7 月号ピックアップ記事 /対談
父と娘の二人三脚で掴んだ執念のメダル
――史上初の快挙はかくて生まれた
三宅義行(日本ウエイトリフティング協会会長)
三宅宏実(重量挙げ女子日本代表)
昨夏のリオ五輪、怪我に苦しみながらも、8位からの大逆転で見事銅メダルを獲得した重量挙げ女子日本代表の三宅宏実さん。その宏実さんを誰よりも支え、2大会連続のメダル獲得へと導いたのが、監督であり、父親である三宅義行氏だった。日本女子重量挙げ史上初のメダル、日本五輪史上初の父娘メダルという2つの快挙はいかにして生まれたのか。二人三脚で歩んできた16年の道のりを振り返りつつ、勝利への方程式に迫る。
目標が高くて、素直さと謙虚さを持っていること。自分に対しての厳しさを持っている人間は間違いなく伸びていきますね
三宅義行
日本ウエイトリフティング協会会長
「伸びていく人に共通するものは目標が高くて、素直さと謙虚さを持っている選手ですね。高い目標を本気で目指していれば、常に練習を中心にして物事を考えるようになり、いかなる時も練習から逃げなくなります。また、日々の練習もただ決められたとおりにやるのではなく、その中で創意工夫を重ねていくようになるんです。
その上で、目標を口にすること。これはとても大事な要素だと思います。全日本で優勝する、日本新記録を出す、オリンピックでメダルを獲ると目標を周りに言うことによって、頑張らなきゃと自分にプレッシャーをかける。言った以上は責任が伴うわけですから、『おまえはちゃんと言ったことをやるね』と言われるように努力していく。そういう自分に対しての厳しさを持っている人間は間違いなく伸びていきますね」
きつくても、やると決めたことだけは追い込んでクリアしていく。すべては自分の努力と心掛け次第
三宅宏実
重量挙げ女子日本代表
「ウエイトリフティングは、他の多くのスポーツのように相手と対戦する競技ではありません。すべて自分の責任で、自分の心と体の状態がそのまま結果に表れるので、常に自分との闘いです。
だからこそ、練習がものを言う。練習でできていれば試合でできないってことは絶対ないので、どれだけ試合を想定して練習できるか。そこの意識ですよね。人間にはやっぱり波がありますから、いい時もあればダメな時もある。ダメな時は潔く負けを認めて、そこからどうやって抜け出そうかと心を切り替えています。きつくても、やると決めたことだけは追い込んでクリアしていく。すべては自分の努力と心掛け次第じゃないでしょうか」
プロフィール
三宅義行
みやけ・よしゆき――昭和20年宮城県生まれ。法政大学卒業後、自衛隊体育学校に在籍。43年メキシコシティ五輪ウエイトリフティングフェザー級で銅メダル。44年、46年の世界選手権でそれぞれ優勝。現役引退後は指導者として数多くの重量挙げ選手を育成し、日本重量挙げ界の発展に貢献する。平成13年東部方面総監部勤務を最後に一等陸佐で退官。28年より現職。
三宅宏実
みやけ・ひろみ――昭和60年埼玉県生まれ。平成12年より父・義行の指導の下、重量挙げ競技を始める。五輪は16年のアテネ大会から四大会連続出場。24年ロンドン大会では銀メダル、28年リオデジャネイロ大会では銅メダルを獲得。女子48キロ級及び53キロ級の日本記録保持者。現在いちご㈱ウエイトリフティング部選手兼コーチ。
編集後記
ロンドン、リオと2大会連続でメダルを獲得した重量挙げの三宅宏実さんと、父親として監督として16年間指導に当たってきた三宅義行さん。背丈は決して高くないお二人ですが、日の丸を背負って世界の舞台で結果を出し続けてきた人だけが持つ独特のオーラ、人間的器量の大きさを感じるとともに、お話の随所から自分との闘いに克つことの大事さが伝わってきました。
月刊誌『致知』のバックナンバー