2026年08月04日
アトピー性皮膚炎に苦しむ世界中の人々を救っている日本発の2種類の画期的な新薬があります。その創薬にあたり、並々ならぬ執念と創意を注いできたのが、京都大学大学院医学研究科皮膚科学教授・椛島健治氏、56歳。従来のステロイド性治療薬には副作用があり、数多くの研究者たちが創薬を試みるも、悉く失敗する冬の時代が長く続いたという研究開発に向き合ってきた氏を突き動かしたものとは何だったのか。
(本記事は『致知』2026年8月号 トップインタビュー「かくして日本発の新薬は誕生したアトピー性皮膚炎治療薬の研究開発に懸けた執念と創意」より一部を抜粋・編集したものです)
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置かれた場所で花を咲かせどんな逆境も楽しむ
──困難な研究開発において何が支えになりましたか?
<椛島>
やっぱり患者さんがボロボロに掻きむしっている姿を見て、何とかしたいと。これを見つければ新薬の開発に繋がり、多くの患者さんを救うことができる。答えを解明するまでは絶対に諦めない。自分の中にそういう信念がないとやれなかったでしょうね。
──目の前の患者さんによくなってもらいたいという純粋な思い。
<椛島>
自分のためだけだったら、そこまでモチベーションを突き動かされないというか、踏ん張れなかったなと思います。強いエゴに突き動かされて素晴らしい成果を上げられる研究者が多い中、僕の場合は臨床の現場で患者さんの辛さを見ていたからこそ、モチベーションを保つことができました。
──まさに臨床と研究の二足の草鞋を履いていた相乗効果ですね。
<椛島>
そうですね。僕は2年間のアメリカ留学から戻ってきた後、福岡県北九州市にある産業医科大学に助教授として勤務しました。テレビドラマで地方の大学病院に行くのは都落ちみたいに表現されるじゃないですか。確かに京大に比べると研究設備などは劣っていたかもしれません。でも、僕は全然苦にはならなくて、むしろ非常に前向きに捉えていました。
実際、そこでは10名ほどの医局員と共に、朝から夕方5時頃まで外来や病棟業務を行い、その後、深夜まで研究に明け暮れる毎日で、全員が臨床を大切にしていたんです。研究のことだけを考えれば、留学後すぐに京大に戻ったほうがよかったかもしれませんが、産業医大での経験がなければ、2つの創薬に至らなかったと思います。
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◆皮膚医学の謎をすべて解明したい一心で
◆臨床と研究の二刀流を可能にする時間管理術
◆医師を志した原点と両親から受けた影響
◆留学が転機となり米国の病院で腕を磨く
◆「働かなくてはならぬ」恩師・成宮先生の教え
◆ 1,000回以上の失敗を経て辿り着いた日本発の新薬
◆教科書の常識を覆すことで画期的な発見に至った
◆置かれた場所で花を咲かせどんな逆境も楽しむ
◆人生で一番大事なもの「運 鈍 根」の3条件
◇椛島健治(かばしま・けんじ)
昭和45年岐阜県生まれ、北九州育ち。平成8年京都大学医学部卒業。医学博士。横須賀米海軍病院、京都大学、ワシントン大学、カリフォルニア大学サンフランシスコ校、産業医科大学などでの勤務を経て、27年京都大学大学院医学研究科皮膚科学教授。シンガポールA*Starシニア主任研究員(兼任)。日本皮膚科学会賞、免疫学会賞、日本学術振興会賞、文部科学大臣表彰などを受賞。近著に『人体最強の臓器 皮膚のふしぎ』(講談社)。
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