10 月号ピックアップ記事 /インタビュー
自分の未来は自分で切り開く 伊藤 真波(日本初義手の看護師/元水泳パラリンピック選手)
20歳の時に交通事故で右腕を失った伊藤真波さん。苦悩の日々を乗り越え、いまでは「事故はいい勉強になった」と笑顔で語るが、その芯の強さはどこから来るのか。現役の看護師として仕事をする傍ら、パラリンピック選手として2大会に出場。現在は講演活動とヴァイオリンに力を注いでいる伊藤さんが、頑張り続ける理由とは――。
何としても「この人生でよかったね」と両親に言ってもらいたくて、親のために幸せになろうとこれまで頑張ってきました
伊藤 真波
日本初義手の看護師
元水泳パラリンピック選手
――伊藤さんがこれまで影響を受けた方はいらっしゃいますか?
伊藤
やはり母ですね。母には勝てません。母のようになりたくて、頑張ってきました。
――どんなお母様ですか?
伊藤
普通の人ですが(笑)、ネガティブなことを言わず、「自分で決めたことは自分の責任だから、最後までやり切りなさい」と小さい頃からよく言われていました。
事故直後は、私を五体満足で産み、健康に育ててくれた両親に、自分の体を傷つけるというひどいことをした自分が許せませんでした。何としても「この人生でよかったね」と両親に言ってもらいたくて、親のために幸せになろうとこれまで頑張ってきました。
――ご両親のために幸せになる。
伊藤
きっと、母は自分を責めたと思うんです。取っ組み合いの喧嘩をしてでもバイクに乗るのを止めさせておけばよかったと。事故に遭う前は母と毎日のように口喧嘩していたんですけど、事故に関しては私を責めることは一切ありませんでした。「いい加減にしなさいと言ったでしょ!」、そう叱ってくれたらどんなに楽だったか。
母は悲惨な状況にある娘を叱るなんてできず、言葉をぐっと呑み込んだのでしょう。それが痛いほど分かるからこそ、余計に私が笑顔で輝いて、母に恩返しをしなければと思っています。
プロフィール
伊藤 真波
いとう・まなみ――昭和59年静岡県生まれ。平成16年20歳の時に交通事故に遭い右腕を切断。看護師用の義手をつくるため単身神戸へ。19年専門学校を卒業し、看護師の国家試験に合格。神戸百年記念病院に勤務。20年北京パラリンピックに出場。100メートル平泳ぎ4位、100メートルバタフライ8位。22年アジアパラリンピックにて100メートル平泳ぎ2位。24年ロンドンパラリンピックにて100メートル平泳ぎ8位。現在は講演活動の傍ら、ヴァイオリンも奏でている。
編集後記
20歳の時に右腕を失うも、看護師、水泳選手、バイオリニストとして活躍する伊藤真波さんのお話に、勇気をいただきます。
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