日露戦争の英雄・乃木希典はなぜ〝英雄〟と呼ばれたのか|真の指揮官とは

圧倒的な兵力差を覆して日露戦争を勝利へと導き、ロシアによる植民地化を防いだ乃木希典大将。偉業の一つである旅順攻略の際の逸話には、軍事に限らず指揮官たる者、リーダーを目指すなら一度は読んでおきたい心得が満ちています。乃木神社名誉宮司の髙山亨さんに、その一端をお話しいただきました。

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出航直前、息子の死

〈高山〉
日清戦争の後、西欧諸国は相次いで清国の植民地化に向けて動きました。特にロシアは大軍を送り込み、日本が三国干渉で返還した旅順(りょじゅん)、大連(だいれん)を一方的に奪取。我が国の自主独立、国家主権の維持のためには開戦以外の道は残されていませんでした。 

ロシアとの戦争を予感した乃木大将は、新しくできた第11師団をロシアに太刀打ちできる強い軍隊に育てようと、師団員たちと同じ粗末な布団で寝、粗食を口にしながら苦楽をともにし、全員の心を一つにしていきました。 

かくて、戦争が始まると、旅順攻略のために編成された第三軍の司令官として出陣するのです。 

乃木大将より先、長男の勝典、次男の保典は既に戦地に赴いていました。乃木は出征前、静子夫人に

「父子3人が戦争に行くのだから、棺桶が3つ揃うまでは葬式は出してはならぬ」(三典の棺を同葬すべし)

と厳命しました。果たして乃木の出航直前、勝典の戦死の訃報が届きます。報せを聞いた乃木は「他言せず」と日記にひと言記しただけで、そのまま旅順へと向かいました。 

3人の出征前、贅沢を好まない静子夫人が最高級の香水を買い、それぞれに持たせています。荼毘(だび)に付すこともままならない戦場で、戦友たちに香水をかけて弔(とむら)ってもらいたい、という精いっぱいの心づくしだったのです。

一兵卒とて同じ命

旅順要塞の攻略は熾烈を極めました。将兵たちの決死の正面突撃も、敵の十字砲火には全く歯が立たず、瞬く間に一帯は死体の山になりました。事前に知らされた情報ではロシアの兵力は1万5000人、火砲は202門。

しかし、実際にはその3倍もの人員と火砲を備えていました。ロシア軍は旅順を奪った後、世界にも類のない大要塞を築いていたのです。乃木大将の正面突撃を批判する向きもありますが、要塞への正面突撃はドイツ陸軍における鉄則でした。 

開戦以来、乃木大将はほとんど睡眠を取ることなく、厳しい冬も暖房のオンドルは使わず、食事も兵士と同じものを食べて前線の兵士の苦痛を一緒に味わおうとしました。一方、内地からは乃木大将の指導力について激しい非難や更迭を求める声が相次ぎました。 

しかし、「それはならぬ。もし途中で代えたら、乃木は生きていないだろう」と真っ向から更迭に反対し、大将をかばわれた方がおられます。明治天皇です。

明治天皇の深い御心を知った乃木大将は「一将軍にすぎない自分を、これほどまでに思ってくださるとは」と感激し自らを奮い立たせます。いまにも兵力が尽きんとする中、戦法を要塞攻撃から二〇三高地の総攻撃に切り替え、激戦の末、ついに旅順を陥落させるのです。 

日露戦争で日本が勝利できた理由に、明治以来の科学力、外交力を含めた国家としての総合力が挙げられると思います。特に当時の日本は、英明高徳の明治天皇を上に戴き、下には輔弼の任に当たる忠義の臣、さらにそれを支える勤勉、かつ廉直な国民精神がありました。 

その結果、ロシアの脅威を取り除いて日本が独立を確保できたばかりでなく、長年の念願だった不平等条約の改正に動き、アジア史は白人絶対の時代に終止符を打つことができたのです。 

私は、ここにさらに乃木大将の人間的魅力を加えたいと思います。先述のとおり乃木大将は厳寒でも暖も取らず、送られてきた毛皮のコートも着ずに、兵隊と同じ苦労を味わいました。長男の勝典が戦死し、上官の配慮で次男の保典が安全な部署に配属になった時、危険な前線に戻りたいという保典の熱願を真っ先に聞き入れたのも乃木大将でした。保典もまた、二〇三高地の戦いで命を落とすことになります。 

乃木大将には我が子と一兵卒の間に何の隔たりもなかったのです。指揮官のそういう真心に心打たれない部下がいるでしょうか。大将を慕って志願兵が次々に集まってきた理由もそこにあります。

生涯貫き通した「心約」

旅順攻略は勝利しましたが、155日間の戦いで5万9400名もの死傷者(うち戦死者1万5400名)を出しました。日本国民から凱旋将軍として迎えられながらも、乃木大将の心中は複雑だったはずです。明治天皇に拝謁した乃木大将は涙ながらに「この際、割腹してその罪を詫びたい」と訴えました。

しかし、明治天皇はそのいたたまれない思いを察しながらも

「いまは死ぬべき時ではない。死ぬならば、私が世を去ってからにしなさい」

と労(ねぎら)われるのです。乃木大将が一人黙々と全国の遺族と傷病兵を見舞う日々は、ここから始まりました。

乃木大将は明治天皇との、この心の約束(心約)を守り通しました。敵側であるロシア兵の慰霊を含め、亡くなるまで見舞いを欠かすことがなかったのも、戦死傷者との心約だったのです。大切な契約すら簡単に破ってしまう現代において、私たちが学ぶべきはこの心約を全うした乃木大将の生き様なのではないでしょうか。


(本記事は月刊『致知』2015年9月号 特集「百術は一誠に如かず」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇高山亨(たかやま・とおる)
昭和21年神奈川県生まれ。45年皇學館大学国史学科卒業。神社本庁勤務を経て47年乃木神社権禰宜、57年禰宜、60年宮司となる。平成26年より名誉宮司。同年より神社新報社代表取締役も務める。

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