10 月号ピックアップ記事 /対談
人類はどこに向かおうとしているのか 〈iPS×宇宙〉最先端の仕事に挑む2人の科学者が目指す未来 野口聡一(宇宙飛行士) 山中伸弥(京都大学iPS細胞研究所名誉所長)
iPS細胞と宇宙開発——共に人類の知恵と夢が詰まった、未来を開く重要な鍵である。
それぞれの分野で道を切り拓き、世界が注目する業績を上げてきた山中伸弥氏と野口聡一氏。折しも今年、山中氏は12年務めた京都大学iPS細胞研究所所長を退任し、野口氏は3度の宇宙飛行を経てJAXAを退職し、新たな挑戦と創造のスタートラインに立った。
私たちは何のために生き、何のために働くのか。そして、人類はどこに向かおうとしているのか。最先端の仕事に挑む2人の科学者が語り合う〝体験的人生論&仕事論〟に生き方の法則を学ぶ。
自分の姿を離れたところから客観的に見て、自分の思い込みに囚われず、他人が見た時にどう思われるかを常に考える。この世阿弥の「離見の見」の心構えは非常に大事だと感じています
野口聡一
宇宙飛行士
〈山中〉
先ほど野口さんは工学部出身だとおっしゃっていましたが、宇宙に興味を抱かれたのはどういうきっかけだったんですか?
〈野口〉
宇宙への関心を持った最初のきっかけは、5歳の時、父の実家がある大阪で開かれた日本万国博覧会で「月の石」を見たことでした。
その後、宇宙飛行士を目指そうと思ったのは、高校3年生の時です。知の巨人と称されたジャーナリストで評論家の立花隆さんが書かれた『宇宙からの帰還』を読み、宇宙に行きたいと強く惹かれるものがありました。
この本はあるアメリカ人宇宙飛行士のルポルタージュで、宇宙で生と死の極限に立ち会ったことがその人の内面にどう影響を及ぼすのか、ということにフォーカスしていて、すごく新鮮な切り口だったんです。宇宙飛行士のキャリアを決めた1冊と言っても過言ではありません。
〈山中〉
1冊の本との出逢いが野口さんの将来を決めたのですね。
〈野口〉
父はテレビのブラウン管をつくる技術者でしたが、宇宙飛行士になりたいと伝えると、可能性を否定せず、私がやりたいことを自由に挑戦させてくれたんです。もっとも、当時は日本人宇宙飛行士がまだいなかったので、可能性が低すぎて反対する気になれなかったのかもしれません(笑)。
いま振り返ると、どんなに可能性が小さくても諦めなくてよかったなとつくづく思います。
8割から9割は当然うまくいかないけれども、思い通りにならないことを受け入れてチャンスだと捉える。iPS細胞を発見できたのもこの心構えのおかげなんです
山中伸弥
京都大学iPS細胞研究所名誉所長
〈山中〉
父親の影響というのはやはり大きいですよね。
私の父は町工場を経営していました。「もっといいものはできないか」というのが口癖で、常に創意工夫を凝らしていた姿が脳裏に焼きついています。祖父も同じような仕事だったみたいですから、私にも技術者の血が絶対に流れていると思います。
私が中学生の時に、父は仕事中に怪我をして輸血が必要になり、その輸血が原因で肝炎になってしまい、肝硬変を患いました。元気だった父がどんどん衰弱し、顔色も黒ずんでいく。病に苦しむ父を見ている中で、医学にすごく興味を持つようになったんです。
父も「工場は継がなくていいから医者になったらいい」と背中を押してくれましたが、私が研修医になった翌年、父は58歳で亡くなってしまいました。
せっかく医者になったのに何もしてあげられなかった。そういう無力感、喪失感に襲われたことが臨床医から研究者に転じた大きな理由です。
〈野口〉
そういう深い思いが背景にあったのですね。
〈山中〉
それで最先端の研究技術を身につけようと、3年間アメリカのグラッドストーン研究所に留学しました。ところが帰国後、日本とアメリカの研究環境の違いから思うように進まず、精神的にまいってしまった時期がありました。
これを私は勝手にPAD(ポスト・アメリカ・ディプレッション/アメリカ後鬱病)と呼んでいまして(笑)、もう研究者を逃げ出して臨床医に戻ろうとほぼ決心したんですが、その時も亡き父が母の夢枕に立って、「お父ちゃんが伸弥に考え直せと言ってた」って母が電話してきました。
それで思い留まったくらいですから、そういう意味でも父の影響はありますね。
〈野口〉
いやぁ、iPS細胞を開発してノーベル賞を受賞された山中先生ほどの方が、その前日譚としてアメリカ留学後に八方塞がりというか、見込みがなくて悩んでいた時期があったというのは、多くの人たちの心に響くと思います。
プロフィール
山中伸弥
やまなか・しんや――昭和37年大阪府生まれ。62年神戸大学医学部卒業後、整形外科医を経て研究の道へ。平成5年大阪市立大学大学院医学研究科修了。アメリカのグラッドストーン研究所に留学後、大阪市立大学医学部助手、奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター助教授及び教授、京都大学再生医科学研究所教授などを歴任。18年にマウスの皮膚細胞から、19年にヒトの皮膚細胞からそれぞれ世界で初めてiPS細胞の作製を発表。22年京都大学iPS細胞研究所所長。24年ノーベル生理学・医学賞受賞。令和2年(公財)京都大学iPS細胞研究財団理事長。4年4月京都大学iPS細胞研究所名誉所長に就任。著書に『挑戦常識のブレーキをはずせ』(藤井聡太氏との共著/講談社)など。
野口聡一
のぐち・そういち――昭和40年神奈川県生まれ。平成3年東京大学大学院工学系研究科航空学専攻修士課程修了後、石川島播磨重工業(現・IHI)入社。8年宇宙飛行士候補者に選抜され、NASDA(現・JAXA)入社。17年スペースシャトル「ディスカバリー号」で国際宇宙ステーションに滞在、3度の船外活動をリーダーとして行う。21年ソユーズ宇宙船に船長補佐として搭乗。令和2年日本人で初めてアメリカ民間企業スペースX社の宇宙船に搭乗。約5か月半の滞在中、4度目の船外活動や日本実験棟「きぼう」で様々なミッションを実施。3年東京大学先端科学技術研究センター特任教授。4年5月合同会社未来圏設立、代表就任。同年6月JAXA退職。著書に『野口聡一の全仕事術』(世界文化社)など。
編集後記
iPS細胞研究所名誉所長の山中伸弥さんと宇宙飛行士の野口聡一さん。多忙ゆえに対談は1時間と限られていた上、感染拡大で急遽オンライン開催となったものの、深みのある凝縮された取材となりました。生命の奇跡と人類の未来を見据えていま何を為すべきか、考えさせられます。
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