20代は人と出逢い、世界を渡り歩き、視野を広げる時 隈 研吾(建築家)

東京2020オリンピックの舞台となった「国立競技場」をはじめ、自然素材を巧みに駆使した数々の建築に携わる隈研吾氏。現在では40を超える国々でプロジェクトを手掛けている。日本を代表する建築家である氏の人格、従来の概念を打ち破るアイデアはいかにして育まれたのか。若き日々の歩みにその答えを探る。
【アフリカのサハラ砂漠で2か月間集落調査を行った大学院時代の隈氏(写真奥) 提供:隈研吾建築都市設計事務所】

人生も建築も長距離走です。たとえスタートに出遅れても、いくらでも挽回はできる。

だから決して気負わずに、あらゆる物事に興味を持って、行動し続けてほしい。

そう切に願うばかりです

隈 研吾
建築家
(撮影:J.C. Carbonne)

「なんて格好いいのだろう」

僕が建築家の道を志したのは、小学4年生の頃に抱いた純真無垢な感動がきっかけでした。

時は1964年。親父に連れられて東京オリンピックの競泳競技を見に行った際、会場となった国立代々木競技場を初めて目にしました。天に向かって勇ましく聳(そび)え立つ造形に魅せられ、「この体育館は誰がつくったの」と親父に尋ねると、「丹下健三という建築家がデザインしたんだ」と教えてくれました。

その日まで建築家という職業があることさえ知りませんでしたが、将来は絶対に建築家になろうと決心したのです。

ただ、以前も建築に興味がなかったわけではありません。神奈川県・大倉山の我が家は、元来祖父が畑仕事のために建てた小屋ということもあり、僕と妹が生まれると手狭に。かといって建て替える経済的余裕もないため、数年ごとに増築を図るようになりました。

増築に関しては家族全員が集い、どんな間取りで行うのかを決める設計会議が開かれました。各々が自由に意見を述べ合い、用意した方眼用紙にスケッチを重ねていく。いまも毎日事務所で開く会議とまるで同じことをしていたのです。

さらに、 ……(続きは本誌にて)

▼「建築は才能じゃなくて粘り」「人を知らずに建築はつくれない」「迫り来る不安を恐れない」等、建築の道一筋に歩んできた隈氏の足跡には、あらゆる年代に通ずる仕事・人生の要諦が凝縮されています。全文は本誌をご覧ください!

プロフィール

隈 研吾

くま・けんご―—1954年神奈川県生まれ。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。慶應義塾大学教授、東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。40を超える国々でプロジェクトが進行中。自然と技術と人間の新しい関係を切り開く建築を提案。著書に『日本の建築』(岩波新書)『全仕事』(大和書房)他多数。


編集後記

現在国内のみならず、世界40か国でプロジェクトに携わる一流建築家・隈研吾氏。この度多忙を極める中でも快くお受けいただき、40分という限られた時間ながら取材が実現しました。お父様のユニークな教育法から転機となったアメリカ留学に至るまで、氏の20代の歩みから枠に囚われない生き方が見えてきます。

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