2024年06月06日
カー用品チェーン大手「イエローハット」の創業者であり、「日本を美しくする会」を立ち上げた鍵山秀三郎さんは、高校卒業後に自動車用品会社に就職。自主的に毎朝の清掃活動を始めたものの、先輩たちからは冷ややかな目で見られてしまいます。黙って耐え今日の成功を築いた鍵山さんが社会人に伝えたい大事な心構えとは?
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就職難という僥倖
〈鍵山〉
私が20歳を迎えた昭和28年は、朝鮮戦争の直後で大変な不景気と就職難に陥っていました。私のように学歴もない、特別な才能もない人間は、さらに狭き門を潜らなければなりませんでした。
そういう時代に疎開先の岐阜県の高校を卒業し、上京したものですから、私が職を選ぶことはできません。相手が私を選んでくれるのを待つしかない、という境遇でした。そんな折、新聞に僅か3行だけ載っていた自動車用品会社の求人広告が目に留まり応募したところ、非常に運よく採用していただくことができたのです。
いま考えると、私が業種や会社を選べなかったことは僥倖(ぎょうこう)でした。どんなところであっても、仕事に就けたことに対して、ものすごく感謝の気持ちを抱いて社会に出ることができたからです。
もし好景気の時代で複数から内定をもらい、勤め先を好きなように選べたとしたら、きっと仕事に対するありがたさも、採用されたことに対する感謝もなく、「私が来てやった」と慢心してしまったでしょう。
こういう人は後々、不幸になると私は思います。むしろ厳しい環境からスタートするほうが人生は間違いない、というのが体験を通しての実感です。
先輩の虐めに耐える日々
自動車に関わる仕事というのはその当時、最先端の仕事でした。ところが、実際に入社してみると、経営者や先輩たちから学ぶことは非常に少なく、却って反面教師にする人ばかりでした。
というのも、職場は油と埃だらけで汚れており、そういう環境に身を置いていると態度や言葉遣いも粗暴粗野になる。物がなくなると成り行きですぐに値段を3倍、5倍に跳ね上げてしまう。これが自動車用品業界全体の風潮だったわけです。
私の両親は穏やかで荒っぽいことが嫌い、なおかつ綺麗好きで掃除を欠かさない。言葉にして伝えるのではなく、黙々と行動で示すタイプ。こういう両親のもとで育っただけに、その風潮を見過ごすことはできませんでした。「業界の悪しき習慣を変えたい」。もちろん口に出して言える状況ではなかったので、その願いを心に秘めつつ、私は入社した翌日から誰よりも朝早く起きて出社し、1人で黙々と掃除を始めたのです。
経営者が来るまではお店の中に入れないため、お店の前の道路を掃いたり、側溝の蓋を開けて這うようにしてタバコの吸い殻やゴミなどを拾ったりしました。また、お店の裏にある油まみれになった機械も1つひとつ丁寧に磨き上げていきました。
しかし、このことが先輩たちの虐(いじ)めの対象になったのです。
経営者から言われてもいないのに余計なことをするな、と。2人の先輩から仕事を与えられ、どちらかの仕事をしていると、もう一方の先輩から「何で俺の言ったことをやらないんだ」と怒鳴られる。ほんの一例ですが、このように私を取り巻く環境は不条理・不合理・不都合ばかりでした。
ただ、私はそこで虐められたからと言って、掃除をやめたり会社を去ったりすることは決してしませんでした。自分が正しいと思っていることをやらずに、周囲に流されてしまうようでは、何のために生きているのか分かりません。ですから、先輩たちから何を言われても黙って耐える。まさに忍の一字の日々を過ごしました。
近年、円覚寺管長の横田南嶺老師から、「忍は大舟たり。以て難きを渡るべし」と教えていただき、その時代のことを納得しました。(中略)
掃除には不思議な力がある
不条理・不合理・不都合なことに直面した時、ついつい口で反論したり、あるいは反抗的な表情や態度を取ったりしてしまうものですが、私は一切しませんでした。
どうしてそこまで忍耐できたのかと言うと、2つの理由が挙げられます。
1つは、両親に心配をかけたくなかったこと。当時は1つの会社に長く勤めることが信用の元だと考えられており、1度会社を辞めたら条件の悪い会社にしか勤められない、転職即ち人格を否定されるという時代でした。
