2022年08月20日
日本女子テニス界におけるトッププレーヤーとして17年にわたって活躍を続けた杉山愛さん。小柄な体格ながら世界ランキングシングルス8位、ダブルス1位という実績を打ちたてられた努力の軌跡はいまも色あせることはありません。筑波大学名誉教授の村上和雄氏とともに選手としてもっとも過酷だった試合体験を振り返っていただきました。
シングルスとダブルスの準決勝と決勝の4試合
(杉山)
ちなみにそのスランプの時というのは、シングルスでは絶不調でしたけど、実はダブルスでは逆に絶好調だったんですよ。
(村上)
それは不思議だな。なぜですか。
(杉山)
シングルスとダブルスっていうのは、競技が違うと言ってもいいくらい別物なんです。そもそもプレースタイルが全く違いますし、一人で戦うのとパートナーがいて一緒に作戦を話せるっていうことでも全然違う。
私はシングルスプレーヤーとしてのこだわりがものすごく強くて、ダブルスはあくまで自分にとってプラスになればと思ってずっとやっていました。ところが実際には世界ランキングでもダブルスのほうがよかったので、おそらく私がスランプで苦しんでいる時も、傍から見るときっと全然スランプに見えなかったと思いますね。
(村上)
そういった葛藤を抱える中で、ポイントとなった試合というのはありますか。
(杉山)
それは2003年3月にアメリカで開催されたスコッツデール大会ですね。2000年にスランプになって、それこそ最初は自分が真っ暗なトンネルの中を母に手を引かれながら進んでいるような状態で、それがこう月日を経るにしたがって光が少しずつ見えてきたかなという時だったんです。
大会後の心境としては、いままでやってきたことはこれでよかったんだという安堵感でした。このままいけば世界ランキングトップテンも行ける、という確信を得られた大会でもありました。
(村上)
どんな大会だったのですか。
(杉山)
同じ日にシングルスとダブルスの準決勝と決勝の4試合があって、その両方で優勝することができたんです。
(村上)
1日に4試合ですか。しかも準決勝と決勝を。
(杉山)
その日は合計して6時間18分コートの上に立っていました。
なぜそうなったかというと、前日の夕方から雨になって、夕方から組み込まれていた準決勝が両方ともキャンセルになってしまったんですよ。私のダブルスのパートナーはキム・クライシュテルスという当時世界ランキングが2位か3位の選手で、シングルスでは既に彼女が先に日中に決勝進出を決めていました。
翌日のシングルス決勝は13時からと予め決まっていたので、準決勝は10時にスタート。ともに2時間を超える試合を制してシングルスで優勝すると、そのままダブルスの準決勝、決勝と最後まで戦い抜きました。
自分の力のすべてを出し切る
(村上)
よく体力がもつなぁ。
(杉山)
大会側からは3試合まではやってほしいという要望があったのですが、最後のダブルス決勝については、アドレナリンがばんばん出ていたのでやってしまわないと次の日は動けないなと思ったんです。対戦相手もまさか私がやるとは思っていなかったようで、かなり驚いた様子でしたけど(笑)。
(村上)
それは驚くでしょう。
(杉山)
1日に3試合というのは結構あっても、4試合というのは一応記録になっているんですけど、その日は心技体のすべての調和がとれていたと思います。
(村上)
では4試合ともすべて納得のいくものだったと。
(杉山)
そうですね。自分のすべての力を出せた試合でした。試合で何が一番大事かっていうと、やはり自分の力をどこまで出せたかにあると思うんです。たとえ負けたとしても、自分の力を出し切って負ける試合というのは、どこかちょっと清々しさがあります。出し切るということは、何が自分に足りないかが明確になって、次はここを磨けばよりよいプレーになるだろうというヒントを与えてくれるわけですから。
それだけに自分のすべての力を出し切って勝てたというのは本当に嬉しかったですね。
(村上)
そういうすごい試合をされるには、もちろん才能とか実力もあると思うのですが、そういうものを超える何かがあるような気がしたことはありますか。
(杉山)
それはしますね。何かこう違う力というか。
(村上)
天が味方をしてくれるとか。
(杉山)
そういったエネルギーみたいなものを、勝利の女神と言うのではないでしょうか。もっともどれだけ足掻いても、振り向いて微笑んでくれないこともありますけど、普段の過ごし方や心の持ち方、考え方など常に前向きにして生きていると、そのご褒美をもらえる時があると思います。
(村上)
それは科学の世界にもあるんですよ。細菌学者パスツールが「チャンスは備えのあるところに訪れる」と言っているように、勝利の女神が微笑むにはそれに見合った準備が必要で、そこに理屈を超えた天の味方みたいなものが現れると。ただし科学者はあまりそういうことを表立って喋りませんけどね(笑)。
(本記事は月刊『致知』2016年3月号 連載「生命のメッセージ」より一部抜粋したものです)
◇杉山 愛(すぎやま・あい)
昭和50年神奈川県生まれ。7歳で本格的にテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に。17歳でプロに転向すると、平成21年に引退するまでの17年間プロツアーを転戦。WTAツアー最高世界ランキングはシングルス8位、ダブルス1位。引退後はスポーツキャスターなど活動の舞台を広げている。著書に『勝負をこえた生き方』(トランスワールドジャパン)がある。
◇村上和雄(むらかみ・かずお)
昭和11年奈良県生まれ。38年京都大学大学院博士課程修了。53年筑波大学教授。遺伝子工学で世界をリードする第一人者。平成11年より現職。著書に『スイッチ・オンの生き方』『人を幸せにする魂と遺伝子の法則』、共著に『遺伝子と宇宙子』(いずれも致知出版社)などがある。
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