9 月号ピックアップ記事 /対談
出光佐三がめざしたもの 山口秀範(小中一貫校「志明館」館長) 新保祐司(文芸批評家)

出光興産を一代で大手の石油会社に築き上げる一方、人間尊重、大家族主義という独自の経営方針を貫いた出光佐三。佐三の95年の人生を辿ると、そこには大経営者という枠では収まりきらない人間的なスケールの大きさが見えてくる。敗戦のどん底の中で「愚痴をいうな」と訓示し、1,000人の従業員を一人も解雇することなく守り通した逸話からもそれを知ることができる。佐三を敬愛する小中一貫校「志明館」館長・山口秀範氏、文芸批評家の新保祐司氏に、佐三の歩みを辿りつつ、そのめざしたものは何かを語り合っていただいた。©出光興産
順境において悲観し、逆境において楽観せよ
出光佐三(いでみつ・さぞう)
明治18年福岡県生まれ。神戸高等商業学校卒業後、酒井商会勤務を経て北九州市で出光商会を創業。昭和15年本店の出光商会に加えて国内、満州、中華民国、朝鮮、台湾における事業を担当する出光興産、満州出光興産、中華出光興産を設立し、社長として統括。昭和22年に出光興産に一本化し、41年会長、47年店主となった。出光興産を一代で民族系大手の石油会社に築き上げると共に「馘首しない」「定年制がない」「出勤簿がない」「労働組合がない」の四無主義を掲げる独自の経営方針を貫いた。古美術の収集家としても知られ、41年出光美術館を設立。昭和56年死去。

「日本人にかえれ」というのが出光さんがめざしたものだと私は思います。敗戦後2日目の訓示で出光さんは「世界無比の3,000年の歴史を見なおせ」と言っています。日本人はそれだけのものを背負ってきているわけだから、そこにかえっていかなくてはいけない
山口秀範
小中一貫校「志明館」館長
〈山口〉
出光さんは1885年にいまの福岡県宗像市で生まれ、福岡商業学校(現・福岡市立福翔高等学校)を卒業されています。私は寺子屋モデルという会社を立ち上げて、子供たちや大人にも偉人伝を伝えるという活動を続けているのですが、いままでで最も聴衆の反応がよかったのは福翔高校の全校生徒に「母校の偉人・出光佐三翁」を語った時でした。
創立110周年を迎えた2010年、1000人近くの生徒の前で話をしたところ、一人も眠ることなく真剣に耳を傾けてくれましてね。それは何も私の講演が素晴らしかったわけではなく、自分たちの先輩にこんなにも素晴らしい偉人がいたんだとスイッチが入ったからなんです。
〈新保〉
特にどのようなところが子供たちの心に響いたのですか。
〈山口〉
これは出光さんの有名な話ですけれども、1950年代、イランは自国の石油を国有化する動きを進めました。それまで石油はイギリスの企業によって独占的に管理されていて、イランの動きに強く反発したイギリスは、「イランから石油を買ってはならない」と世界の国々に圧力を掛けるんですね。イラン産の石油の輸出がついに封鎖された時、「どこの国の石油であっても、取り引きは公正でなくてはならない」と唯一声を挙げたのが出光さんでした。
そして、1953年、出光のタンカー日章丸二世がイランへと向かいました。いろいろな妨害にめげず、日章丸をイランのアバダン港に着け、満タンの石油を積んで日本に戻ってくるんです。窮乏するイラン国民を救い日本のエネルギー供給を守ったわけです。イランとの取り引きは出光興産の大きな飛躍をもたらしました。
ちょうど日本の戦後の占領政策が解けたすぐの頃で、出光さんのこの決断は戦争に打ちひしがれた当時の日本人、特に若者を勇気づけました。この話はとりわけ高校生の琴線に触れたようです。

大学を出て一丁稚として働き個人商店を開く、世界の圧力に屈せず日章丸をイランに向かわせて取り引きを成功させる、戦後、1,000人の従業員を一人も解雇しない。出光さんがやってきたことはすべて侠客(きょうかく)そのものです
新保祐司
文芸批評家
〈山口〉
新保さんはもともと出光興産の社員でいらっしゃいましたね。
〈新保〉
はい。大学を出て新卒で入社し、18年間お世話になっていました。僕は文学部出身で、それほど就職先がなかったのですが、父が出光興産の社員だったために入れたのかもしれません。
経済も法律も、ましてや経営など学んだこともない。小説や評論ばかり読んでいて、世俗的なことには嫌悪感すら覚えている若者でした。外から見れば高級ぶっているだけの、一応は知的青年のように映っていたことでしょう。
そんな僕が出光興産の社風によって大きく変わったんです。もし銀行とかメーカーとか、実績ばかり求められる企業に入っていたら、変な素浪人のようになって人生が崩れてしまっていたかもしれません。
〈山口〉
出光さんとお会いになったことは?
〈新保〉
僕が入社して4年目に亡くなり、残念ながらお会いする機会はありませんでした。
ただ、出光興産には出光さんの精神性がしっかり息づいていましてね。売り上げや利益を追うのではなく、人間が働くとはそもそもどういうことなのかとか、精神的なものをとても大切にしている会社であることが新鮮でした。僕がそれまで求めてきた精神性と通じるものがあったことは確かです。……(続きは本誌をご覧ください)
本記事の内容 ~全10ページ~
◇日本とイランの絆を深めた日章丸事件
◇出光興産での精神的目覚め
◇一人ひとりが経営者
◇1000人の従業員は誰一人解雇されなかった
◇出光佐三の精神を培ったもの
◇日本人が取り戻すべき侠客的精神
◇陰徳の人だった出光佐三
◇敗戦後の訓示「愚痴をやめよ」
◇「日本人にかえれ」
◇佐三の死を悼まれた昭和天皇
プロフィール
山口秀範
やまぐち・ひでのり――昭和23年福岡県生まれ。早稲田大学卒業後、大成建設に入社。15年にわたる海外勤務の後、平成8年依願退職。翌年国民文化研究会事務局長就任。17年株式会社寺子屋モデル設立。不登校児自立支援を行うNPO教育オンブズマン理事長、福岡中小企業経営者協会会長なども歴任。令和6年北九州市に次世代リーダーの育成を目指す小中一貫校「志明館」を開校。編著に『日本の偉人100人(上・下)』(致知出版社)『名家の家訓』(三笠書房)など。
新保祐司
しんぽ・ゆうじ――昭和28年宮城県生まれ。東京大学文学部卒業。『内村鑑三』(文春学藝ライブラリー)で新世代の文芸批評家として注目される。文学だけでなく音楽など幅広い批評活動を展開。平成29年度第33回正論大賞を受賞。著書に『明治頌歌 言葉による交響曲』(展転社)『明治の光 内村鑑三』『「海道東征」とは何か』『美か義か』(いずれも藤原書店)など多数。
編集後記
「出光佐三はただの事業家ではない。事業を手掛ける思想家、哲学者だ」とはトップ対談に登場いただいた文芸批評家・新保祐司さんの言葉です。対談相手の「志明館」館長・山口秀範さんも、敗戦というどん底で従業員を一人も解雇せず再起を果たした不撓不屈の精神に魂が揺さぶられると語ります。佐三はまた、日本精神の復活を切に求めた人でもありました。「日本人にかえれ」という言葉は、いまを生きる私たちの目覚めを促す大切なメッセージです。

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