大石順教尼の歩いた道 萱野正己(大石順教尼記念館館長) 大石晶教(雅美)(大石順教尼かなりや会代表) 入江富美子(映画監督・へそ道主宰)

養父の凶刃に両腕を失うも、悲劇を見事に乗り越え、生涯を身障者の支援に捧げた大石順教尼。口に筆を執り描いた書画は多くの人に愛され、没後50年、生誕130年を迎えたいまなお、記念館への来館者は引きも切らないという。身障者の母と謳われた無手の尼僧を突き動かした内発力の源は何か。順教尼と縁の深い萱野正己氏、大石晶教さん、入江富美子さんに語り合っていただいた。

順教尼の足跡を振り返ってみると、チャレンジの連続の人生だったと言えるでしょう。理不尽な環境を変えようとするのではなく、為せば成ると自分を変えながら歩み続けたんだと思う

萱野正己
大石順教尼記念館館長

 順教尼の足跡を振り返ってみると、チャレンジの連続の人生だったと言えるでしょう。「何事も成せばなるちょう言の葉を胸にきざみて生きて来し我れ」とも詠んでいるけれども、理不尽な環境を変えようとするのではなく、為せば成ると自分を変えながら歩み続けた。そういう生き方を貫くところからものすごいパワーが生まれた。まさしく内発力の源になったんだと思います。
 それと、やっぱり人から受けたご恩に報いたいという思いが、順教尼を内から突き動かす一番の力になっていたと思う。何しろ、朝起きた時からもう人の手を借りんといかんでしょう。そういう生活が何十年と続いたわけやから、口ではいちいち言わなくても、内に秘めたる感謝の念、報恩の思いというのはものすごいエネルギーになっていたと僕は思う。

祖母はよく〝たとえ身体は不自由でも、心の障がい者になってはなりません〟と言っていました

大石晶教(雅美)
大石順教尼かなりや会代表

 とにかくマイナスをプラスに考える人でしたね。漫才なんかも好きで、手のない自分と目の見えない人とどっちが得かという問答を著書に面白おかしく書いたり。そういう楽しい人でしたから、祖母の周りではいつも笑いが絶えず、和気藹々としていました。
 私は最初、順教尼のお孫さんって持ち上げられるのが嫌やったんです。高校も遠い所を選んだりして、ちょっとでも離れよう、離れようとしていました。けれども大学に落ちた時、「初めての失敗や、友達を呼び。お祝いしたろ」と祇園で食事を振る舞ってくれ、この人はちょっと違う、話の分かる人だって、その時から心を開いて向き合えるようになったんです。亡くなったのは私が大学入学を果たした年やったけど、あぁもうちょっと元気でいてくれたらって強く思いました。

私が一番影響を受けたのは、〝禍福一如〟という言葉です。よいことも悪いことも自分の心一つだよと

入江富美子
映画監督・へそ道主宰

 自分のことを否定すると、自分に関わってくださる人まで否定することになるんですね。自分がダメってことは親も先祖もダメにすることになる。でも自分を大切なものとして受け入れた時、親も先祖も全員尊い存在になる。自分がどう見るかによって、この世は一変することに気づかされたんです。
 それまでは、外側の事実が自分をつくると思っていたんですけど、そうではなくて私が出来事に意味を見出し、それを感じ取って生きていくんだと。だから何事も陽気に楽しく、面白がって受け取れる自分になりたいし、そのお手本になるのが順教尼先生なんです。
 先生をお手本に、いかにして面白がるか、どうやったら喜べるかっていう姿勢で物事に向き合うようになったら、人生は面白いことだらけになりました。外側に面白いこと、楽しいことがあるんじゃない。面白がる自分、楽しいと思える自分でいることが大切なんだなっていまは思っています。

プロフィール

大石順教

おおいし・じゅんきょう―明治21年大阪道頓堀に生まれる。17歳の時、舞踊の修業を指導していた養父が狂乱の末に一家5人を斬殺し、その巻き添えとなり両腕を失うが奇跡的に生還。絶望と周囲の好奇の目に耐えつつ、巡業芸人生活、画家との結婚、2児の出産、離婚などを経て出家得度。自在会(のちの仏光院)を設立し身体障碍婦女子の福祉活動に献身。一方、口で筆を執り絵画・書に励み、昭和30年口筆般若心経で日展書道部入選。37年には世界身体障害者芸術家協会会員として東洋初の認定を受ける。43年死去。享年80。

萱野正己

かやの・まさみ―昭和10年和歌山県生まれ。上場企業の役員を歴任するなど、国内外の経営活動に従事する。引退後、晩年のミッションとして順教尼の遺徳顕彰を志す。萱野家は江戸中期高野山真蔵院の里坊(不動院)として建立され、明治時代までその役目を負った由緒ある建物である。祖父にあたる正之助が、明治の大量殺傷事件「堀江六人斬り」の被害者である大石よね(のちの順教)の出家得度に大変尽力した縁で、萱野家には多くの順教作品が残されている。それゆえ萱野家は「大石順教尼記念館」として一般公開されることとなり、現当主として同館館長を務めながら、旧萱野家保存会会長としても活動中。

大石晶教(雅美)

おおいし・しょうきょう―昭和25年京都府生まれ。大石順教尼の長男英彦(慈峰)と孝子(智教)の二女として生まれる。順教尼没の18歳まで現在の仏光院にて生活をともにする。会社勤めを経て、平成20年「大石順教尼かなりや会」を設立。23年高野山本王院にて得度。大学他公共団体での講演活動。毎月21日(命日)に大本山勧修寺境内にある順教尼の庵「可笑庵」を開庵し、伝承活動をしている。漫画本『祖母さまのお手々はだるまのお手々』制作。

入江富美子

いりえ・ふみこ―昭和40年大阪府生まれ。映画監督。服飾デザイナー、会社経営等を経て、平成18年一念発起し、映画製作を始める。ドキュメンタリー映画『天から見れば』では大石順教尼とその最後の弟子・南正文氏の生き方を紹介し、反響を呼んだ。使命を見出し生きる「へそ道」とともに世界に発信。著書に『1/4の奇跡 もう一つの、本当のこと』(三五館)『へそ道~宇宙を見つめる 使命を見つける~』(サンマーク出版)などがある。


編集後記

無手の尼僧として知られ、生涯を身障者の支援に捧げた大石順教尼。今年はその生誕百三十年の節目に当たります。順教尼に縁の深い大石順教尼記念館館長の萱野正己さん、大石順教尼かなりや会代表の大石晶教さん、映画監督の入江富美子さんには、順教尼の力強い足跡と、その内発力の源について語り合っていただきました。

2018年8月1日 発行/ 9 月号

特集 内発力

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