危機から生き残った人の習慣 小西浩文(無酸素登山家)

酸素ボンベをつけず、体力と精神力を鍛え上げることで8000メートル級の山々を踏破してきた無酸素登山家の小西浩文氏。幾度も命の危機に遭遇しながらも、それを回避してきた小西氏は、 どのような心の習慣を身につけていたのだろうか。

登山においては想定外という言葉は通用しません。危機の9割は予見できることを考えれば、想定外というのは甘えに他ならないというのが私の考えです

小西浩文
無酸素登山家

 1991年、パキスタンのカラコルム山脈にあるブロード・ピークという山に挑んだ時のことです。心身共に極限状態にあっただけに目の前にキャンプが見えた時は心底ホッとしました。私がヒドン・クレバス(雪に覆われて見えなくなっている氷河や雪渓の深い割れ目)に転落してしまったのはその直後のことです。滑り台のような斜面が数メートル続き、そこからいきなり真下へ落ち込むというすり鉢状のクレバスで、たまたま割れ目付近に体が引っかかったことで仲間に救助され、命拾いしました。
 クレバスに落ちたのは運が悪かったから、と思う人がいるかもしれません。しかし、この事故は100%私が引き起こしたものでした。登山家にとってトレース(先行する人が雪を踏み固めた足跡)から外れないことは基本中の基本です。ところが、私はゴールを急ぐあまり、近回りをしようとしてクレバスに転落してしまったのです。「ゴールはもう間近だ」という気の緩みがすべての原因でした。

プロフィール

小西浩文

こにし・ひろふみ――1962年石川県生まれ。15歳で登山を始め、1997年に日本人最多となる「8000メートル峰6座無酸素登頂」を記録。20代後半から30代前半にかけて3度のがん手術を経験。がん手術の合間に2座の8000メートル峰、ブロード・ピークとガッシャーブルム?峰の無酸素登頂に成功。がん患者による8000メートル峰の無酸素登頂は人類初となる。現在は、経営者向けの講演活動なども続ける。


編集後記

標高八千メートルを超える世界の山々を酸素ボンベを使わずに登り続けた登山家・小西浩文さんが死線を超える中で掴み取った危機管理のノウハウは、そのまま仕事や人生の危機管理に繋がります。

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