6 月号ピックアップ記事 /対談
挑戦する心が無限の可能性をひらく 臼井二美男(義肢装具士) 鈴木 徹(SMBC日興証券㈱所属パラ陸上選手)
日本を代表する義肢装具士として、切断障がいで心に傷を負った多くの人々に生きる希望と勇気を与えてきた臼井二美男氏。その臼井氏の競技用義足に救われた一人である鈴木徹氏は、走り高跳び選手として2000年のシドニー大会以来、実に五大会連続でパラリンピックに出場し、自らの限界と可能性に挑戦し続けてきた。そんな二人が語り合う、越えて来た山坂と活躍し続ける要諦、失望を希望へと転換する心の持ち方――。
精神的にも身体的にもどん底にある人が、いつ訪ねてきても、「臼井がいる」と安心してもらえる、絶望を希望に変えられる存在であり続けたい。それが私の願いであり、働き続ける最大の原動力ですね
臼井二美男
義肢装具士
〈鈴木〉
臼井さんとは、シドニーパラリンピック(2000年)の時に競技用義足をつくっていただいて以来、20年以上のお付き合いになりますが、こうした場で対談するのは初めてですね。きょうはとても楽しみにしていました。
〈臼井〉
確かに、これまでずっと一緒に頑張ってきたけれども、意外にもきちんと対談する機会ってなかったんですよね。だから、私もきょうはとても楽しみでした。
〈鈴木〉
しかし、特にここ数年、臼井さんは栄誉ある賞をたくさん受賞されていて、長年競技生活をサポートしていただいてきた僕としても本当に嬉しい限りですよ。
〈臼井〉
鈴木君のメカニック(義肢装具士)として、シドニー大会に始まり、アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロ、そして東京パラリンピックと、おかげさまで6大会に関わることができました。
そうした中、まず2018年に地元の東京都荒川区から荒川マイスターを、次いで2019年に東京マイスターをいただき、さらに翌2020年に「現代の名工」、2022年に文部科学大臣賞、2023年1月に内閣総理大臣賞、同年5月には春の叙勲で内閣府から黄綬褒章をいただきました。
〈鈴木〉
まさに〝総なめ〟ですね。
〈臼井〉
こんなに賞をいただける立場ではないのですが、とにかく受賞を通じて、医療職ではどちらかといえば縁の下の力持ち的な存在である義肢装具士の仕事を、多くの人に知ってもらえたのはよかったと思っています。
いろんな辛い出来事がある中でも、常に少し先に目標や課題を設定することで、次はどんな成長ができるかな、これからどんな人生が待っているのかなって、わくわくして仕方がないんですね
鈴木 徹
SMBC日興証券㈱所属パラ陸上選手
〈臼井〉
鈴木君も東京パラリンピック後も現役続行を宣言し、40を越えるいまも第一線で活躍し続けているのはすごいことですよ。
〈鈴木〉
先の東京パラリンピックは地元の方々をはじめ、もっと多くの方に生で見ていただきたかったのですが、コロナ禍でそれは叶わなかったんですね。
一方、時差もないですし、テレビを通じて初めて僕の試合を見てくれた人も多かったようで、「感動をありがとう」という声をたくさんもらえたんです。これまで「おめでとう」はあっても、「ありがとう」はあまり言われたことはありませんでした。
4位という不本意な結果に終わったこともありますけれども、何よりも「ありがとう」に対して何かお返しができる選手でありたいと、現役続行を決めたんです。
それに、後ほど詳しく触れますが、僕は幼い頃に吃音症がありましてね。言葉でうまく伝えられない分、体の動きで自分の思いを表現しようと、スポーツに熱中していったという経緯がありました。
だから、心も体もまだ動く限りは自分の原点であるスポーツで表現を続けるべきだし、実際に表現したいことが残っているので、現役を続ける選択をしたんです。
〈臼井〉
表現したいことって具体的にはどんなことなんですか?
〈鈴木〉
これは臼井さんにもまだ伝えていないのですが、……(続きは本誌をご覧ください)
◇40年、仕事への姿勢が全く変わらない
◇まだまだ自分を表現していきたい
◇見えない力に導かれ義肢装具士の世界へ
◇10年の修業でようやく一人前
◇競技用義足の新たな世界を切り開く
◇片足を失っても希望は失わない
◇運命の出逢いから義足アスリートへ
◇二人三脚でパラリンピックを目指す
◇「鈴木さん」から「鈴木選手」へ
◇世界の舞台で活躍し続ける秘訣
◇頼まれた仕事は絶対に断らない
◇希望を失わなければ出逢いは必ず用意される
プロフィール
臼井二美男
うすい・ふみお――昭和30年群馬県生まれ。大学中退後、フリーター生活を送る中、28歳で義肢装具士の仕事に出合う。以後、鉄道弘済会・義肢装具サポートセンターに勤務し、生活用義足や競技用義足の製作、さらに個人で陸上クラブ・スタートラインTOKYOを立ち上げ、障がい者スポーツの普及に取り組む。令和2年「現代の名工」、4年文部科学大臣賞、5年内閣総理大臣賞、同5月黄綬褒章など受賞(章)多数。
鈴木 徹
すずき・とおる――昭和55年山梨県生まれ。ハンドボール選手として、高校時代に国体三位の成績を残す。18歳の時に交通事故で右足の膝から先を切断。入院・リハビリを経て、日本初の義足の走り高跳び選手に。平成12年シドニー大会を皮切りに6大会連続でパラリンピックに出場。平成28年のジャパンパラ競技大会で2メートルの大台を突破する。令和元年の世界選手権では2大会連続となる銅メダルを獲得。現在もSMBC日興証券に所属し、選手兼日本パラ陸上競技連盟の強化コーチとして第一線で活躍を続ける。
編集後記
2000年のシドニーパラリンピック以来、二人三脚で世界の舞台に挑み、6大会連続入賞。その記録をつくったのが義肢装具士・臼井二美男さんとSMBC日興証券所属の走り高跳び選手・鈴木徹さんです。お互いの歩みと出逢い、仕事観から、不遇や逆境の闇を光に転じ、自らの人生を明るく照らす心の持ち方を教えられます。
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