10 月号ピックアップ記事 /インタビュー
唇で獲得した光を祈りに変えて——視力と両手を失った私の教師人生 藤野高明(元大阪市立盲学校教諭)
75年前、藤野高明さんは7歳の時に不発弾の爆発事故で両目の視力と両手を失った。実に13年間に及ぶ不就学期間を経て、盲学校に入学。唇で点字を読みながら社会科教師の道を目指して歩み始める。視覚障碍者が一般の教師になる道が閉ざされていた時代から、いかにして道を切りひらいてきたのだろうか。その前向きな生き方を通して、いまもなお人々に夢や勇気、希望を与え続ける藤野氏にこれまでの歩みをお聞きした。
自分の力で一つの文章を読めたのは、それこそ光でした
藤野高明
元大阪市立盲学校教諭
――藤野さんの壮絶な半生を知って心が揺さぶられました。事故で視力や両手を失った藤野さんが、多くの試練を乗り越えながら教師としての仕事を全うし、よくぞ82歳の今日まで頑張って生きてこられたと……。
〈藤野〉
ありがとうございます。
こうして元気で穏やかに明るく過ごしていますから、いろいろなことはあっても藤野さんは楽しく生きてきたんやな、と思う人もいらっしゃるようです。だけど、現実はその真逆ですよ。
7歳の時の不発弾の爆発事故で両目の視力と両手を失い、13年間も学校に行けずに、大学の就学も就職もままならなかった私の人生は悔しさや怒り、楽しくないことの連続でした。そんな私にとって楽しく生きるのが長い間、人生の目標だったんです。
だけど、いま思うとね、この目標はある程度達せられたのではないかと思っています。大阪の盲学校に受け入れてもらい、大学を卒業して高校教師になるという夢も叶い、30年も務めさせていただいたわけですからね。生きがいを感じる仕事をし、たくさんの生徒たちや同僚とよい人間関係を築けたのはありがたいことでした。
プロフィール
藤野高明
ふじの・たかあき――昭和13年福岡県生まれ。21年小学2年生の時、不発弾爆発により両目の視力と両手首を失う。34年大阪市立盲学校中学部2年に編入。46年日本大学通信教育部卒業。47年大阪市立盲学校高等部非常勤講師。翌年、同校教諭。平成14年同校を退職。同年、第37回NHK障害福祉賞受賞。著書に『あの夏の朝から 手と光を失って30年』(一光社)『未来につなぐいのち』『楽しく生きる』(共にクリエイツかもがわ)がある。
編集後記
これが、視力と両手首を失われた人の声なのか――。取材の前、初めて電話口で聞いた藤野高明さんの声は、80歳を超えているとは思えない溌剌さでした。弊誌のインタビューに、藤野さんは一つひとつ、恐縮するほど丁寧にお答えくださいました。それはあたかも、幾多の障害にぶつかりながら、人に感謝し、地道に歩んでこられたその生き様がそのまま表れているようでした。藤野さんが体で掴み取った宝物のような言葉の数々に、力強く生きるエネルギーをいただきます。
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