3 月号ピックアップ記事 /対談
勝利を掴む指導者の条件 眞鍋政義(バレーボール女子日本代表チーム監督) 増地克之(柔道全日本女子監督)
東京2020オリンピックで惜しくも10位に終わったバレーボール女子日本代表チームを復活させるべく、5年ぶりに代表監督に復帰した眞鍋政義氏(右)。同大会オリンピックにてメダルラッシュに沸いた柔道全日本女子を「準備力」をテーマに率いてきた増地克之氏(左)。今年開催されるパリオリンピックに向けて情熱を燃やすお二人に、世界の舞台で勝利を掴む人材・組織を育てる要諦、目指すべき指導者のあり方を語り合っていただいた。
指導者、選手一人ひとりのメンタルがどれだけ充実し、前向きになっているかが、最後の最後に勝敗を分けるのだと思います
眞鍋政義
バレーボール女子日本代表チーム監督
〈増地〉
眞鍋さんは、2016年のリオデジャネイロオリンピック以来、5年ぶりに代表監督に復帰されましたが、どのような思いで監督を引き受けられたのですか。
〈眞鍋〉
私はロンドンとリオの8年間、バレーボール女子日本代表チームの監督を務めさせていただいて、東京オリンピックの時には解説をしていました。皆さんご存じの通り、東京オリンピックでは女子バレーは10位の結果に終わり、20数年ぶりに決勝トーナメントに進むことができませんでした。
それで最後のドミニカ共和国との試合に負けた翌日から、いろんな関係者の方に「もう一回、監督をやらないか」という連絡をたくさんいただいたんです。コロナ禍で東京オリンピックが1年延期になった影響で、次のパリオリンピックの出場権を得るまで1年数か月の準備期間しかない。時間がない中で誰も監督を受けたくはないだろうけど、ぜひやってくれないかと。でも、8年間も監督を経験させていただいたので、最初は全くやる気がなくて、1か月半くらいずっとお断りしていました。
〈増地〉
ああ、そうでしたか。
〈眞鍋〉
ところが、ある方に「パリオリンピックに出場できなければ、日本の女子バレーはマイナースポーツになってしまう」と言われたんですよ。その言葉を聞いて、少しずつ考えが変わりましてね。「日本のバレー界のために、もう一度挑戦しよう」という気持ちが込み上げ、監督に復帰したんです。
〈増地〉
自分のためではなく、日本のバレー界のためにという思いで困難な仕事を引き受けられた。
〈眞鍋〉
5年ぶりに監督に復帰したわけですけれども、代表チームを見てみると、やはり前回のオリンピックの時よりも平均身長が低いんです。まあ、これはどうしようもないことですから、逆に身長が低いことをいかに有利にして戦っていくか、一つの課題としていまも取り組んでいるところです。
一年一年の勝負も大切ですが、指導者は同時に十歩先を見据えた人材育成、組織づくりを常に考えていくことが大事なのだと思います
増地克之
柔道全日本女子監督
〈眞鍋〉
東京2020オリンピックでの日本の女子柔道の躍進はすごかったですね。全階級でのメダル獲得でしたか?
〈増地〉
残念ながら、七階級のうち一つだけ取れなかったんです。
〈眞鍋〉
でもあの活躍を見た私たちからすれば、全階級でメダルを獲得したというイメージですよ。増地さんとしては、どこに勝利の要因があったとお考えですか?
