偉人たちの人間学 森信三

プロフィール

森信三 もり・しんぞう(戸籍名:のぶぞう)
明治29年9月23日、愛知県生まれ。
大正15年京都大学哲学科卒業。
昭和13年旧満州の建国大学教授、28年神戸大学教授。
「国民教育の師父」と謳われ、86歳まで全国を講演、行脚した。平成4年逝去。著書は多数ありますが、中でも『修身教授録』は教育界のみならず、SBIホールディングス社長の北尾吉孝氏、小宮コンサルタンツ社長の小宮一慶氏など、愛読書として挙げる経営者やビジネスマンも多く、いまなお人々に感化を与え続けている。

逆境の連続

森先生は愛知県半田市武豊町の端山家に生まれました。端山家は地元の名家で、祖父の端山忠左衛門は第一回国会議員になった名士でした。しかし、父親の代に家運が傾き始め、両親の離婚により三人兄弟の末っ子の森先生は数え三歳にして貧しい小作農であった森家に養子に出されました。
生家の端山家と養家の森家の間には縁もゆかりもありませんでしたが、養父母は実直な方たちで、先生を非常に大事に育ててくれました。そんな養父母に巡り合えたことは幸いでした。先生は終生、養父母に感謝し続けて、その話をするときには涙を流されるほどでした。
とはいえ森家は経済的に貧しく、そのため小学校一の秀才でありながら先生は中学進学を断念し、学費が免除される師範学校へ進むことになりました。愛知第一師範に入学し、卒業後は三河の横須賀尋常小学校へ赴任。その後、周囲のすすめもあって広島高等師範に進学し、さらに京都大学哲学科に入学しますが、そのときすでに先生は二十八歳になっていました。
大学院に進まれ、卒業したのが三十六歳のとき。成績は抜群でしたが京都には就職先が見つからず、大阪の天王寺師範に専任教師としての職を得ました。ここで十三年の時を過ごした後、昭和十四年に満洲の建国大学に赴任しますが、日本は昭和二十年に敗戦、命からがら帰国します。
戦後は先生の教えを乞う人たちの求めに応じて全国津々浦々に足を運び、旅の日々を送ります。同時に執筆感動に勤しみ、雑誌の発行も始めました。しかしこれによって結果的に多額の借金を抱え込み、ついには家屋敷を手放して返済に充てることになりました。
その後、篠山農大の英語講師を経て、五十八歳のとき神戸大学教育学部の教授に就任。六十五歳で大学退任後は、八十六歳で脳血栓により倒れ右半身不随となられるまで、教育行脚と執筆に明け暮れました。その後も、九十七歳で亡くなられるまで、ハガキを通じて志を同じくする全国の人たちを励まし続けるのです。
森先生の生涯は逆境の連続でした。しかし、これを裏返していうと、さまざまな逆境を身をもって体験してきたからこそ、先生の言葉には独特の余韻があり、読む人の心に深くしみ入るのだと思うのです。