2023年11月11日
役柄によって全く異なる顔を見せる個性派俳優として、映画やドラマに多数出演する滝藤賢一さん。華やかな芸能界で生きる現在の滝藤さんとは裏腹に、名優・仲代達矢さん主宰の俳優養成所「無名塾」で過ごした20代は人生のどん底だったといいます。辛酸を嘗めた下積み時代に仲代さんのもとで掴んだ俳優の極意に迫ります。
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「無名塾」での過酷な日々で掴んだもの
「受かったことを不幸に思いなさい」
「無名塾」への入塾後すぐに、仲代さんはこう忠告されました。合格したことで有頂天になっていた僕にとって、それはまさに訓戒でした。
「受かったのは君たちの実力ではなく、両親から授かった容姿と声。そして、もしかしたら才能があるかもしれないという可能性。この世界で生きていける人間はほんのひと握り。辞めたければいつでも辞めて別の仕事に就くほうがいい」
無名塾に入塾したから成功するわけではない。仲代さんの厳しくも愛のある言葉を受け、俳優として生きることの過酷さを突きつけられたのです。
無名塾では最初の3年間、恋愛もアルバイトも一切禁止。芝居のことだけに専念できる、俳優を志す者にとって恵まれた環境が整えられていました。
一方で、両親に仕送りをしてもらわなければ生活できません。その旨を両親に伝えた際、父親から「俳優として一人前になるまで、たとえ俺が死んでも帰ってこなくていい」と言われました。
帰りの新幹線の中、お金の入った封筒を握り締めながら涙が溢れてくると共に、この道で生きていく覚悟を固めました。
無名塾での生活は毎朝五時の稽古場掃除から始まります。その後、近所の公園で10キロのランニングと発声練習。稽古場に戻った人から自主稽古を行い、終わるのは夜の10時、11時。そんな生活が月曜から土曜まで続くのです。
僕は眠くて眠くてしょうがなかったから、しょっちゅうランニングをサボっては、公園で寝ていて先輩に怒られたものです。
仲代さんから直接指導を受けられる週2回の稽古では、一挙一動、ひと言発する毎に「違う、もう一度やってみなさい」の繰り返し。徹底的にダメ出しされる。
それだけに留まらず、当時60代後半だった仲代さんが早朝からランニングしているなど、誰よりも努力されていました。
「俳優は生涯修業」「私生活から演じなさい」と仲代さんはよくおっしゃっていましたが、その言葉の通り、俳優という正解のない世界で正解を模索し、それを自ら体現し塾生に背中で示していました。
稽古中に心懸けていたのはとにかく人の芝居を見て盗むということです。
無名塾では見取り稽古を重視していました。人が稽古している時もその芝居を見て、「自分ならこうする」と常に考えながら稽古に当たっていたのです。仲代さんや役所さんが演じている芝居のビデオも貪るように観察しました。
やはり人から教えられたことではなく、自分で試行錯誤の末に掴んだものでなくては、本物にはならないということかもしれません。自ら少しずつ体得していく他ないと思います。
(本記事は月刊『致知』2023年3月号連載「20代をどう生きるか」より一部抜粋・編集したものです)
◉本記事には、「19歳で上京し俳優の道へ」「逃げない、言い訳しない」「俳優の神様に見つけられるには」「夢中になれるものに邁進する」等、滝藤さんの足跡には夢を掴み取るヒントが詰まっています。本記事の【詳細・購読はこちら】
◇滝藤賢一(たきとう・けんいち)
昭和51年愛知県生まれ。平成10年「無名塾」の22期生として入塾。舞台を中心に活躍後、映画『クライマーズ・ハイ』(08)で一躍脚光を浴び、以降数々の映画やドラマに出演。『半沢直樹』で第68回日本放送映画藝術大賞優秀助演男優賞を受賞。プライベートでは3男1女の父で、令和4年第41回ベスト・ファザー イエローリボン賞を受賞。著書に『服と賢一 滝藤賢一の「私服」着こなし218』(主婦と生活社)がある。