本居宣長に学ぶ日本の心 植松有麻呂(本居宣長ノ宮宮司)

日本人のアイデンティティを深く探求し、実に35年の歳月を傾け『古事記』の注釈書『古事記伝』を完成させた江戸期を代表する国学者・本居宣長。その偉人を主神として祀る本居宣長ノ宮の植松有麻呂宮司に、宣長が明らかにした日本人の心、いま求められる生き方について紐解いていただいた。

美しいもの、偉大なものに対して素直に感動する心を持ち、「麗し」の心でお互いに助け合って生きていく。

あらゆるものに神が宿ると信じ、常に謙虚に感謝とお蔭様の心で生きていく。

宣長が明らかにした古代日本人の心をいま一度見直し、取り戻していくことこそがよりよい生き方、日本を実現していく道なのだと思います

植松有麻呂
本居宣長ノ宮宮司

私が宮司を務める本居宣長ノ宮(三重県松阪市)は、松阪が生んだ江戸期を代表する国学者である本居宣長を主神とし、相殿には平田篤胤をお祀りしております。

ご承知の通り、宣長は日本の歴史や古典を顧み、日本人のアイデンティティを深く探求した人でした。「もののあわれ」という考え方は、日本人固有の感性の発見として示唆に富むものであり、全くの独創です。また、35年の歳月をかけて完成させた『古事記』の注釈書『古事記伝』は、国学研究の最高峰だと評されています。

その宣長を主神とする本居宣長ノ宮の由緒は、明治初年に遡ります。享和元(1801)年、宣長は72歳で亡くなりますが、遺言に従って、当時富士を望めた松阪郊外の山室山に葬られ、その奥墓には山桜が植えられました。

そして早くから宣長を国学神として祀ろうとの世論が興り、明治8(1875)年、神職の川口常文たちが奥墓の傍らに社殿を建立し、山室山神社と号します。これが本居宣長ノ宮の始まりです。

その後、明治22年に現・松阪市役所の所在地に遷座が行われ、明治36年には県社に昇格。さらに大正4(1915)年、ますます人々の尊崇が深まる中、戦国武将・蒲生氏郷が松坂城を築城した松阪発祥の聖地・四五百の森に遷座され、社号も昭和6年に本居神社、平成7年に本居宣長ノ宮へと改められ、現在に至ります。

植松家は、……(続きは本誌にて)

~本記事の内容~
◇先祖の誠を継ぎ本居宣長ノ宮を守り抜く
◇とにかく勉強せよ 商売から学問へ
◇疑問は粘り強く徹底して追求する
◇日本人本来の生き方を取り戻す

プロフィール

植松有麻呂

うえまつ・ありまろ――昭和11年大阪府生まれ。商社に勤務しながら神職の資格を取得。60年に本居宣長ノ宮に奉職し、先代の後を継いで平成6年より宮司を務める。




編集後記

清らかな氣に満ち溢れた四五百の森(三重県松阪市)に鎮座する本居宣長ノ宮は、35年かけて『古事記伝』を完成させた国学者・本居宣長を主神とする神社です。その宮司を務める植松有麻呂さんが繙く宣長の教えは、私たちが取り戻すべき日本精神を呼び覚ましてくれます。

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