12 月号ピックアップ記事 /対談
苦難の果てに掴んだ人生の心術 桑村 綾(紫野和久傳代表) 宮本 輝(作家)
日本を代表する作家・宮本輝氏。25歳の時に突然発症した重度のパニック障害と長年闘いながら、『泥の河』『螢川』『流転の海』をはじめ、数多くのベストセラーを生み出してきた。紫野和久傳代表・桑村 綾氏。老舗の名料亭がひしめく京都で新参者は絶対に成功しないと言われながらも、独自の店づくりを追求し、一流ブランドを築き上げた。お二人が苦難の果てに掴んだもの。それは人生・仕事に真剣に生きるすべての人に大きな勇気を与えてくれる。
人のしていないことをする。お客様に同じ料理を二度食べていただかない
桑村 綾
紫野和久傳代表
宮本
僕が初めて高台寺和久傳に来たのは確か45歳の時です。もう30年近く前になりますね。
桑村
ここに店を構えて38年ですから、わりに早い時期ですね。
宮本
綾さん、あの頃はまだ若かったんやね(笑)。
桑村
お互い様です(笑)。
宮本
初めて食事した時に感心したのは、洛中の人たちが洟も引っ掛けないような京丹後の田舎から出てきて、よくこれだけの店をつくったなと。京都には伝統ある高級料亭がたくさんありますけど、そういう店と同じような料理を出してもやっていけないだろうし、いい意味で田舎臭さというか野趣のある料理ですよね。
桑村
いまおっしゃってくださったように、当時もいまも変わらないのは、まずやっぱり人のしていないことをする。京料理があんまり好きじゃなかったこともあるんですけど、他では味わえないものを提供しようと。お座敷でカニを焼いてお出しするというのはその典型ですね。誰でもしていることはやらないんです。
それから、お客様に同じ料理を二度食べていただかない。このお客様はいつ、どなたとお越しになって、その時に料理やお菓子は何を召し上がったか、どの部屋だったか、掛け軸は何だったか、そういう情報をすべて管理する。いまはパソコンを使って簡単にできますが、当時はパソコンもなく一つひとつ書き記していました。
最後まで諦めない。諦めない限り、必ず達成する時が来る
宮本 輝
作家
桑村
37年、『流転の海』シリーズを書き続けてきた中で、貫いてきた思いってありますか?
宮本
諦めないことですね。完結というのは自然にするんじゃない。自分の意志で完結させるんです。だから、最後まで諦めない。諦めない限り、必ず達成する時が来る。小説家になってからは、とにかく粘り強くなければ仕事は続けられない、続けたら何とかなるんだという思いでやってきました。
桑村
素人から見ると、溢れるようにダーッと書き続けたような印象を受けますけど、書けない時もあったんでしょうか?
宮本
もちろんあります。技術的に行き詰まっていく時もあるし、実在の人物をモデルにしていますので、これは書いても差し障りないだろうかっていう場面の選択もある。一つの小説を仕上げる時には、それはもういろんな葛藤があるんですけど、それを37年間やるっていうのは、やっぱりしんどいですね。
桑村
書けなくて行き詰まった時にはどうされるんですか?
宮本
一行でもいいからとにかく書くんです。よく「もう書けない」「筆が止まっちゃってさぁ」って言う人がいますが、それは書けないのでも、止まってしまったのでもなく、書かないんです。
あるところでバタッと止まってしまった。次に進みたい。この時に、橋渡しをする一行を無理矢理にでも書くんです。そうしたら、次の橋へ渡れるんです。この一行を書くのに大変なエネルギーがいるわけですが、それがしんどいものだから、「書けない、書けない」って酒を飲んでいる(笑)。とにかく書くんです。書いたらまた動き出すんです。
プロフィール
桑村 綾
くわむら・あや――昭和15年京都府生まれ。証券会社勤務を経て、39年京丹後・峰山の老舗旅館「和久傳」に嫁ぐ。衰退した和久傳を立て直し、57年京都市内の高台寺に店を構える。現在は料亭の他、茶菓席やむしやしないの店舗を展開し、百貨店ではおもたせとして弁当や和菓子、食品を販売。京丹後の地域活性事業として「和久傳ノ森」づくり、物販商品の工房開設などを行う。
宮本 輝
みやもと・てる――昭和22年兵庫県生まれ。45年追手門学院大学卒業後、広告代理店入社。重度のパニック障害となり退職し、作家を目指す。52年『泥の河』で太宰治賞を受賞し作家デビュー。翌53年『螢川』で芥川賞を受賞。一時結核療養のため休筆。『優駿』で歴代最年少40歳で吉川英治賞を受賞、平成21年『骸骨ビルの庭』で司馬遼太郎賞、22年紫綬褒章受章。30年『野の春』を刊行し37年にわたって執筆を続けた『流転の海』シリーズ全9巻完結。令和2年旭日小綬章受章。最新刊に『灯台からの響き』(集英社)。
編集後記
特集を締め括るのは作家・宮本輝さんと紫野和久傳代表・桑村綾さんの対談です。30年近く親交があるお二人には、若い頃に死を意識するほどの辛酸を嘗めながら、運命的な人との出逢いや言葉の支えによって今日まで一道を歩み続けてきたという共通項があります。軽妙洒脱な語り口に惹き込まれると共に、深い教えに思わず唸ります。
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