お天道様は見てござる 木村光伯(木村屋總本店社長)

2006年、28歳であんぱんの元祖として知られる木村屋總本店の七代目に就任した木村光伯氏。同社は一時期、4期連続赤字を出す経営危機に陥っていたが、木村氏の指揮のもと見事生まれ変わり、2019年には創業150周年を迎えた。その木村屋の変革の軌跡には、単なる経営のノウハウではない〝生きた実践哲学〟が込められている。

人間は弱いものでどうしても他責にしてしまいがちですが、そうした姿勢をお天道様はきちんと見ておられる。怠惰に流されそうな自分をどうやって律するか。それはいまも私の課題です

木村光伯
木村屋總本店社長

──木村屋さんといえば「あんぱん」が有名ですが、銀座の地に創業して150年以上経つのですね。まだ日本にパンの文化がない明治初期にパン屋を始めたのはどういう経緯でしたか?

〈木村〉 
初代は現在の茨城県牛久市の出の武士で、明治維新が起こり武士階級が廃止されると、職を求めて江戸に出てきました。そこで江戸にいた親戚からパンという食べ物があると聞きつけ、既に50歳だった初代と息子の二代目が暗中模索したことが始まりです。

残念ながら関東大震災で店舗が焼失してしまい詳細な資料は残っていませんが、本店の看板の「木村家」の文字は、木村家の親族が水戸藩の道場で同じ門下だったという山岡鉄舟先生の揮毫です。

──では、こういった教えは口伝で教わってきたのでしょうか。

〈木村〉 
いえ。両親から教えられたことは特段なく、会社に入り経営者として意思決定を迫られる局面に立たされた時に、自分のこれまでの知識・経験では太刀打ちできないと痛感し、自ら会社の歴史を紐解くようになりました。

祖父だったら、初代だったらこの状況をどう突破するだろうか。あんぱんの発売開始、天皇への献上といった単なる事象ではなく、その時代背景を探り、どういう状況下で、どんな試行錯誤があってそうなったのかといったことを探る中で意思決定プロセスが見えてくるのではないかと考えました。

例えば……

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プロフィール

木村光伯

きむら・みつのり――昭和53年東京都生まれ。平成13年学習院大学経営学科卒業後、家業である木村屋總本店に入社。14年に日本パン学校で、翌年にはアメリカに留学してパンづくりを本格的に学ぶ。17年に取締役、18年に常務取締役に就任。同年、七代目社長となる。31年に創業150周年を迎えた。


編集後記

取材は木村屋總本店の本社兼工場のある有明で行われました。本社にも焼きたてのパンの香りが漂う中、40代の若き社長が快く取材に応じてくださいました。記事内でも紹介されていますが、木村社長が経営について薫陶を受けたアサヒビール名誉顧問の中條高徳さんから「経営をするなら『致知』を読むべきである」と教えられ、『致知』を長らくご愛読いただいていたこともあり、単なるノウハウではない〝生きた実践哲学〟をお話しくださったことが印象的でした。

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