4 月号ピックアップ記事 /インタビュー
「生きる」。それが人生で最も大切なこと 松野三枝子(農漁家レストラン松野や店主)
2006年、53歳で突然末期がんを宣告された松野三枝子さんは、東日本大震災時、津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町の病院に入院中だった。間一髪で命を助けられ、翌日から重篤な体を必死に動かし炊き出しを開始したところ、3か月後の精密検査で全身に転移していたがんがすべて消えていたという。松野さんが呼びよせた、科学では証明できない奇跡に迫る。
末期がん、東日本大震災を共に生き抜くことができたからこそ、まずは自分が真剣に生きて、命の大切さを伝えたい。とにかくあと1年でも2年でも生き続けたいと思います
松野三枝子
農漁家レストラン松野や店主
川の向こう岸は一面、綺麗なお花畑でした。ただし五分咲き。「えー、もったいない。満開の時に来てみたい」。そう思った瞬間、現実世界に引き戻されました。これが世にいう三途の川だったのでしょう。
当時の私は緊急手術の後、三日三晩意識が戻らず寝込んでいました。スキルス性胃がんのステージⅤと診断され、医師も家族も助からないだろうと諦めかけていたら、「この川は渡らない!」と私が寝言を言いながら奇跡的に目を覚ましたそうです。
普通の人は五分咲きでも三分咲きでも、「綺麗ね」と橋を渡っていくのでしょうが、可愛げのない強気な性格だったことが、私の生死を分けることになりました。
それから5年後、東日本大震災が襲った時は、津波で街が全壊した南三陸町の病院に入院中でしたが、ギリギリのところを助けられました。余命幾ばくもない自分が生き残り、前途洋々な若者たちが目の前で流されていった。世の無情さに絶望しながらも、助かった者の務めとして、翌日から自宅に備蓄していた食材を使って炊き出しに駆け回っていたところ、理由は分かりませんが、3か月後の精密検査で全身に転移していたがんが完治していたのです。それから八年経ったいまも再発はしていません。
一生のうちに一度も経験しない人も多い大病、そして大震災という「まさか」を二度も経験し、共に生き延びることができた奇跡。そこから教えてもらった命の尊さと、生きていることへの感謝を日々噛み締めています。
プロフィール
松野三枝子
まつの・みえこ――昭和28年宮城県生まれ。35年のチリ地震による津波被害で、当時3歳だった妹と祖母を失う。48年19歳の時に農家に嫁ぎ、育児や家事を行う傍ら、フードイベントに出店し、郷土料理を振る舞う。平成18年53歳の時に末期がんを宣告される。23年東日本大震災の時、入院先の病院で被災。3か月後、がんが奇跡的に完治する。26年1月自宅横に「農漁家レストラン松野や」をオープン。
編集後記
東日本大震災を境に末期がんが奇跡的に完治した女性がいる。そう伺い宮城県南三陸町で農漁家レストラン松野やを営む松野三枝子さんをお訪ねしました。底抜けの明るさに驚くと共に、その瞳の奥に隠された悲しみ、苦しみの数々に涙を禁じ得ません。
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