『日暮硯』に学ぶ 名臣・恩田杢の生き方 笠谷和比古(国際日本文化研究センター名誉教授)

18世紀、江戸幕府を中心とする大名財政の綻びが現れ、諸藩で改革が決行されたが、『日暮硯』に描かれた信州松代藩の改革は異彩を放っている。そこには藩士や領民との間に信頼を築き、長期的繁栄の土台をつくった名臣・恩田杢の働きがあった。恩田が生涯を賭して貫いた改革の精神とは何か。同書を深く探究してきた歴史学者の笠谷和比古氏に繙いていただく。

「先(ま)づ手前儀、向後虚言(うそ)を一切申さざる合点に候(そうろう)」
――私は今後一切嘘はつかないと決意した

松代藩御勝手御用
恩田杢(おんだ・もく)
1762(宝暦12)-1717(享保2)

私には、杢は日本の自然な道徳観を強く持った人物に映ります。

それは、嘘偽りなくすべてを明らかにし、実直に対応することで神仏の加護を得るという〝正直の徳〟です

笠谷和比古
国際日本文化研究センター名誉教授

時は江戸中期、財政破綻に瀕した信州松代藩を奇跡的な再興へ導いた家老・恩田杢の活躍が説話風に綴られた『日暮硯(ひぐらしすずり)』。当時より藩政改革のバイブルとして広まり、明治以降も政治家や経営者にまで支持を得てきた書物です。

日本の中世・近世を専門に研究していた私と同書の馴れ初めは、40年前に遡ります。松代藩主・真田家の藩政文書(真田家文書)を含め、江戸期の文献が30万点ほど揃う国文学研究資料館に勤めていたこともあって、岩波書店から戦前刊行の岩波文庫『日暮硯』の改訂を依頼されたのです。

それまでは、全く浅い部分でその物語を理解した気でいました。ところが精読していくと、和綴じにして僅か20~30帖の短い中に、領民との対話による合意形成、画期的な徴税法など、同時期に行われた他の改革にはない唯一無二のユニークなモデルが鏤められており、強く惹かれました。

文献を辿る中で分かったのは、本書が宝暦11(1761)年、杢の存命中に著された、貴重な同時代資料だという事実です。『日暮硯』は、杢が帰依した何某上人という仏僧からの聞き書きだということが明記されています。その話を聞いた者が感嘆の余り、『徒然草』の序文の如く「日暮し硯に向かひ」、紙の裏に書きつけた。これが書名の由来です。

戦後、この本は著者が松代藩士だという誤認の下、先述の真田家文書の事実との間に違いが散見されたことを主な理由に、虚構であるとの見方が強まりました。ただそもそも、この話は何某上人から、藩の外部にいた人間が伝え聞いたものです。それが同時代に何度も転写されたのですから、多少の齟齬(そご)は避けられません。そこだけを見て虚構の書物と切り捨てるのは早計というものでしょう。

なるほど『日暮硯』は恩田杢の改革の実際を正確に捉えた歴史書ではない。けれども、杢が成した改革の精神は如実に伝えています。『日暮硯』は、組織改革における成功とは何か、その核心を教えてくれる書であると、私は声を大にして訴えたいのです。


~本記事の内容~
◇他に類を見ない政治改革のモデル
◇度重なる失政と恩田杢の出現
◇決して嘘はつかず、粗衣粗食に徹する
◇領内全村を巻き込んだ画期的な対話集会
◇矛盾に満ちた現実の中で実質的最善を探し出す
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プロフィール

笠谷和比古

かさや・かずひこ――昭和24年神戸市出身。48年京都大学文学部史学科卒業、53年同大学院文学研究科博士課程単位取得。国際日本文化研究センター研究部教授、総合研究大学院大学教授等を経て平成30年大阪学院大学法学部教授、令和3年より現職。著書は『真田松代藩の財政改革―「日暮硯」と恩田杢』(吉川弘文館)他多数。


編集後記

歴史学者の笠谷和比古さんが、人一倍思い入れがあると語る『日暮硯』。恩田杢が人間普遍の正直・誠実といった徳目を自ら徹底し、民の心を掴んで松代藩を復興へ導く過程に多くの示唆がありました。政治のあり方が強く問われるいま、この名著の説く精神が甦ることを願うばかりです。

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