3 月号ピックアップ記事 /対談
絶望を乗り越えた先に見えてきたもの 恩田聖敬(まんまる笑店社長) 佐藤仙務(仙拓社長)
35歳の若さでJリーグ・FC岐阜の社長に就任すると同時に筋萎縮性側索硬化症という難病を発症した恩田聖敬氏。10万人に1人といわれる難病・脊髄性筋萎縮症を持って生まれてきた佐藤仙務氏。ともに重度障碍者の身でありながら、数々の絶望を乗り越えて、自ら会社を立ち上げ、道を切り拓いてきた。二人が語り合う、絶望の乗り越え方、そして絶望の先に見えてきた使命――。
病気になっても自分は自分。自分らしく生きる人生は楽しいです。体が動かなくなったとしても、自分の経験と思考がある限り一所懸命に歩み続ける
恩田聖敬
まんまる笑店社長
「障碍者になった人から『みじめな姿をよく晒せるね』とよく言われます。しかしALSになる前も後も私は何も変わっていないと思っています。昔から知っている仲間や友人たちと話していて一番嬉しいのは、『昔と変わらないね』と言ってもらえることです。ALSであろうがなかろうが、恩田聖敬という人間は何も変わっていません。
先ほどお話ししたように、自分の経験と思考を失わない限り私は私として生きられる。病気になっても自分は自分。自分らしく生きる人生は楽しいです。体が動かなくなってしまったとしても、自分の経験と思考がある限り、私は障碍者も健常者も皆が笑顔で自分らしく生きていける社会の実現という、自らに与えられた使命に向かって、一所懸命に歩み続けていきたい」
人は誰かを輝かせようと思った瞬間に、一番輝く
佐藤仙務
仙拓社長
「障碍を持った方で、いろんな可能性を持った方はいっぱいいるんですけど、自分をどう表現していいか分からない場合があったりします。そういう人にもっと輝いてほしいなって思うんです。
ただ、それってめちゃくちゃ難しくて、人を輝かせようと頑張るほど、周りから見ると、『やっぱり、あいつは自分が目立ちたい、輝きたいだけじゃないか』となってしまう。それで、なぜ人を輝かせたいと思っているのに、自分が輝いてしまうのだろうかと考えた時、僕の中で出た答えが、『人は誰かを輝かせようと思った瞬間に、一番輝く』ということでした」
プロフィール
恩田聖敬
おんだ・さとし——昭和53年岐阜県生まれ。京都大学大学院航空宇宙工学修了。Jリーグ・FC岐阜の社長に史上最年少の35歳で就任。就任と同時期にALS(筋萎縮性側索硬化症)発症。平成27年末、病状の進行により職務遂行困難となり、社長を辞任。翌年、クラウドファンディングで資金を募り、株式会社まんまる笑店を設立。以後、全国で講演や執筆等を行う。佐藤氏との共著に『絶望への処方箋』(左右社)がある。
佐藤仙務
さとう・ひさむ——平成3年愛知県生まれ。4年SMA(脊髄性筋萎縮症)と診断される。22年愛知県立港特別支援学校商業科卒業。当時障碍者の就職が困難であることに挫折を感じ、ほぼ寝たきりでありながら、23年ホームページや名刺の制作を請け負う合同会社「仙拓」を立ち上げ、社長に就任。著書に『寝たきりだけど社長やってます』(彩図社)、恩田氏との共著に『絶望への処方箋』(左右社)がある。
編集後記
FC岐阜社長となった矢先、筋萎縮性側索硬化症という難病に罹患した恩田聖敬さん。脊髄性筋萎縮症という難病を持って生まれた佐藤仙務さん。様々な絶望、逆境を乗り越え、経営者として活躍されているお二人の話からは、生きることの意味、与えられた使命を精いっぱい生き切ることの大切さを教えられます。
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