先人たちの生き方を語り継ぐ 山﨑健作(遠友再興塾代表)

札幌市在住の山﨑健作さんは、94歳の現在も自身の戦争体験や平和の尊さを若い世代に伝えている。幼き日、キリスト者・新渡戸稲造が創設した遠友夜学校で人生の基礎を育んだと語る山﨑さんは、戦争や平和をどのように捉えて後世に伝えてこられたのだろうか。

「山﨑、命令が出たぞ」。その時の心臓を冷たい手で握られるような感覚はいまもはっきりと覚えています

山﨑健作
遠友再興塾代表

〈山﨑〉
参謀の話が終わると班長が「おまえたちの中で特攻に志願する者は手を挙げろ」と呼び掛けたんです。

私は空中戦闘訓練がまだまだ未熟であり、操縦技術を高めるほうが先だと思いましたから、手を挙げなかったのですが、残りの全員が手を挙げている。命が惜しいと思われるのが嫌で、何秒か遅れて挙手しました。

1週間後、特攻要員として真っ先に名が挙がり、翌日からすぐに爆弾を積んで敵艦に突っ込むための訓練が始まりました。この時の心境は平静ではないですよ。ぶつかれば死ぬんだから。

昭和20(1945)年2月、戦友が勢いよく部屋に飛び込んできて「山﨑、命令が出たぞ」と叫びました。その時の心臓を冷たい手で握られるような感覚はいまもはっきりと覚えています。

――心臓を冷たい手で握られるような感覚、ですか。

〈山﨑〉
戦後、その話を聞いた『北海道新聞』の記者が「恐怖を感じた」と書いていました。しかし、そうではありません。

「命中できるか」「任務が遂行できるか」という緊張感から出た言葉であって、私たちは死ぬことは当たり前だと思っていたんです。だから、皆とても朗(ほが)らかでしたよ。

〈写真は独立飛行第49中隊時代の山﨑さん〉

プロフィール

山﨑健作

やまざき・けんさく――昭和2年北海道生まれ。15歳で陸軍少年飛行兵となり特攻要員として台湾で終戦を迎える。戦後は家業の鋸の電気溶接の職人、その後サラリーマンとして働く傍ら、「青空こども会」などのボランティア活動に従事。94歳の現在も遠友夜学校を顕彰すると共に戦争の語り部としても活動。


2022年5月1日 発行/ 6 月号

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