自分にとって最強の比較対象を築き上げろ 小久保裕紀(前侍ジャパン代表監督)

プロ野球選手として通算400本塁打・2,000本安打を達成し、侍ジャパン代表監督としてWBCベスト4に導いた小久保裕紀氏。その原点を辿りつつ、野球道一筋に歩む中で掴んだ人生で大事な心構えについて語っていただいた。

これまでの野球人生を振り返り、1つ誇れることがあるとすれば、自分との約束を守り続けてきたということです

小久保裕紀
前侍ジャパン代表監督

今年3月、イチロー選手が現役を引退しました。「二十代をどう生きるか」というテーマに関して、彼との思い出で最も忘れ難いのは1996年のオールスターゲーム。私24歳、イチロー22歳の時のことです。

私は1994年に青山学院大学から福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団しました。2年目で本塁打王を獲得したものの、「俺はパ・リーグ一番だ」と天狗になってしまい、翌シーズンは開幕から全く打てず、焦りは募るばかり。

一方、イチローは高卒でオリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ)に入団し、3年目の1994年に初めて最多安打と首位打者に輝くと、翌シーズンはその2つのタイトルに加えて打点王を獲得。1996年も3年連続の首位打者へ驀進中でした。

そういう状況で迎えたオールスターの試合前、イチローと二人で外野をランニングしながら、彼に

「モチベーションって下がらないの?」

と尋ねました。

「小久保さんは数字を残すためだけに野球をやっているんですか?」

「まぁ残さないとレギュラーを奪われるし……」

すると、イチローは私の目を見つめながらこう言ったのです。

「僕は心の中に磨き上げたい“石”がある。それを野球を通じて輝かせたい」

衝撃でした。

それまでは成績を残す、得点を稼ぐ、有名になることばかりを考えていたのですが、この日を境に、野球の練習をしているだけではダメ、自分をもっと高めなければいけないと思い至りました。

心掛けたのは一人の時間の使い方。空いている時間は読書をすると決め、毎日実践しました。野球を通して人間力を鍛えるというスイッチが入ったのは、彼の言葉があったからこそです。後年、「あの時の言葉のおかげで俺の野球人生がある」と感謝の言葉を何度伝えたか分かりません。

プロフィール

小久保裕紀

こくぼ・ひろき――昭和46年和歌山県生まれ。平成6年青山学院大学卒業後、福岡ダイエーホークスに入団。平成15年読売ジャイアンツにトレード。19年古巣の福岡ソフトバンクホークスに移籍。24年通算400本塁打・2000本安打を達成し、10月引退。25年10月侍ジャパン代表監督に就任。29年3月まで務め、WBCベスト4。著書に『開き直る権利』(朝日新聞出版)など。


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