あの著名人も致知を読んでいます

『致知』は、経済、スポーツ、学術、政治、教育など、各界を代表する著名な識者の方々からもご愛読いただいています。

川島廣守 氏

日本プロフェッショナル野球組織コミッショナー

人生とは旅である。旅には出会いがある。何より人、本との出会いである。「人は人によって人になる」という。人間にとって人に勝る財産はない。『致知』は出会いたいと念じている人物に出会いたいときに紹介してくれる。人は誰でも私淑してやまない歴史上の人物をはじめ多くの「先知先哲」に憧れを持つ。心が渇くとき、情感の豊かな詩人がひょっこり現れる。人間はどう生きるべきか、と思い悩むとき、先哲が自ら生きた貴重なる体験を説得力豊かな言葉で語ってくれる。毎号の巻頭言は国内外の時流を踏まえ、鋭くかつ平易な提言と自戒の金言が素晴らしい。まさに『致知』の圧巻である。そして毎号の「特集」と「対談」が現代最高の教養人によって縦横に語り尽くされる。読む人は倦かず読み返し、その傑れた個性溢れる英知にしみじみと魅せられ、生きる歓びと勇気を与えられる。出会って25年、「『致知』よ、いつも有難う」と感謝して筆を擱きたい。

安岡正泰 氏

郷学研修所・安岡正篤記念館理事長

貴社とのご縁も30年以上になりますが、これまで亡父安岡正篤の著作や講演録を数多く復刊出版していただきました。父の学問は戦前戦後一貫した東洋思想に裏打ちされた不変の人間学であり、治乱興亡の時代に登場した人物に光をあて、その生き様を現代に照応させて人物とはかくあるべしと説いた人物学が今もなお多くの方々の心に訴えているからでしょう。それも父の人物像に傾倒された藤尾秀昭社長の止むことのないご尽瘁のお陰であります。今後とも『致知』が心を養い、生を養う活学誌として読者に感動を与えていただきたい。

中條高德 氏

アサヒビール名誉顧問

人の在るべき道、生きる筋道を説いて35年。偉なる哉……『致知』の皆さん。藤尾社長始め全社員の皆様に心から賛辞をお贈りします。世に「竹有上下之節」と節の大切さを説く訓がある。竹は上下に節があってこそ竹たりえている。又竹に雪が積り折れそうになっても折れないのは竹に節があるからと節の大切さを説いたものです。人生にも企業にも夫々大切な節があります。その大切な節にあたり越方を振り返り、成功したり、良かったと思う事は更に伸ばし、失敗した事は2度と繰りかえさないと誓うことこそ大切と説いたものです。「人間学」を説いて35年の大節を大切にして更なるご発展を心から祈念申上げます。

伊與田覺 氏

論語普及会学監

私はかねてより「成人」という言葉には2つの意味があると言ってきました。一つは「大人」であり、もう一つは「人と成る」という意味の「成人」です。「大人」は特別に努力をしないでも、日を重ね20歳になれば、みんな大人になります。しかし、「人と成る」というのはその人の努力によって成されるということです。その「人と成る」ための学問には二面がある。一つは徳性を養う学問であり、もう一つは知能・技能を育てる学問です。前者を「人間学」といい、後者を「時務学」といいます。『致知』は28年、一貫して人の長所に光を当て、徳性を育てる「人間学」を追求して、今日に至っています。こういう雑誌は現代甚だ稀で、私自身、90歳をこえ、なお自主購読し、『致知』から多くの学びを得ています。創刊28周年を心からお慶び申し上げるとともに、道標を示す光として、今後とも益々ご発展されますことを祈念します。

米長邦雄 氏

日本将棋連盟会長

『致知』は現代人の生きた教科書といえる。日本という国にとって最も大切なことは「日本人らしい日本人」を育成することである。近頃はアメリカ流の合理主義や弱肉強食がはやったり、中華思想も台頭してきた。聖徳太子の定めらえた17条憲法の第1条「和を以って貴しと為す」をもう一度心に刻む教育が大切である。日本文化や気質は東洋思想を根底にして昇華させていったものだ。『致知』が創刊以来30年に亘って多くの人々を啓蒙してきた意義は大変大きい。これからも日本のため、人々のため、更なる発展を望みます。

