最強の男になりたい 椿 浩平(三井住友海上火災保険所属トライアスロン選手)

東京2020パラリンピックにて、トライアスロン男子視覚障害で銅メダルを獲得した米岡聡氏のガイドランナーとして活躍した椿 浩平氏。自身もトライアスロンの日本代表選手として東京オリンピックを目指すも、2016年に脳に腫瘍が見つかり出場を断念。そこからどのように病を乗り越え、ガイドランナーとなったのか。また、いかにしてメダルを獲得したのか――。その奮闘の歩みを伺った。
(写真:右が椿氏、左が米岡氏)

好きなトライアスロンを通じて、病を乗り越えた自分の可能性をどこまでも追求したい。そして息子から憧れられるような最強の男になりたい。それが私の一番の思いです

椿 浩平
三井住友海上火災保険所属トライアスロン選手

まさか自分が……これからどうしよう……。
トライアスロン選手としてオリンピックでのメダル獲得を目指していた私の脳にがんが見つかったのは、2016年のことでした。初夏に出場したレース直後に突然嘔吐し、頻繁に目眩と吐き気に悩まされるようになりました。検査の結果、小脳の中央に腫瘍が見つかったのです。

私以上にショックを受けたのは、きっと翌月に長男の出産を控えていた妻だったと思います。夜中に寝室を抜け出し、声を殺して泣いている彼女の姿を見た時には、胸が張り裂けそうでした。
6時間に及ぶ手術で腫瘍は無事取り除けたものの、その後の放射線と抗がん剤の治療は過酷を極め、62キロあった体重は約10か月の入院期間中に45キロに激減。当初は現役復帰のことしか頭になかった私も、もう治療などやめて早く楽になりたいとまで思い詰めました。

支えになったのは妻、そして手術後に誕生した長男の存在でした。家族にとって唯一の夫であり、父親である自分が、簡単に命を投げ出すわけにはいかない。息子には、未来を明るく照らしてほしいという思いを込め、「朝陽」と名づけました。そんな息子の成長を何としても見届けたい。家族の存在がなければ、あの辛い治療を乗り越えることはできなかったでしょう。

とはいえ、入院中に外を十分歩いただけで筋肉痛になる始末。退院後に始めたリハビリと練習の最中も嘔吐を繰り返しました。東京オリンピックを視野に描いていた復帰の筋書きも、何度も下方修正を余儀なくされ、2018年末に発表された最終選考基準で、自分の出場可能性はゼロという現実を突きつけられたのです。

オリンピックに出場できなければ、自分の人生が全否定される。そんな思い込みに囚われていた私は、即座に次の2024年パリオリンピックを目指すと決意しました。

とはいえ、選手として一番脂の乗る20代での出場を逃した自分が、周囲が自国開催のオリンピックへ向け盛り上がる中、たった一人でその先のパリを目指すことには相当な覚悟が求められます。それでも私の気持ちを尊重してくれた所属チームの監督から提案されたのが、同じ所属先のパラトライアスリート・米岡聡さんのガイドランナーとして東京パラリンピック出場を目指すことでした。

ガイドランナーは、視覚障碍を抱える選手とロープで体を繋ぎ、ゴールまで安全に導く伴走者です。最初はそれをやる意味が理解できませんでしたが、「おまえが頑張らなければ、選手は結果を出せない。それが自分の強化にも繋がるんだ」と監督に諭され、挑戦を決意しました。

前例のない取り組みであったため、体調と相談しながら試行錯誤の毎日が始まりましたが、幸い競技に支障を来すほどの後遺症に悩まされることはありませんでした。そして2年間の練習の成果が実り、パラリンピック出場を決めることができました。

米岡さんとは、体力に勝る世界の強豪に対抗するため、東京の暑さへの対処など準備を徹底して臨みました。米岡さんは6つ年長ですが、アスリートとしては私が先輩。その立場で常に問い続けたのが、選手としてのビジョンでした。「選手としてどうありたいんですか?」「いまの課題は何だと思いますか?」。共に戦う相棒と思えばこその率直な言葉かけでしたが、ご本人は随分煩わしい思いをされたことでしょう。それでも米岡さんは私の言葉を真摯に受け止め、前向きにチャレンジを続けてくださいました。

そうして迎えた東京パラリンピック本番。努力は見事に実を結び、私たちは銅メダルを獲得することができたのです。表彰台の上から見た夢のような景色は、いまでも忘れることができません。
この体験が、パリへ向けての大きな弾みになったことは言うまでもありません。
(後略)

プロフィール

椿 浩平

つばき・こうへい―平成3年埼玉県生まれ。ジュニア時代から活躍し、日本U19選手権4連覇、日本U23選手権で3回優勝。三井住友海上入社後の27年に日本選手権で3位入賞を果たす。令和元年からは同所属先であるパラトライアスロン米岡聡選手のガイドとしても活躍し、東京2020パラリンピックにて見事銅メダルを獲得。


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