7 月号ピックアップ記事 /インタビュー
最悪と思われる出来事も、考え方と行動によって最高の出来事に変えられる 西川悟平(ピアニスト)
「一生ピアノを弾けない」。ピアニストにとって生命線の指を難病に侵され、医師からそう宣告された西川悟平氏。自ら命を断とうとするほど苦しい状況からいかに光を見出し、七本指のピアニストとして世界中で活躍する夢を掴んだのか。逆境をプラスに捉え、自らの人生を切り開いてきた西川氏の思考法に学ぶ。
僕自身の難病もそうですが、闇が暗い分、出口の先に広がっている世界は、本当に光り輝いている
西川悟平
ピアニスト
(西川さんのコンサートを以前鑑賞しましたが、聴いているだけでは、7本の指で演奏されているとは全く分からない、素晴らしい音色でした)
西川
ありがとうございます。でも鍵盤の上では、動かない指を補うために7本の指が結構アクロバティックに動いているんですよ。白鳥が優雅に泳いでいるように見えて水面下で必死に足を動かしているのと同じで(笑)。
僕は20年くらい前にジストニアという脳神経の異常により筋肉がこわばってしまう病気を患い、手の指が思うように動かせなくなりました。体の一部を酷使する人が発病しやすいといわれていて、明確な治療法が発見されていない難病です。
リハビリを続け、右手は何とか5本動くようになったんですけど、左手はいまも親指と人差し指だけ。あとの3本はピアノを弾く時だけグーの形に曲がって動きません。ですから、左手のパートを右手で補いながら弾いたり、独自にアレンジを加えたりして演奏しているんです。当然、物理的に弾けない曲もたくさんあります。
プロフィール
西川悟平
にしかわ・ごへい――昭和49年大阪府生まれ。15歳からピアノを始め、平成11年に巨匠デイヴィッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏に認められ、ニューヨークへ。同年リンカーンセンター・アリスタリーホールにてデビュー。翌年より定期的にカーネギーホールにて演奏。17年両手の演奏機能を完全に失い、ジストニアと診断される。20年7本指で演奏し、ヨーロッパデビュー、以来世界各国で活躍する。令和元年銀座に専用サロン「GINZA 7th Studio」オープン。著書に『7本指のピアニスト』(朝日新聞出版)がある。
編集後記
難病を患い、7本指しか動かなくなったピアニストの西川悟平さんに、苦境を受け入れ再び舞台に立つまでの軌跡を伺います。
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