積み重ね歩いた84年──父・内藤多仲の生き方 内藤多四郎(日本建築積算協会元副会長)

名古屋テレビ塔、大阪通天閣(二代目)、東京タワー。各地で名物として親しまれるこれらの構造設計を一手に引き受けたのが、「日本の耐震建築の父」「塔博士」の異名を取る建築家・内藤多仲その人である。自らも同じ建築の道へ進んだ次男の内藤多四郎氏に、家庭での知られざる素顔を交え、多仲博士の足跡を辿っていただく。〈写真は『建築と人生』(鹿島出版会)より〉

内藤多仲

建築家
〈1886(明治19)年~1970(昭和45)年〉

ないとう・たちゅう――明治19年山梨県に生まれる。43年東京帝国大学建築科を卒業後、早稲田大学講師。以降教授、理工学部長などを歴任し、昭和32年定年退職、名誉教授となる。33年紺綬褒章、34年紫綬褒章、39年勲二等旭日重光章を受ける。45年84歳で逝去。著書には専門書の他、『建築と人生』(鹿島出版会)がある。

父の生き方を振り返ると、まさに努力の積み重ねの人生だったと頷かされます

内藤多四郎
日本建築積算協会元副会長

 遠い記憶の中にある父の姿を思い起こすと、とかく「細かい」人だったという印象があります。何に細かいかと言うと、建築についてはもちろん、使う言葉や出逢う人々など、すべてについてです。

 例えば、父は書いた論文をよく私に見せて、「これはこういう経験があってこう書いたんだよ」とか「あの人がいたから、その力を借りてこれが書けたんだよ」と語りました。一見何でもないような言動でも、よくよく考えると理由があり、一つひとつに信念や実感が籠っている。そういう人でした。
 また、どんなに忙しい時でも、自ら設計した建築の現場には必ず顔を出していましたし、過去に恩を受けた人のことは決して忘れず、とても大切にしていました。

「『積み重ね積み重ねてもまた積み重ね』が私の人生行路だった」

 父は晩年、自分の生涯についてこう述懐しています。その生き方を振り返ると、まさに努力の積み重ねの人生だったと頷かされます。

プロフィール

内藤多四郎

ないとう・たしろう――昭和7年東京生まれ。33年早稲田大学理工学大学院修士課程修了、日建設計入社。62年同社取締役・東京技術センター所長。日建アクト・デザイン社長、東西建築サービス社長を経て、平成7年より12年間、日本建築積算協会副会長を務める。


編集後記

「塔博士」内藤多仲の生涯は、その座右銘通り勤勉努力の積み重ねでした。次男の内藤多四郎さんが振り返る素顔に、万事に丹精を込める博士の人格が、前例のないタワーをつくり上げたのだと頷かされます。

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