〈増地〉
もう一度、同じ活躍をしようと言ってもなかなか難しいと思うんですけれども、コロナ禍で思うように練習できない中で、いろんな人に支えられ、オリンピックの舞台で柔道ができる。その喜びを選手たちが存分に発揮してくれたというのが正直な印象です。
メダルに関しては、どの階級もどちらに転ぶか分からない、本当に僅かな差での勝利でした。ただ、2016年に私が監督に就任して以降、選手やコーチたちにはとにかくしっかり準備をする〝準備力〟をテーマに戦っていこうと伝えてきました。本番のオリンピックに臨む前の準備をどれだけ徹底できるか。これが全員に浸透していった結果が、僅かな差となって現れたのではないかと思います。
プロフィール
眞鍋政義
まなべ・まさよし――1963年兵庫県生まれ。中学からバレーボールを始める。大阪商業大学に進学後、1985年に神戸ユニバーシアードで金メダルを獲得、日本代表メンバーに初選出され、ソウルオリンピックに出場する。入社した新日本製鐵では選手兼監督として活躍し、リーグ優勝を経験。イタリア・セリエAのパレルモでプレーした後、旭化成、パナソニックで活躍。2005年現役引退後には女子チームである久光製薬スプリングスの監督に就任し、2年目でチームをリーグ優勝に導く。2009年に女子日本代表の監督に就任し、2010年世界選手権では32年ぶりのメダル、2012年のロンドンオリンピックでは28年ぶりの銅メダルを獲得。2022年より5年ぶりに代表監督に復帰し、現在に至る。
増地克之
ますち・かつゆき――1970年三重県生まれ。警察官だった父の影響で、小学生4年生から地元の道場で柔道を始める。高校3年時に個人戦重量級でインターハイへ出場。高校卒業後は筑波大学に進学、在学中に全日本柔道選手権大会に初出場を果たし、以後、重量級のトップ選手として活躍を続ける。1994年全日本選抜体重別選手権95kg超級優勝(2連覇)。同年アジア競技大会(広島)無差別級優勝。1996年新日本製鐵に入社し、全日本実業柔道団体対抗大会で三度の優勝に貢献。2001年同社を退職後は、桐蔭横浜大学柔道部監督、筑波大学柔道部監督を経て、2016年全日本柔道女子代表監督に就任。東京2020オリンピックでは七階級のうち六階級にメダルをもたらす。
編集後記
バレーボールと柔道─それぞれの分野で選手・指導者として活躍してきた眞鍋政義さんと増地克之さん。目前に控えたパリオリンピックに向けての意気込みと共に、いかに強い人材・チームをつくり上げていくか、体験談を交えて具体的にお話しいただきました。現役の代表監督を務めるお二人から、指導者と選手が心を一つにし、日本のみならず世界の舞台で勝利を掴む要諦を教えられます。
特集
ピックアップ記事
-
対談
ソーシャルビジネスで世界を変える——業界を牽引するリーダーに学ぶ将の器、志の磨き方
更家悠介(サラヤ社長)
出雲 充(ユーグレナ社長)
-
対談
勝利を掴む指導者の条件
眞鍋政義(バレーボール女子日本代表チーム監督)
増地克之(柔道全日本女子監督)
-
エッセイ
【国難の時代のリーダーシップ】 いま、濱口梧陵に学ぶべきもの
濱口和久(拓殖大学防災教育研究センター長)
-
エッセイ
徳川260年 松平家の教えに学ぶ日本の心
松平洋史子(大日本茶道協会会長)
-
インタビュー
夢を持て 夢は叶う
林 博己 (エース会長)
-
インタビュー
人々の心に笑顔と希望の灯火を届けたい
梅津絵里(車椅子インフルエンサー)
-
インタビュー
「なにくそ、負けてたまるか」その精神が僕の魂に火をつけた
豊島雅信(スタミナ苑)
-
エッセイ
森信三先生の教えを貫いて
福永道子(実践人の家元副理事長)
-
対談
人生、仕事の根本は「氣」にあり
廣岡達朗(野球評論家)
藤平信一(心身統一合氣道会会長)
好評連載
バックナンバーについて
バックナンバーは、定期購読をご契約の方のみ
1冊からお求めいただけます
過去の「致知」の記事をお求めの方は、定期購読のお申込みをお願いいたします。1年間の定期購読をお申込みの後、バックナンバーのお申込み方法をご案内させていただきます。なおバックナンバーは在庫分のみの販売となります。
定期購読のお申込み
『致知』は書店ではお求めになれません。
電話でのお申込み
03-3796-2111 (代表)
受付時間 : 9:00~17:30(平日)
お支払い方法 : 振込用紙・クレジットカード