そのため、私が辛いからと言って転職すれば、田舎にいる両親に心配をかけてしまう。また、もし別の会社に行ったとしても、結局そこでも同じような問題が起きるものなのです。
もう1つは、疎開中に自分よりも過酷な人生を送っている人たちをたくさん見てきたこと。例えば、炭鉱で毎日生きるか死ぬかという重労働に従事し、事故で怪我をしたり死んだりしても何の保障も与えられない。そういう気の毒な人たちのことを思えば、自分はまだ恵まれている、と。
ですから、とにかく耐えるより他に仕方がない。いつまでもこの不条理・不合理・不都合が続くわけではない。いや、それ以上に自分が努力をして1つひとつ解決していくのだと心に留めて、掃除をやり続けました。
すると、どうでしょう。私が入社した当初は、お店に来るお客さんも粗暴な人たちが多くいました。それが3年掃除を続けた時から、次第に高級車に乗る裕福で上品な方々が来てくださるようになりました。
やがて森繁久彌さんや三船敏郎さん、美空ひばりさんなど、有名な俳優、歌手からもご愛顧いただくようになりました。お店を綺麗にしたことによって、お店の雰囲気も変わり、明らかに客層も変わってきたのです。
掃除には人を呼び寄せる不思議な力がある。そう確信した瞬間でした。
(本記事は月刊『致知』2018年10月号 連載「二十代をどう生きるか」から一部を抜粋・編集したものです)
◉『致知』最新7月号 特集「師資相承」に「日本を美しくする会」副会長・白鳥宏明氏がご登場!!
「生きていく中では、様々な壁にぶつかります。志が高ければ高いほどその壁を越えていくのは困難ですが、師の言葉や生き方を学び、実践していくことによって乗り越えていく力になります。
私も鍵山秀三郎という師を得なかったとしたら、壁から逃げたり後退したりしていたかもしれません」――白鳥宏明
静岡県伊東市で物流会社を営む白鳥宏明氏は、「日本を美しくする会」副会長を務めています。荒れた会社の後継者として孤軍奮闘、立て直しに呻吟していた氏にとって一筋の光明となったのが掃除であり、人生の師・鍵山秀三郎氏との出逢いでした。鍵山氏との邂逅、薫陶を交えながら、今日までの歩みを振り返っていただきました。【詳細・購読は下記バナーをクリック↓】
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日本で唯一の人間学誌『致知』が創刊45周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。
世に出版される雑誌のほとんどが人のスキャンダルや欠点、失敗を取り上げて嘲笑う内容の中で、『致知』はその人が失敗をもとにいかにして立ち上がってきたかという歩みに焦点を当てており、読む人に勇気と感動を与え続けてくれています。
努力、勤勉、謙虚、忍耐等々、私たち日本人が失ってはならない尊い精神性、清く美しいものを守るというのは、並大抵のことではありません。それを45年間もやり遂げてこられたことに、私は敬服しております。
何が可能であって、何が可能でないか。何が正しくて、何が正しくないか。何が正当な要求や希望で、何が過大な要求や希望であるか。そういうことを弁えず、繁栄が欲望の餌食になっているのが、いまの日本の実態かと思います。日々ニュースで報道される忌まわしい事件を見ると、憂慮に堪えません。
この悪しき風潮、世相に歯止めをかける、ブレーキをかける役目を持っているのが『致知』であると私は信じております。日本のために、どうか皆さん方の手で『致知』を広めていただき、美徳に満ちた世の中になってほしいと切に願っております。
—―イエローハット創業者・日本を美しくする会相談役 鍵山秀三郎
◇鍵山秀三郎(かぎやま・ひでさぶろう)
昭和8年東京都生まれ。27年疎開先の岐阜県立東濃高等学校卒業。28年デトロイト商会入社。36年ローヤルを創業し社長に就任。平成9年社名をイエローハットに変更。10年同社相談役となり、22年退職。創業以来続けている掃除に多くの人が共鳴し、近年は掃除運動が国内外に広がっている。著書に『凡事徹底』『鍵山秀三郎 人生をひらく100の金言』(ともに致知出版社)など多数。
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