡高萩村(現・日高市)で育った。親父は傷痍軍人で帰国し満足に働けない体になってしまったので、我が家の家計は困窮を極めた。
8畳一間に親子6人が雑魚寝する。家には水道もなく、落ち葉や蛇が浮かぶ近隣の山の井戸から水を汲む。村一番の貧乏生活に、惨めな思いに駆られた夜は数え切れない。
それでも道を誤ることがなかったのは、お袋が村一番の働き者で明るい気性だったからに他ならない。
……(続きは本誌にて)
~本記事の内容~
◇母の後ろ姿に学んだ幼少期
◇15回を超える転職の末に
◇ラーメン屋との邂逅
◇20代は失敗したほうがいい
◇夢は見るものではなく語るもの
本記事では全3ページにわたって、神田氏の若かりし歩みを振り返っていただきました。
紆余曲折を経て、天職に巡り合った神田氏の足跡には、あらゆる年代に通ずる仕事・人生の要諦が凝縮されています。全文は本誌をご覧ください!
プロフィール
神田 正
かんだ・ただし――昭和16年埼玉県生まれ。中学卒業後、15回以上の転職を重ねた末、ラーメン業界に足を踏み入れる。48年「来々軒」開店。53年日高商事(現・ハイデイ日高)を設立。平成14年「日高屋」開店。18年東証一部上場。21年より現職。著書に『熱烈中華食堂日高屋:ラーメンが教えてくれた人生』(開発社)がある。
編集後記
終始柔和な笑顔を浮かべながら、20代の体験談をイキイキと話される姿が印象的でした。「まだまだ第一線を退くつもりはありません」。その力強い語りから、20代の頃と何一つ変わらぬ情熱を感じずにはいられませんでした。
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