坂村真民 氏

仏教詩人

わたしは最近「千年のまなざし」とか、「宇宙のまなざし」とかの詩を書き続けているが、それはこの地球を救うには、これより外にないと思うからである。陽明学では『致知』とは、本然の良知を明らかにすることを言う。でも地球の歴史は、戦争ばかりを続けてきた。そして原子爆弾まで造り出された。つまり和を好まぬ男たちが、この母なる星地球を、どん底に落としてしまったのである。でもやっと和を好む女たちの世が、21世紀から始まろうとしている。わたしは書斎に、木花開耶媛を祭っているが、この媛を富士山頂にお祭りした、大和民族の夢と、願いと、祈りが、世界に広がりゆくのを、どうか『致知』も、応援して頂き度いのである。

山下俊彦 氏

松下電器産業相談役

『致知』には教えられることが多い。毎号の特集には一つのテーマを中心に、色んな視点からの対談、インタビューが行われる。重度の障害を持ちながら普通の人の及ばない明るいりっぱな人生を送っている人たちの実例を『致知』で知り、感動した。1988年の特集「死」で、箙田鶴子は生まれながらの重度脳性まひで、両手両足が動かず歩けない。化けものと言われ他人に見られては恥と、常に室に鍵をかけられていたという。それが「神への告発」等の作品を発表、自立の道を歩む。1991年の特集「時間を考える」で、中村久子は3歳の時病気で、両手両足を切断という悲惨な身体で、自ら進んでわが身を見世物小屋に売り独立する。1992年の特集「読書と人生」の座古愛子。家族が亡くなり12歳の時から働いていたが、17歳の時リウマチで首から下は全く動けなくなる。ベッドに寝たままで、女学校の校内の販売を受けもつ。座古愛子は68歳、中村久子は72歳、何れも散々苦しんだ末、世を恨まず、人を恨まず、あるがままを受け入れて、生かされたことに感謝の心でその生涯を終る。人はその気にさえなれば絶望はない。読む人すべてが勇気づけられる。多くの人の心の支えになる『致知』は創刊14周年、御活躍を祈ります。

伊藤昌哉 氏

政治評論家

私は政治という世界に深くかつ長く関わってきたが、政治の流れが変わる背景には、人間の意思を超えた天意というものが常に働いているということを実感している。私と『致知』との関わりは、既に7、8年になるが、私は常々編集長に「この雑誌は単なる雑誌ではない。人創りの雑誌、ひいては国創りの雑誌だ」ということをいってきた。貴社は激動する日本社会へ何かをメッセージする使命をもって、新発足することとなった。致知出版社の輝かしき前途を心から祈念する。

鬼塚喜八郎 氏

アシックス創業者

復員後、徒手空拳で「若者の健全な育成に大切なスポーツに必要なシューズの製造に残りの人生を捧げる」という信念だけで、スポーツシューズメーカーを創業した。企業経営の経験も知識もなく、又それを学ぶ方法も限られていた。その後、十数年間は文字通り七転び八起きの迷いの連続であった。そのような中で松下幸之助氏の「企業は公器なり」との言葉を知り深く感銘し、自ら実践すべく持ち株を従業員に配布し同族経営から脱皮するとともにガラス張り経営と人材育成に力を注いだ。その後シューズ以外を扱う2社との対等合併により総合スポーツ用品会社となり、今や「世界のスポーツ文化に貢献する」ことが現実になった。思えば私と『致知』の出会いはこの合併直後のことであるが、『致知』により多くの先達者の体験や経営理念を学べる事は、自分の歩んだ道との違いはあっても松下幸之助氏が言われた「企業の成否はその経営者の経営理念の良否による」とのことも再認識させてくれるし、次代を託す若い人たちに私の考えを語る際の力強い後ろ盾ともなっている。と同時に私の歩んだ道も『致知』が身近にあれば違ったものになったに違いないとの思いも持っている。

会田雄次 氏

京都大学名誉教授

『致知』はその誌名の示す通り、儒教の精神を根幹においた雑誌といえる。ただ、私自身は、元来バサラ的な人間に興味があり、儒教的な生き方を好まない性の人間である。その私が『致知』とかかわりを持ってもう10数年になる。それは、『致知』が朱子的な立場に限定した儒教の教えではなく、もっと大らかな立場から、絶えず人間の生き方を問いかけており、その姿勢に共鳴したからである。時代というものは常に不透明で見えないものだ。「一寸先は闇」というのは、歴史が証明している通りだ。我々の人生も、世の動きもしかりである。西洋に、「チャンスというのは、危機という顔を持って迫ってくる」という諺がある。危機が迫ってきたと思って、みんな避けて通り過ぎる。しかし、振り返って見たら、後ろの顔にはチャンスと書いていた、という教えである。これは常に変わらぬ歴史の教訓でもある。この教訓を胸に、今後、致知出版社はその誌名の通り、世の動きによって変化する正邪ではなく、人間の根源の知を追求する姿勢を貫いていったもらいたいと思う。

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