逸話に見る森信三師 修身教授録の誕生

その頃(昭和十二年前後)教育界では、芦田恵之助先生の『国語教育易行道』が世に出て注目を浴びていました。
これを読まれた先生は、珠玉の一巻なることに感銘しました。
そしてその国語教壇を初めて目にされたのが、稲荷小学校でした。

そのとき、『修身教授録』のプリントを差し上げたのが、芦田恵之助先生との道縁の始まりとなりました。

当時、『修身教授録』は斯道会ですでに三冊謄写刷りが発行されており、これを読まれた芦田先生はいたく感動せられ、これを自分たちの所依経にしたいとのことで、芦田公平氏(ご長男)経営の「同志同行社」で印刷発行されることになりました。
森先生の出された唯一の条件は、印税は一切いらないが、ぜひ全五巻本として――ということでした。

これが「同志同行」に連載されるや、たいへんな好評を博し、当時としては隠れたベストセラーとして注目されました。
この『修身教授録』によって、一地方師範の無名の教師が、一躍、全教育界に知られるようになったわけです。
全国の心ある教育者との数多くのご縁が、この書によって結ばれたといっても過言ではありません。

(寺田一清編著『森信三小伝』より)

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