6 月号ピックアップ記事 /インタビュー
鈴木俊隆老師の歩いた道 藤田一照(曹洞宗国際センター前所長)
アメリカにおいて鈴木大拙博士と並んで「2人の鈴木」と仰がれた仏教者がいる。禅僧・鈴木俊隆老師。2人に面識はないものの、共にアメリカ人に大きな薫陶を与えた。鈴木老師が渡米したのは昭和34年、55歳の時。大拙博士の渡米から62年後のことである。以来、12年にわたって老師が蒔き続けた禅の種は全米各地で芽を出し、禅の生き方、考え方はアメリカに大きなうねりをもたらした。鈴木老師の人生や志について、同じくアメリカで禅の指導に当たった経験を持つ藤田一照氏にお話いただいた。
鈴木俊隆
すずき・しゅんりゅう
明治37(1904)~昭和46(1971)年。神奈川の曹洞宗の寺に生まれ、玉潤祖温に弟子入り。大本山永平寺、總持寺で修行の後、林叟院住職となる。34年に渡米し桑港寺住職となり、日系人や多くのアメリカ人に禅を指導。37年サンフランシスコ禅センター、42年タサハラ禅マウンテンセンターを設立。46年アメリカにて遷化。著書に『禅マインド ビギナーズ・マインド1、2』、伝記に『まがったキュウリ』(共にサンガ)がある。(c)サンフランシスコ禅センター。
アメリカ人の悟りや修行に対する概念を大きく変える上で鈴木老師が一貫して伝えられた言葉が「ビギナーズ・マインド(初心)」でした
藤田一照
曹洞宗国際センター前所長
老師は修行の目的を「初心そのままを保つことにある」と述べ、アメリカの修行者に対して、いま出合っている目の前の出来事に対してフレッシュな感覚でしっかりと向き合うことの大切さを繰り返し説きました。
プラクティスという言葉は英語で練習を意味します。しかし、鈴木老師はこれを「自分の中にある仏性に気づいて、それを育てていく修行」と解釈し、そこには「修行と悟りは一つである」という深い意味を込めました。この教えも「練習は本番のためにある」と常に結果ばかりを追い求めていたアメリカ人にはショックだったはずです。欧米にはないこれらの禅の教えは、彼らの固定観念を大きく変革していきました。
プロフィール
藤田一照
ふじた・いっしょう 昭和29年愛媛県生まれ。東京大学教育学部を経て同大学院で発達心理学を専攻。博士課程を中退し得度。33歳で渡米し17年間アメリカで禅の普及に努める。平成17年に帰国し、現在神奈川県葉山町を拠点に禅の指導、講演、執筆活動に当たる。22年から29年まで、サンフランシスコにある曹洞宗国際センター所長。著書に『現代坐禅講義』(角川ソフィア文庫)『禅僧が教える考えすぎない生き方』(大和書房)『「禅トレ」で生きるのがラクになる』(世界文化社)など、共著に『感じて、ゆるす仏教』(KADOKAWA)など、訳書に『禅マインド ビギナーズ・マインド2』(サンガ)などがある。
編集後記
アメリカで広く禅を広めた鈴木俊隆老師の存在は、日本ではあまり知られていません。自らもアメリカで禅の指導に当たった経験を持つ曹洞宗国際センター前所長の藤田一照さんが、その人物像に迫ります。
特集
ピックアップ記事
-
対談
我が情熱の火は消えることなし
小林研一郎(指揮者)
龍村 仁(映画監督)
-
インタビュー
新型コロナウイルスに打ち克つ危機管理の要諦
織田邦男(東洋学園大学客員教授/元空将)
-
インタビュー
鈴木俊隆老師の歩いた道
藤田一照(曹洞宗国際センター前所長)
-
対談
世界で勝つ選手やチームをいかに創り上げるか
前原正浩(日本卓球協会副会長)
岩渕健輔(日本ラグビーフットボール協会専務理事)
-
インタビュー
百忍千鍛事遂に全うす(ひゃくにんせんたんことついにまっとうす)
安部 賛(アドマテックス社長)
-
インタビュー
挑戦を続けながら、ひたすらに歩んだ道
樋口宏江(志摩観光ホテル総料理長)
-
対談
宮本武蔵と土門 拳——二人の求道者が教えるもの
藤森 武(写真家)
福田正秀(歴史研究家)
月刊誌『致知』のバックナンバー