4 月号ピックアップ記事 /エッセイ
守拙求真の求道者 平櫛田中に学ぶ 平櫛弘子(小平市平櫛田中彫刻美術館館長)
「六十七十は はなたれこぞう おとこざかりは 百から百から」。この気迫に満ちた言葉を実証するかのように、107歳で世を去るまで仕事に打ち込み続けた不世出の彫刻家・平櫛田中。生涯に世に送り出した作品は数百点にも上るという。その尽きることのないエネルギーの源と、知られざる横顔について、田中の令孫・平櫛弘子さんに伺った。
「六十七十ははなたれこぞう おとこざかりは 百から百から」「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」祖父の残した言葉には、命の限り前進し続けた彫刻家の迸るような情熱が伝わってくるようです
平櫛弘子
小平市平櫛田中彫刻美術館館長
創作に打ち込む祖父の行く手には、様々な難題が待ち受けていたことでしょう。まさしく山上 山また山、一つ乗り越えたと思えばさらに険しい山に遭遇するのが一道を歩む者の宿命なのかもしれません。祖父はその都度懸命に鑿を振るい、一つ、また一つ山を越え、道を切り拓いていきました。
プロフィール
平櫛田中
ひらくし・でんちゅう―明治5年岡山県生まれ。本名は平櫛倬太郎。26年に大阪府の人形師・中谷省古に学ぶ。30年に上京。翌年、彫刻家・高村光雲の門下生になる。40年から大正2年まで岡倉天心に師事。昭和19年に東京美術学校(現東京藝術大学)教授に就く。29年に文化功労者となる。33年六代目尾上菊五郎をモデルに22年の歳月をかけて制作した代表作「鏡獅子」が完成。同年に地元・井原市名誉市民となり、37年に文化勲章を受章。40年には東京藝術大学名誉教授になる。54年12月30日、107歳で永眠。
平櫛弘子
ひらくし・ひろこ―昭和15年生まれ。彫刻家・平櫛田中の孫。千葉大学園芸学部卒業。昭和59年に東京都・小平市に平櫛田中の旧宅を公開し、「小平市平櫛田中館」(現「小平市平櫛田中彫刻美術館」)として開館、相談役に。平成18年館長に就任。
編集後記
「六十七十ははなたれこぞう おとこざかりは 百から百から」「いまやらねばいつできるわしがやらねばたれがやる」。107歳で亡くなるまで仕事に打ち込んだ平櫛田中の言葉からは、命の限り前進し続けた彫刻家の迸るような情熱が伝わってくるようです。晩年、田中と生活を共にした令孫の小平市平櫛田中彫刻美術館館長・平櫛弘子さんにその実像をお話しいただきました。
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