10 月号ピックアップ記事 /インタビュー
愛の実践者 後藤静香の遺した教え 中澤宏則(後藤静香記念館館長)
大正・昭和期に活躍した社会教育家の後藤静香師。修養機関誌『希望』をはじめ、生涯に創刊した月刊誌は21種、著書は70余冊にも及ぶ。最盛期にはその誌友は100万人を数え、全国の同志と共に、社会福祉活動に尽力した。師の薫陶を受けた最後の世代である中澤宏則氏に、思い出を交えて師の愛に溢れた波瀾の人生を辿っていただく。
後藤先生は自らの命を削り、身を絞り出すようにして愛の言葉を紡ぎ出してきました。それは後藤先生自身の言葉というよりも、「天よりの声」と言えるでしょう
中澤宏則
後藤静香記念館館長
後藤静香先生に影響を受けた人は様々な分野におられます。松下電工(現・パナソニック)の当時の社長・丹羽正治氏はそのお一人です。若い頃に後藤先生に出逢い、「第一歩」という有名な詩に心から感銘を受けたといいます。
十里の旅の第一歩
百里の旅の第一歩
同じ一歩でも覚悟がちがう
三笠山にのぼる第一歩
富士山にのぼる第一歩
同じ一歩でも覚悟がちがう
どこまで行くつもりか
どこまで登るつもりか
目標が
その日その日を支配する
戦中戦後と長らく音信不通になるも、丹羽さんは週刊誌に「後藤静香氏は健在でしょうか」と問い合わせ記事を出し、先生と再会。お金をかけて人探しをするほど後藤先生の教えを渇望していたのでしょう。『新建設』(のちの月刊誌)を3,300部、『権威』を580冊ポケットマネーで購入し、『新建設』は毎月社員の給料袋に入れて手渡したそうです。
丹羽さんは後藤先生との出逢いを、「自分には松下幸之助という師がいるが、幸之助と並んで心揺さぶられた恩師であった」と述懐しています。松下電工にはストライキがほとんど起こらなかったと言われているのも、こうした素晴らしきリーダーの存在があったからでしょう。「第一歩」の詩はプロ野球の松坂大輔選手をはじめ、多くの方が座右銘としています。
プロフィール
中澤宏則
なかざわ・ひろのり――昭和19年神奈川県生まれ。浪人中に後藤静香師に出逢う。岡三証券に勤務。後藤師の死後も「心の家」常務理事としてその教えを広めることに尽力。現・後藤静香記念館館長。
編集後記
『致知』でも、「特集総リード」に後藤静香師の有名な「第一歩」の詩をご紹介してきましたが、松下電工元社長の丹羽正治氏やプロ野球の松坂大輔選手などもこの詩を大切にされてこられたそうです。誌面では紹介しきれませんでしたが、もう一つ有名な詩、「本気」もご紹介したいと思います。一人でも多くの方の、心の糧になれば幸いです。
「本気ですれば/たいていな事はできる/本気ですれば/なんでも面白い/本気でしていると/たれかが助けてくれる/人間を幸福にするために/本気ではたらいているものは/みんな幸福で/みんなえらい」
特集
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