ラグビー日本代表の原点——「スクールウォーズ」のモデルにもなった山口良治が語る「1971年 伝説のイングランド戦」

日本のラグビー人気に拍車を掛けたテレビドラマ「スクール☆ウォーズ」主人公のモデルにもなった山口良治氏。山口氏はラグビー日本代表として9年にわたり活躍した後、指導者として当時無名だった伏見工業高校ラグビー部を全国有数の強豪校へと育て上げました。同校からは〝ミスター・ラグビー〟こと平尾誠二をはじめ、日本ラグビー界をけん引した多くの人材が輩出されています。今回はそんな山口氏が語った忘れ得ぬ試合、1971年に秩父宮ラグビー場で行われた「伝説のイングランド戦」をご紹介します。

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壮絶な死闘の末の「ノートライゲーム」

「信は力なり」
それを、私にラグビーを通して教えてくれたのは、元全日本監督でいまは早稲田大学名誉教授になられている大西鉄之祐さんでした。「展開、接近、連続」という体格的にハンディを持つ日本人が外国の強豪と戦う際の基本的な理論を確立させた名監督です。

そしてこの「展開」「接近」「連続」はいずれも、チームワーク、つまりお互いを信じて初めて可能となります。体が大きく、力の強い外国の選手にラグビーで対抗するには、まず走ることが大切です。そして、ボールをパスでつなぎまくって相手を攪乱しなくてはいけません。それにはあくまでもチームプレーが基本になります。また、ラグビーでは、ゲーム中に監督と選手が会話を交わすことはできません。選手は監督の教えを信じて走り、監督は選手の力を信じて見守らねばならないのです。

そういった意味で最も思い出深いのが昭和46928日、全日本が全イングランドと戦ったゲームです。場所は東京の秩父宮ラグビー場で、私はフランカーというフォワードの第3列として出場しました。秩父宮ラグビー場のキャパシティーは、17,500人。そこへ23,000人が押し掛けたため観客席へ入りきらず、溢れた人たちがグラウンドの芝の上で観戦するという異常な熱気の中で行われました。

イングランドは、ラグビー発祥の地。全イングランドは、いまだに日本が一度も勝ったことのない強豪チームです。フォワードの平均体重は、一人当たり13キログラムも劣ります。つまり、両チームがスクラムを組んだ際のその体重差は、実に104キログラムも向こうが勝っているのです。大人と子供の違いといっていいでしょう。ただ唯一、私たちがイングランドに勝っていたことがあります。それは、「勝つことへの執念」でした。

試合前のロッカー・ルームでは、チームの15人、だれ1人として口をきくことはありません。むせるような吐息と鼻を覆いたくなるようなサロメチールの匂いが充満する部屋の中、既に泣いている者がいます。極度の緊張感に耐えきれず、ひたすら自分の頭を壁に打ちつける男もいます。「接近、連続、展開」という、大きい相手に勝つための基本を徹底的に叩き込まれた私たちは一枚岩となり、言葉を交わさなくてもお互いの気持ちがわかるほど信頼しきっていました。

「信は力なり」
大西監督の言葉が、私たちの頭の中に繰り返し蘇ってきます。

いよいよ、ゲーム開始の時間がやってきました。私たちは無言のまま水盃を飲み交わします。大西監督が最後に残った水を飲み干し、盃をコンクリートに叩きつけると同時に、15人は一気にグラウンドに飛び出しました。グラウンドへ出てからのことは、ほとんど覚えていません。大西監督を信じ、チームメートを信じ、自分を信じるまま、80分間を走り、相手にぶつかりました。

試合結果は「全イングランド6-3全日本」。両チームともトライできない壮絶なゲームとなりました。敗れたとはいえ、この試合によって全日本の結束力が世界中に報道され、いまだに語り継がれている伝説的なゲームとなったのです。

大観衆のスタジアムで聞こえた大西監督の声

実は、この試合の中で、私がはっきりと覚えていることがあります。それは後半34分、相手の反則により、私がゴールに向けてペナルティー・キックを狙った時のことです。23,000人で膨れるスタンドの中から、私の背に向けて、声が響きました。

「リョウジ、入れろ!」
大西監督の声でした。

大観衆のスタジアムでそんな声が聞こえるはずない、幻聴だろうと皆はいいます。しかし、私には確かに、大西監督の声がスタンドから聞こえたのです。それまでの限界を超えた緊張感、すべての気持ちを一つ事に集中した中で、本当に必要な声、本当に信じている人の声が聞こえたのだと、私はいまでも思っています。大西監督の思いを背に私が蹴った楕円形のボールは、吸い込まれるようにポストの間をくぐり抜けていきました。私の長い選手生活の中で、最も思い出に残っているゲームです。

さて、なぜ私がそこまで大西監督を信じることができたのか、それは、監督が私たちを常に100%信頼して向き合ってくれたからです。振り返ると、大西監督もいつも私たちに夢を語ってくれたものです。

体の小さい日本人でも、どのようにして戦えばラグビーの強豪国に勝てるのか、常に具体的に話してくださいました。それも、一人ひとりの個性に合わせて、その長所を伸ばすように語り掛けてくれました。その中で私たちは自信を育んでいき、目標に向かって結束力を強くしていったのです。その私たちが大西監督から教えていただいたことを、今度は自分が伏見工業高校ラグビー部の生徒たちに伝えていきたいと、私は強く感じたのでした。

教え子・平尾誠二と大八木淳史

具体的な指導方針は、やはり大西監督のやり方が非常に参考になりました。生徒、つまり選手たちはそれぞれ、まったく個性が異なります。

例えば、今年日本選手権5連覇を達成した神戸製鋼に、平尾誠二という選手がいます。いまでこそ平尾はたくましい体を持っていますが、伏見工時代の彼はまだ線が細い高校生でした。しかし、その当時から抜群の感覚を持っていました。ですから彼には「お前はとにかくつかまるな。でかいヤツが来たら逃げろ。つかまる前にパスか、キックか、抜くか、その判断をしろ、それができればお前はだれにも負けない」と口を酸っぱくしていったものです。彼は目を輝かせて聞いていました。練習で不用意につかまって、倒されたときにだけ、思いっきり怒鳴りつけました。

また、同じ神戸製鋼に、大八木淳史というフォワードの選手がいます。身長は190cmを超え、体重も100kgの巨漢です。伏見工時代の大八木には、「お前はこんなにも恵まれた体を親からもらったんだ。将来、日本が外国に真っ向から挑むとき、きっとお前のような選手が必要とされるはずだ」と語りました。

ラグビーというスポーツには15ものポジションがあり、大きい子も小さい子も、それぞれの持ち味を生かして一緒に楽しむことができるのが大きな魅力です。平尾も大八木も、ともに自分の持ち味を生かし、10年にわたって全日本の主力として活躍する選手になってくれました。個を生かし、結束させるというのもまた、大西監督に教えられた理念です。

(本記事は『致知』1993年4月号の特集 「立志」より一部抜粋したものです。あなたの人生や経営、仕事の糧になる教え、ヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

◇山口良治(やまぐち・よしはる)
昭和18年、福井県に生まれ。40年日本体育大学卒業後、岐阜県立長良高校、同県立岐阜工業高校教諭を経て、42年京都市教育委員会に勤務。その間、日本代表選手として9年にわたって選ばれ、キャップは13個。49年伏見工業高校へ体育教師として赴任。50年ラグビー部監督に就任。56年に全国大会初優勝。無名だった同部を全国有数の強豪校に育て上げ、テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』のモデルにもなった。

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