死に方は選べなくても、生き方は選べる 川村賢壽(かわむら会長/気仙沼鹿折加工協同組合理事長)

世界に誇る漁場・三陸を筆頭に、深い爪痕を残した東日本大震災。15年が過ぎたいまも、傷は癒えたとは言い難い。水産加工を生業とし、グループ会社を含め27あった拠点の九割を津波で流失した川村賢壽氏は、それでも地元・気仙沼に残り、半年で複数の工場を復旧。15年間で業績を震災前の水準に戻し、近隣の同業者を束ね世界に挑んでいる。氏が絶望の淵でめざしたものは何だったのか。

いくら考えたところで、見えない未来に答えを見出すことはできません。
どこかに辿り着くには、腹を括って、前に進むしかない

川村賢壽
かわむら会長/気仙沼鹿折加工協同組合理事長

――御社は、東日本大震災で壊滅的被害を受けられたそうですね。

〈川村〉
忘れもしません、15年前の3月11日14時46分。この気仙沼も大変な揺れに襲われました。

急いですべての作業を止めさせて社員を帰し、私も少し離れた自宅へ車を飛ばしました。

ただ、この辺はリアス式海岸ですからね。山と海が入り組んだ地形で、町を繋つなぐ道路が低い海側を通っている。そこに差し掛かった時、津波が来ました。前を走っている車があっという間に呑まれて、全部流されていくんですよ。

すんでのところで車を停めました。それで助かったわけね。

――まさに間一髪で。

〈川村〉
運がよかった。あの震災で生き残ったのは、運ですよ。町は波に呑まれて、あの日はそこに雪が降ってね。とにかく寒い。この世の景色とは思えなかったな。何とか残った自宅に辿り着いて、次の日から社員の安否確認でした。

――被害はいかほどでしたか。

〈川村〉
私は生ワカメ・生コンブを主に扱う「かわむら」と、鮭やイクラを主に扱う「加和喜(かわき)フーズ」、冷蔵庫の「冷水」の計3社を経営していましてね。社員は全体で270人ほど。電話が通じない中、10日かけて情報を集めました。

結果、残念なことに3社のうち1人だけ、若く真面目な社員が犠牲になりましたが、彼以外は全員無事でした。普段から県の研修会を受けて、津波を想定した訓練をしていた成果だと思います。

ところが、本社を含め、27あった事務所や工場のうち25か所が壊れていました。加えて、40億円分の在庫もダメになってしまいました。………(続きは本誌にて)

~本記事の内容~(全4ページ)
◇築き上げたものを一瞬で押し流されて
◇二流だからこそ進化できる
◇先が見えない暗闇で腹を括ること
◇会社の生命線を何が何でも守る
◇一人ではなく、組合で本当の復興を目指す

プロフィール

川村賢壽

かわむら・けんじゅ――昭和24年宮城県生まれ。仙台育英学園高等学校卒業後、東京の昆布問屋で修業。45年海産物加工業を開始。49年㈱川村商店設立(平成3年㈱かわむらへ社名変更)。昭和63年㈱加和喜フーズ代表取締役。平成19年冷水代表取締役。23年東日本大震災で経営する3社の施設設備の9割が流失。同年6月本社一部操業再開。24年気仙沼鹿折加工協同組合設立、理事長就任。


編集後記

東京から新幹線と在来線、バスを乗り継いでおよそ5時間。降り立った気仙沼の町は、薄霧に包まれた小高い山と海に挟まれ、遠くにウミネコの鳴き声が聞こえました。あたりを見回すと比較的新しい建物や店舗が多く、津波が一帯の建物をさらっていたことを感じさせるものがありました。
しかし、少し港へ歩くと水産加工業者があり、そこにひときわ活力を感じる社屋と工場を構えているのが、川村賢壽会長の「加和喜フーズ」でした。当日はあいにく小雨が降っていたものの、社員の皆様、そして川村会長が温かく迎えてくださいました。
あの震災から15年――「これが人生最後の取材と思って弾き受けました」と口にされる会長。創業の物語と、震災からの復興、未来への展望を語るその姿から、大変な苦闘が透けて見えました。奇しくも取材の4週間後、熊本でまた大きな地震がありましたが、このインタビュー記事が何らかの力になることがあれば望外の喜びです。

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