8 月号ピックアップ記事 /エッセイ
悲愁を生き抜いた人 小林一茶の人生と名句に学ぶ 齋藤 孝(明治大学文学部教授)

「痩蛙 まけるな一茶 是に有」「春風や 牛に引かれて 善光寺」など、耳馴染みのよい名句で知られる俳人・小林一茶。65年で2万句を産み落としたその生涯は悲愁に始まり、悲愁のうちに終わっている。自らも長く一茶の句を愛誦し、この度弊社より名句集を上梓する齋藤孝教授が、稀代の俳人の足跡、出版に込める思いを語る。
〔肖像=一茶記念館所蔵〕

心軽やかに生きるには、自分の心を分かち合う共感相手を見つけることが肝腎です。
その意味で、自分より先に、これほどの悲愁を越えて生きた一茶という人は、この上ない共感相手ではないでしょうか
肖像画=一茶記念館所蔵
齋藤 孝
明治大学文学部教授
俳句というものを五七五の短い詩と捉えれば、俳人・小林一茶は〝国民的詩人〟と呼べるのではないでしょうか。
作品の親しみやすさでは短歌の石川啄木(たくぼく)と並び立つ存在であり、俳聖・松尾芭蕉(ばしょう)をも凌いでいると言えます。
「雀(すずめ)の子 そこのけそこのけ 御馬が通る」
「やれ打(うつ)な 蠅(はえ)が手をすり 足をする」
私も小学校に上がる頃には、このような一茶の句をいくつか覚えていました。おそらく日本中の人が同じように、いつ出会ったのか気づかないうちに一茶と出会ってしまっているのでしょう。
子供、雀、蛙(かえる)、蠅、蛍(ほたる)と、一茶には小さいものに温かな目を向けた句がいくつもあり、ほどよく力の抜けた句風が読む人の心を掴んできました。私自身も長らくそんなイメージを抱いていましたが、大人になって一茶の生涯を振り返った時、見方が一変しました。
後でお話ししますが、物心つく前に母を亡くしたことに始まり、その生涯はこんな人生があるだろうかと思うほど悲愁(ひしゅう)に満ちたものでした。彼の句文集『おらが春』に、長女さとを失った悲痛のうちに詠まれた一句があります。
「露(つゆ)の世は 露の世ながら さりながら」
この世は露のように儚(はかな)いことは知っていた、命も儚いものだと知っている、それでも、そうは言っても……。
最後の「さりながら」の五文字が、強烈に印象に残りました。あまりに切ない心境が迫ってくると共に、これほどの悲しみに遭っても、一種の「軽み」が句に失われていないからです。
古来、武士が持つような物事に動じない強さは臍下丹田(せいかたんでん)に宿るとされ、胆力と呼ばれてきました。二十代の頃この胆力を研究対象にしていた私は、一茶のその「軽みのある胆力」の源泉を求め、関連書を読み漁るようになったのです。

プロフィール
小林一茶
こばやし・いっさ――宝暦13(1763)年長野県北部の柏原(現・信濃町)の農家に生まれる。本名弥太郎。3歳で母を亡くし、15歳で江戸へ奉公に出される。天明7(1787)年葛飾派に属し、陸奥や西国を行脚。父の死後、継母と異母弟を相手に長い遺産相続争いを経て52歳で結婚。3男1女を授かるも相次いで夭死、妻とも死別。さらに再婚、離婚、文政9(1826)年再々婚。直後に生家が焼け、土蔵暮らしとなった文政10(1827)年持病の中風発作で急逝する。享年65。
齋藤 孝
さいとう・たかし――昭和35年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て明治大学文学部教授。著書に『国語の力がグングン伸びる1分間速音読ドリル』『齋藤孝の小学国語教科書 全学年・決定版』など多数。最新刊に『心を軽やかにする小林一茶名句百選』(いずれも致知出版社)がある。
編集後記
易しく懐かしい名句が映し出す情景とは裏腹に、容易ならざる愛別離苦の人生を歩んだ小林一茶。その足跡と人間的強さの背景を齋藤孝さんに繙いていただきました。身体論にも造詣が深い齋藤さんならではの「軽みのある胆力」「心を強くする技の力」といった解説に惹き込まれます。

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